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猩々緋
そこは美しい庭園だった。外観からは想像もできない程の美しい庭。
黒い薔薇がこちらを見つめているような空間。その全てが意思を持ち、視姦されてるような気分だ。
うじゃうじゃと湧き出る羅紗たちを搔き分けて俺は一人でここに辿り着いた。後ろでトーカが「独りで動くな」と言っていたが、そんなことよりも先に進まねばならぬ気がして、目の前の人形どもを倒して壊して光の射すここに躍り出たのだ。
視線を彷徨わすが、一面が黒薔薇だ。その茎には鋭い棘が光っている。
俺は、元いた世界の童話を思い出す。お姫様が魔女に呪われて棘を触り眠りにつく物語。俺は、お姫様なんて柄じゃないが、なぜかそれを思い出した。
『こっちだ』
声が俺のことを呼んだ気がして、ゆっくりとそちらに足を向ける。モーゼの十戒のように、薔薇の群れが俺の進む道を開けてくれる。
空を見上げると、満天の星空だった。
星座は詳しくはないが、視界いっぱいに広がる星座は美しい。
「美しいやろ、ここの星空は」
先程とは違い、その声を耳で拾った。先程脳内で俺のことを呼んだ声だ。
「…お前が、東倭国国王」
視界に捉えた男は、美しい男だった。トーカとはまた系統の違う綺麗な男だ。
黒髪に黒目。その黒は透けるように美しく、全てを知り尽くしたような目をしている。象牙のような肌は、触れれば割れてしまいそうだ。
すべてが作り物のようなこの男に見つめられ、息が苦しい。
「この景色は、お前らの国では見えへんやろ。この美しさは、我が国でしか拝むことはできへん。空気が違うからな」
「…」
星へと視線を向け、語る男から俺は目を離すことができない。目を逸らしてはいけない、と言われているようだった。
俺のそんな状態を察してか、にっこりと微笑んだ男に胸が高鳴る。
おかしい、この男剣を抜き、屈服させるべき相手なのに。
「よく来た、シキよ。私の愛しい黒。ここは私猩々緋の居場所…好きなだけ、いてくれてええんやで?」
黒、俺の色よりもお前の黒の方が美しいと言い返したくなる。いや、違う。この無防備な男を倒さなければならない。この男が何故俺の名前を知っているかとか、何故俺を歓迎しているのかとそんな疑問よりも、薔薇の匂いが酔いを誘っている。
「……俺は、お前を倒しに来た」
やっと動いた身体は、口だけで相変わらず手は刀を抜こうとしない。
「倒す?…私を倒してどうするんや、黒よ」
倒して、倒してどうする…?そんなこと分かりきっていることのはずなのに、上手く言葉にできない。こいつを倒して、呪いをどうにかして、どうにかして…?どうにかなるのか。
「くくっ…本当に愛おしい。お前のそういう愚かなところが私は好きやで」
ゆっくりとこちらに近づいてくる相手になにも反応することができなかった。いや、まるで夢を見ているような身体に意思が宿らないのだ。
「あのフォレストとかいう男のことやって、お前は『もしかしたら助けられたかもしれへん』って思っとったんやろう?でもそれって、傲慢以外の何者でもないわなあ?」
冷たく繊細そうな指が頬を擦っていく。俺の顔を上へと向けさせじっくりと覗き込んできた男と必然的に顔が近くなる。やはり、近くで見ても美しい顔だ。
「お前は何もできない男やで、シキ。自分が何者か忘れたんか?お前はただの子供で、ただの人間やったはずや。等身大の人間として今、生きてはる?自分ができることと、できないことの区別も忘れたんか?」
お前に何がわかるんだ、と怒鳴りつけたいはずなのに、核心を突かれて何も言い返すことができない。掬った掌から零れる水ばかりに目を向けていた。それこそ、傲慢ではないか。
「そうやで、私の愛しい黒。お前はこの世界に来るまではなにもできない。思い出すんや」
「…俺 を知っているのか」
「知っとるよ、よぅく知っとる。お前よりも」
その微笑んだ目元は誰かに似ていた。
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