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謎の心理カウンセラー
自室に三日も閉じ籠っていた結果、先生に病院へと連れ出された。
「うーん、心因性の視力障害だねえ」
顔も見えない医師にそう診断された。確かに、顔を蹴られたくらいで失明だなんて、おかしいと思ったのだ。蹴られた時にも、別に眼は怪我していなかったのに、なんで見えなくなるのかが不思議だった。
心因性…それならば、俺の目が治ることは一生ないのだろうか。
思考がどんどん女々しくなっていることに気付いた。
やはり、五感というのは大切で、どれか一つが欠けるというのはかなりしんどいのだ、ということに気がついた。俺を健康な身体で産んでくれてありがとう、母ちゃん。
まあ、どうせ俺はこのまま死んでいくのだろう。飯すら食わなくなった俺を先生が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
一度先生に、もうそんなことしなくていい。俺は異世界人なのだから。と告げたら、表情は見えなかったが、優しく「私がしたいだけやから」と言って、引きこもりと化した俺の元へと訪れる。
第七師団の皆は今頃どうしているのだろうか。一年Sクラスの友人たちはなにをしているのだろうか。中庭に行って、セツカの様子を見に行かなきゃいけないけれど、俺の任務なんてどうせもう忘れられているのだろう。
いつもだったら、ここで動く足は動くことは無く、窓から空を眺めるばかり。と、言っても、空を眺めている『フリ』だけれど。
自分はこんなにも空っぽだったのか、と今更気が付いた。この世界に来て、恵まれた環境のおかげで、ただ自分の居場所を手に入れていただけなのに。なにを、自分の手で勝ち取ったかのような気分に浸っていたのか。
今の俺には外に出て、颯爽と風を切ることすらできないのだ。
自室の扉からノックの音が三回聞こえる。
そういえば、いつもこの時間に先生が俺の世話に来てくれるのだけれど、今日はどうやら遅くなるようだ。先生なら、俺の部屋の鍵を持っているから、ノックなどせずに入ってくる。俺がいつも寝室で空を眺めているのを知っているからだ。
つまり、このノックの主は先生ではない、ということだ。俺は、居留守を決め込んだ。
またしても、ノックの音が三回。不均等なその音に、俺は応答したくなった。
しばらくして、ふたたびノックの音が鳴る。俺は意を決して、扉の前まで壁を伝って歩いていき、深呼吸をひとつする。
「…どちら様ですか?」
自分の喉から出た声が、かなり小さいことに驚いた。
「…心理カウンセラーのサクラです。シキさんのお部屋で間違いないですか?」
その声は、低くて耳によく馴染む。扉越しの声に、なんだか敬語が似合わないな、なんて失礼なことを考えた。
「すみません、今開けます」
手探りで鍵を開け、扉の向こうの相手を招き入れる。この時の俺は、もしかしたら警戒心というものを視力とともにどこかに置いてきたのかもしれない。
サクラと名乗った彼は、礼儀正しく「失礼」と言って部屋に入ってくる。分厚い手が俺の手を包んで、室内へと導いてくれる。
ソファに座らせてくれた客人に、「ありがとうございます」と呟くと、顔も見たこともない彼は、しばらくの無言の後に「…こちらこそ」とだけ返してくれた。変な人だ。
「…あなたは、先生の紹介で来てくれた方でしょうか?」
「まあ、そんなところです。でも、その先生とやらには俺がここに来たことは内緒にしてほしいです」
やはり、少しカタコトの敬語だ。そんな口調が少しかわいらしくて、俺は笑った。久しぶりに動いた頬の筋肉が引き攣る。
もしかしたら、彼は先生の友達かなにかで、サプライズしたいのかもしれないなんて考えて、「いいですよ」と答えてしまった。
彼はそれに反応することはなく、黙ったままだ。
心理カウンセラーだという割には、口数が少ない。それでも、俺は側に感じる誰かの気配が心地良く、顔の見えない相手に気を許してしまっていた。
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