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第4話:僕と上司とスカイツリー3

ともかく、オリンピックがきっかけで僕は相楽天の名前をチェックするようになっていたわけだけど、彼はその後個人事務所を設立し、アミューズメント施設や携帯電話会社の広告など目立つ仕事を次々とこなして、広告賞まで受賞していた。 その相楽天が今、僕の目の前にいる。 身の引き締まる思いがした。 「相楽さんの事務所で、デザイナーを募集しているんですか?」 はやる気持ちを抑えて聞くと、彼は肩をすくめて笑う。 「募集していたわけじゃないんだが、いま募集開始していま締め切ることにする。働きたかったら明日の朝来てくれ。場所はここだから」 1枚の名刺を渡された。 「え、明日から……?」 まだ条件も聞いていないし、履歴書やポートフォリオも見せていない。 仮にそれが整ったとしても、いきなり明日からの出勤は難しい。 今日は面接のために上京してきているけれど、大学時代のアパートは引き払ってしまい、いま僕は九州の実家に住んでいる。 「明日からは無理?」 「その、住むところを見つけないと……」 「住むところ?」 「はい……」 正直に打ち明けると、相楽さんは思案顔になる。 「だったら事務所の裏に、俺のマンションがある」 渡された名刺をひっくり返し、そこにある地図の一点を指さされた。 「え、と……」 思考が追いつかずに、僕はその指先を見つめる。 「ちょうどいいことに、部屋がひと部屋空いてるんだ」 「その部屋に? でもまだ僕のこと、何も知らないのに……」 「履歴書を見たって、信用できるヤツかどうかなんて分かんねーよ」 そこで相楽さんが、ちらりと腕時計に目を落とす。 「とにかくだ。君の選べるカードは3つ。俺の事務所に飛び込む、このまま就活を続ける、デザイナーなんてヤクザな商売はやめておく」 (どうしよう……) これまで1年以上、就職活動を続けてきた。 このまま続けても、デザイナーとしての就職が難しいことは分かりきっている。 「悪い、人を待たせてるんだ」 その声にハッとなる。 「待ってください!」 思わず叫んだ。 「1枚目のカードを、僕は引きます!」 行きかけた相楽さんが、振り返ってニヤリと笑った。 「そう来ると思った。明日の10時、事務所で。それまで、こいつは預かっておくな」 拾ったまま手に持っていた僕のポートフォリオを、彼が軽く掲げてみせた。 デザイナーとして就職できる。しかも、相楽天のデザイン事務所に。 明け方の夢みたいで、まるで実感が湧かない。 だいたい履歴書も見ずに採用を決めるなんて、普通に考えておかしい。 けれど渡された名刺は手の中で、確かな手触りを持っていて……紙のざらつき、角の硬さ。 これは間違いなく現実だ。 相楽さんはジーンズのポケットに手を入れて、廊下の奥へと消えていく。 その後ろ姿を見ながら、胸が震えた。 (あの人が、相楽天……) 夢でもいい、騙されてもいい。 彼の懐に飛び込んでみよう。 僕はそう決意した。 * 翌日――。 名刺の住所を尋ねていくと、そこはガラス張りのおしゃれなビルだった。 ちょうどドアを開けたところにいた、7、8人が僕を出迎える。 「はじめまして、えーと、僕は……」 大勢での出迎えに、なんだか焦ってしまう。 彼らは会議でも終えてきたところなのか、ノートPCや資料の束を小脇に抱えていた。 「聞いてる聞いてる! うちの相楽が昨日スカウトしたっていう……」 「荒川水樹です」 「そうそう、荒川くん。よろしく、チーフデザイナーの橘です」 ひょろりと背の高い癖毛の人に、握手を求められる。 橘さんは見たところ30代後半か40代。 おそらく相楽さんより年上だ。 あとは20代か、30そこそこといった顔が並ぶ。 玄関からすぐのフロアを見ると、平机が大きな島を作って置いてある。 建物やインテリアはいかにもスタイリッシュだけれど、各々の机には雑誌や資料、栄養ドリングの瓶などが乱雑に置かれていた。 忙しい現場の空気を感じ取る。 「相楽は今いないんだけど……とりあえず、向こうのテーブルにでもいてもらおうかな」 パーティションで区切られた、ソファのあるスペースを示される。 「ごめんね。急だったから、座ってもらうところもなくて」 チーフの橘さんが申し訳なさそうに頭を掻いた。 僕はその橘さんに続いて、パーティションの向こうへ進もうとする。 その時だった。 「しっかし顔採用かあ。いいよな、イケメンは」 誰が言ったのが、後ろからそんな声が聞こえてきた。

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