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あなたの顔が知りたい
「シキ君。最近、調子よさそうやねえ」
俺の包帯を毎日変えてくれる先生に、俺は例の心理カウンセラーのことは言わなかった。彼が、「内緒だ」と言ったからだ。先生に彼のことを話して彼がここに来なくなってしまう
のが嫌だった。いつも良くしてくれている先生には申し訳ないが、ちょっとだけ嘘をつかせてもらう。
「最近、寝つきが良くて」
これは、嘘じゃない。本当のことだ。彼がこの部屋に訪れるようになってから、俺は寝つきが良かった。彼の絶妙に聞き上手な感じとか、彼の空気感はとても心地が良かった。
それなのに、彼は、まるで全てを知っているかのように先生が来る前に帰るのだ。その徹底ぶりには、感心してしまう。彼との少ないカウンセリングの時間は今の俺にとって欠かせないものとなっていた。
「…なんだか、妬けるな」
先生は、小声でそう呟いた。視力を失った俺の耳はやけに発達していて、かなり小さい呟きでも聞こえるようになっていたのだ。先生が、俺にどういった感情を向けているか、俺はわかっていた。だけど、俺はなんとなく誤魔化す。
「……先生?」
「…なんでもないよ」
そう言って、先生は道具を片付け、「今日はもう帰るね」なんて言って帰っていく。先生のことは尊敬しているし、嫌いじゃない。感謝だってしているのに、今日は早く帰ってくれたことに安堵し、俺は明日は彼が早く来てくれることを望んでいた。
*
「サクラさん、こんにちは」
「……こんにちは」
いつもちょっとだけ機嫌の悪い低い声で俺の挨拶を返してくれるサクラさんは、いつも同じ時間に俺の部屋に訪れる。先生に言わないで、って言った通り、どうやら彼は先生と接触したくないようだ。
変な人だけど、俺にはなにか危害を加えるわけでもないし、いつも俺に何個か質問をして「……そうか」って相槌だけ打って帰っていく。
お互いマイペースだけれど、相手に存在も意識しつつ、自分のスペースを確保した接し方だった。
「今日は、お前の話がしたい」
「俺の話ですか?いつも俺の話ばかりじゃないですか」
自分のスペースを確保した、と言っても物理的には大分距離が近いように思う。彼は、サ察しが良すぎるほどに俺の拒絶に鋭かった。俺が触れられたくないことには、触れない。ただ、身体は彼にぴっとりとくっついている。彼に触れた面積は広いし、温かい。
立ち上がった時にする声の位置からしても、彼の身長は俺よりも相当高いのがわかる。
「サクラさん、あなたの顔が知りたい」
「…今更だろ」
そうは言っても俺は彼の顔が知りたいのだ。声のする方に手を伸ばせば、厚い掌が俺の手を捕まえ、彼の前まで持っていかれる。
触れた人の頬は温かかった。傷つけないように、頬からゆっくりと瞼に触れ、高い鼻、かさついた唇、耳の位置、額、と触っていく。
これほど、生を実感したことはあっただろうか。いや、あったかもしれない。
「お前は、帰りたいとも思ったことはないのか?」
いきなり、鋭く斬り込んできた彼に、俺はちょっと笑ってしまった。彼の敬語は形ばかりで、いつもふとした拍子に素の口調に戻る。
「あなたも、俺が異世界人って知ってたんですね?」
「……」
「別に、元の世界に帰れる確証もないし、帰ったところで俺に居場所なんてないですから」
黙ったままのサクラさんに、俺は返答を間違えたのか少し焦る。それでも、これが俺の本心なのだから、しょうがない。
「お前の帰りを待ってるヤツだっているだろう」
「…言わせないでくださいよ、俺のことを待ってくれてる奴なんていません」
自分で言っていてなんだか、悲しくなってきたけれどそれが事実だ。仕方が無い。
「だから、ここにこうやって閉じこもってんのか」
「え?」
「お前らしくねえじゃねえか、シキ。この俺にいつもウザい程突っかかってくる癖に、自分の居場所がねえことを嘆くだけ嘆いて、それで終わりかよ」
突然、喧嘩腰のサクラさんに気圧される。「怖い」俺は、気付けばそう呟いていた。その呟きが聞こえたのか、盛大に舌打ちをしたサクラさんは「帰る」と言って本当に帰ってしまった。部屋の中に、気配はもうない。俺は、サクラさんに嫌われてしまったのだろうか。
…俺は異世界人だから?
『帰りたくないのか?』帰りたいに決まっているだろう。でも、どこに?サクラさんは、「どこに」帰りたくないのか聞いたのだろう。俺は、「どこに」帰りたくないと言ったのか。
『ここにこうして閉じこもっている?』
俺は、サクラさんが吐いた言葉を繰り返し、反芻する。
依然として、俺の視力は戻らない。
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