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第10話:僕と上司とスカイツリー9

「いや、でも……今すぐですか!?」 「なんだよ、したいんだろ、デザインが」 さっきまで放してくれなかったのに、どういう風の吹き回しだろう。 相楽さんは走ってきたタクシーを停め、僕を突き放すようにして後部座席に押し込む。 「相楽さんあの!」 「こいつを、この住所に」 僕の言葉を無視し、住所の書かれた名刺とお札を彼は運転手に手渡した。 怒っているのかと思ったのに、その横顔は楽しげに笑っている。 (相楽さんは至宝堂を攻略するために僕を雇ったのかと思ったけど、それは違った?) 後部座席のドアが閉まり、タクシーが走りだす。 道の端に立つ相楽さんは、その姿が見えなくなるまでずっと僕の方を見ていた。 * 「おかえり荒川くん」 事務所に戻った僕を、橘さんが出迎える。 「さっき相楽から電話が来たよ。クレアポルテの広告デザインを提案するって」 「なんですか? クレアポルテって」 「あれっ、知らないの?」 橘さんによると『クレアポルテ』とは、至宝堂が売り出すOL向けブランドラインの名称らしい。 売り上げ規模は複数あるブランドラインの中でも最大。 日本だけでなく海外にも展開している主力商品だ。 そんな説明をし、橘さんは言葉を続ける。 「クレアポルテは電報堂さんが担当してるのに、相楽が向こうの広報部にぜひ提案させてほしいアイデアがあるって頼み込んだらしい。もちろん口からでまかせだろうけど」 「ちょーっと待ってください?」 僕がタクシーに乗っている間に何があったのか。 急いで頭の中で追いかける。 「……!? もしかして相楽さんは、僕にそのデザインをさせるためにクライアントに頼み込んだんですか!?」 「いや、まさか君1人の力で有名メーカーを落とそうとは考えてないでしょ。僕ら全員でやるんだ」 玄関先で話す僕と橘さんを、他のメンバーたちがそれぞれのデスクから見ていた。 みんなはどこか、疲れた顔をしている。 「忙しい時にそんな話を持ってこられて、僕らも困ってるんだけどね……。相楽が提案するって言っちゃったなら仕方ない」 橘さんが苦笑いで、みんなの顔を見回した。 (それってやっぱり、僕のせいじゃ……) アイデアとデザインで、もっと大きな仕事を取りましょう――相楽さんをそうけしかけたのは僕だった。 「とにかくまずはアイデア出しだ。それからいけそうなアイデアをいくつか見繕って、デザイン案を作っていく。明日朝イチのミーティングで、手描きレベルのラフを持ち寄ろう」 橘さんのその声に、みんなが「はい」とか「ふぇい」とか返事をする。 「荒川くんは相楽の席を使って。PCのパスワードも相楽から聞いてるから」 「使って大丈夫なんですか?」 「他にないから、あれを使う他ないでしょ。今は1案でも多くアイデアが欲しい」 橘さんの言葉に、僕は戸惑いつつも頷いた。 相楽さんのデスクはみんなのいる島を向いて、少し離れたスペースにある。 いかにも社長席という感じで居心地が悪いけれど、ここしかないなら仕方ない。 僕は相楽さんのマックを立ち上げ、クレアポルテのことを検索する。 商品ラインナップとブランド名の由来。 ブランドのウリと過去の広告展開。 それからユーザーの評判や評価も覗いていく。 この辺りはみんなより先に調べ、情報を共有した。 調べものをするだけで定時を過ぎてしまった。 橘さんが声をかけてくる。 「荒川くんはもう上がって」 飛び込みでこの仕事が入ったせいか、他のみんなは誰も帰っていない。 「でも明日の朝までにラフを描かなきゃですよね? もう少しいさせてください」 僕はそう言うと、橘さんは苦笑いで頷いた。 * それから3日。 事務所のみんなでラフ案を出し合い、よさそうなものをまとめてアートディレクターである相楽さんのチェックへ回すという作業が続いた。 2日目には相楽さんからもう少しコンセプトを絞るようにという指示が来たものの、以降はただやり直しを食らうばかりだ。 向こうの広報部へ提案まで、営業日でいえばあと2日しかなくなっていた。 これでは相楽さんからOKが出ても、デザインを作り込む時間はあまりない。 今すぐ、もっと具体的な指示が欲しい。 ところが普段から外回りの多い相楽さんは、今日も事務所に戻る予定がなかった。 「社長はどこにいるんだよっ!」 日も沈んでしまった頃、そばかすの彼、久保田さんが悲鳴を上げた。 久保田さんは25歳、事務所1番の若手だった。 上下関係にとらわれず言いたいことは言う現代っ子だ。

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