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素直になれないふたり
目を覚ます。そこはいつもの自分の見慣れた部屋ではなく、病院のようだった。スリッパが見当たらなかったため、裸足で備え付けの洗面所で顔を洗う。冷水で顔を洗うと、気だるさが一気に拭きとんだ。
目の前の鏡に映る自分と視線を合わせ、そのまま顔を両手で覆った。
……なんか恥ずかしい夢見た気がする…。
気がする、というかかなり鮮明に記憶がある。トーカと手をにぎ…ちょっとこれ以上は俺の精神状態が悪くなる。また、失明するわ。いや、いやいやいやいや。俺が手を握ったのは、トーカではなく、サクラさんであって…!決してあの俺様と手を繋いだわけではない!
「なに一人百面相してんだ」
声からして自分の後ろに誰が立っているのかもうわかっている。それでも、後ろを振り向きたくはない。お願いだから、「あれ」がただの悪夢であってくれ…!
後ろを振り向こうともせず、反応すら返さない俺にトーカは続ける。
「体調はどうだ」
「いや、えっと…特に問題ないですけど」
「全部終わったぞ」
トーカに言われたその言葉の意味を考える。
「……そうですか」
自分が見ていた悪夢なんかよりも、大事なことがあった。自分が思い出せる限り、必死に記憶を思い出す。東倭国に攻め入って、それから…
「俺、あの時のことあまり覚えてないんです」
トーカはベッドの隣の椅子に腰を掛けた。目だけで、「ここに座れ」と言うので拒否する理由もないため、ベッドに腰かける。斜め前に、トーカが座っているような位置関係は、真正面から向き合うような関係ではない俺達を表しているようだった。
「一番隊に向かわせた先には、メレフどもが気色悪いモンを作っていやがった。それが、あの『羅紗』どもを生み出す母胎となっていた」
「母胎…まさか、その母胎は人間じゃないでしょうね」
「…まあ、人間そのものというわけではない。『羅紗』のエネルギーはその母胎となった人間の睡眠中に見る幻想、つまりは『夢』だ。そこで見る夢の内容は、自分たちがやりたいこと、現実ではできないことができるそうだ」
「明晰夢*のようですね」
「つまり、母胎となった人間は次第に現実と夢の境目がわからなくなり、どんどん夢の世界へと依存する。結果、母胎となった人間はその身体が活動を停止するまでずっとその夢の世界で過ごす。自らの意思で、繭の中に閉じこもるんだ」
「なんてもん作ってんだよ…」
思わず頭を抱えると、トーカは呆れたように俺を見て、溜息をひとつ吐く。「なんですか」と問うと、額を指で弾かれた。めっちゃ痛い。
「いや、なにすんですか。めっちゃいってえ」
アンタ自分の力の強さ、自覚しろよ!と怒鳴りたい言葉が喉元まででかかっている。
「お前もその母胎になりそうだったんだよ」
トーカに言われたその言葉に、フリーズする。
「はい…?いや、だって俺が見てたのは、俺にとっては悪夢でしたよ…!?もう二度と見たくない!」
「お前にとっては悪夢だったかもしれないが、あれがお前の明晰夢ではなかったとしたら?」
真っ直ぐ見つめられ、やはりこの男は顔が良いのだと再確認させられる。
「お前の夢に出てきた登場人物達で、自分の意思で動いていたヤツは誰だ?」
「……先生」
声を張ることはできなかった。トーカは表情を変えることはなく、首を縦に振る。
「お前の『唯一』になりたかった男の夢だ。あの時、自分の気持ちがいつもの自分でしない思考回路に陥らなかったか?いつもの自分ではしないような行動をとっていなかったか?」
思い当たる節しかない。あの時は不思議には思うことはなかったけれど、今思えばずっと陰鬱とした気分だったし、先生の言葉を根拠もなく信じていた。
「でも、サクラさんは…いや、トーカは先生の意識下では動いてなかった。そもそも、なんでトーカが俺のが見た夢を知っているんだ」
トーカは俺の問いに答えることはせず、ゆっくりと椅子から腰を上げる。俺は、膝の上の拳を力いっぱいに握りしめた。
「……俺が、『サクラさん』に言ったことは、先生に操られて言ったわけじゃない。
俺の本心だ」
トーカの広い広い背に向かった言葉を放つ。この男にはまだ追い付けないことが、悔しかった。どうせ、この男は俺の精一杯のこの言葉さえ、光の速さで置いていってしまう。
「お前、俺の顔、好きなの?」
疑問形のクセに俺の返答を待たずに、病室の扉をピシャリと閉める。どうせハナから俺に問う気はないのだ。
でも、今はそれが良かった。
今、あの男に顔を見られたりしたら、俺は自分で自分の舌を噛み切るところだった。
*明晰夢…睡眠中にみる夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。明晰夢の経験者はしばしば、夢の状況を自分の思い通りに変化させられると語っている。(Wikipediaより)
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