左右の長さが対象になるように靴紐を結び、初めの一歩を踏み出す。必ず左足からが自分で決めたルールだ。 　朝の挨拶代わりに吠えてきた隣の家の犬に手を振り、二つ目の角を曲がって数分。やがて見えてきた公園はそれなりに広く、ランニングを始めた頃は一周するのがやっとだった。今ではそれを五周しても、まだ余裕がある。 　ウォーキングを楽しむ老夫婦と挨拶を交わせば、今日は昼過ぎから雨だと教えてもらった。これは帰ったらすぐ、友人に教えてあげなくてはいけない。 　きっと『あいつ』は、まだ寝ているだろう。いつもの時間に起こしに行っても、どうせ素直には起きてくれないだろう。 　また遅刻ギリギリの時間になって、二人で慌てて家を出て。通勤通学の人々で溢れる電車内で『あいつ』を守るのが自分の使命だ。 　食べ損ねた朝食は教室で済ませればいい。味わうことなく飲み込む自分に『あいつ』はこう言うだろう。 「また航に迷惑かけちゃって、ごめん」 　整った顔に苦笑を浮かべ、申し訳なさそうに謝る『あいつ』が容易に想像でき、航は思わず笑みを零した。既に五周目の後半に差し掛かっているのに、その呼吸は乱れることはない。 　誰よりも努力して、誰よりも秀でた人間になる。 　誰よりも大切な友人を守れるように、誰よりも頼れる人間になる。 　その為には早朝のランニングも苦ではないし、毎日の予習復習も欠かさない。誰にも負けないよう勉強も武道も、何に関しても手を抜かない。 　そうして作り上げた自分を、誰が見下すことができるだろうか。羨望を集める自分を、誰が下等だと思うだろう。 　どんな時も自信たっぷりに笑って、どんなことも完璧にこなす。努力している姿は一切見せず、全て生まれ持った才能だと思わせる。 　だから人は、航がアルファだと信じて疑わない。まさかこの才知に溢れる男が、オメガだなんて、想像すらしないだろう。 　 「あ……やべ。早く帰ってシャワー浴びないと、穂高を起こす時間が減る」 　普段よりもペースを上げた航は、家へと戻る道を駆け抜けた。空を飛ぶ鳥達の囀りが自分に向けた応援歌のように聞こえ、さらに走るスピードを速める。 　周りのランナーを追い越し駆ける航の姿は、ピンチを救いに行くヒーローさながらで。その先にあるのは、いつだってただ一人だ。この世で誰よりも大切な『あいつ』の為に、航は走る。 　──片桐 航、16歳。 　大切な人を守る為にオメガの自分を隠し、アルファ性を演じる彼の朝は五時に起床するところから始まる。