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第35話:ハワイアン・ジントニック4

「面白そうだろ!? お前もやるか?」 「あれはさすがに無理ですよ! あんなのやったことないし……」 「俺だってやったことなんかないよ! やったことがないことをやらなかったら、人生つまんねーじゃん」 それでも固辞すると、相楽さんは他のメンバーを誘いにいってしまった。 僕は緩やかな弧を描く湾の景色、そして国際色豊かな人々の姿を遠巻きに眺める。 それから木陰を見つけて読みかけの小説を開いた。 太平洋のど真ん中、時間はゆっくりと過ぎていく。 文字を追うのに疲れてふと目を上げると、相楽さんらしき後ろ姿が、水上スキーで沖合へ向かっていくのが見えた。 「ヒャッホーッ!」 楽しげな歓声が聞こえる。 その声は間違いなく彼だ。 (あの人もあんまり寝てないくせに、なんであんなに元気なんだ……) 水しぶきを上げる水上スキーを遠目に見ながら、僕はふと、不思議な爽快感に包まれる。 相楽さんは今週、テレビの仕事のために駆け回り、飛行機の中でもずっとノートPCを開いていた。 僕が彼なら今頃みんなと離れ、ホテルで寝ていると思う。 それなのにあの人はあんなに元気だなんて。 僕より6つか7つ年上の相楽さんに、どうしてそんな体力があるのか分からない。 「あの人は宇宙人か……」 呆れながらつぶやく。 そして異国のビーチに残された僕は、自分と超人的な彼との違いに、ほんの少しの寂しさを感じていた。 * 1日目の午後をビーチで過ごした僕たちは、また集まって夕食を取り、日暮れとともにホテルにチェックインした。 「あのう、僕の泊まる部屋は?」 引率の先生みたいになっている橘さんに聞いてみると、彼はルームキーを渡しながら教えてくれる。 「荒川くんは相楽と同室」 部屋はツインに簡易ベッドを追加した3人部屋が2つに、ツインが2部屋。 これに10人が収まる形になるらしい。 「明日は8時、ロビーに集合だから。それまでは自由にして」 (そっか、相楽さんと一緒なんだ) 僕はホッとしながら、各部屋へと分かれていくみんなを見た。 そしてあることに気づく。 「あれ……相楽さんは?」 夕食の時にはみんなといた、相楽さんの姿がどこにもなかった。 「あー、相楽ね……」 なぜか橘さんが、困ったように天然パーマを掻き回す。 「夕食の時、隣のテーブルにいた地元のオジサンたちと意気投合しちゃったみたいで……」 そういえば相楽さんは、流暢な英語で隣と楽しそうに会話していた。 リスニングがそれほど得意でない僕は、何か話してるなくらいにしか思わなかったけれど……。 「もしかして……その人たちに誘われて、どこか行っちゃったとか?」 「そうみたい。そのうち戻ると思うけど、旅先で団体行動が取れないヤツは困るよね……」 橘さんが、乾いた声で笑った。 * ホテルの客室に入って数時間。 相楽さんが戻ってくることも、何かしらの連絡が来ることもないまま、僕は彼のスーツケースと向き合い、アメリカサイズの部屋で暇を持て余していた。 持ってきた文庫本はとっくに読み終わり、明日の観光の下調べもすっかり済んでしまっている。 退屈しのぎにテレビをつけてみても、これといったものはない。 ふと立ち上がって窓辺に行き、はめ殺しの窓から外を見る。 そこにはオーシャンビューが広がっていて、明るい時間ならきっときれいな景色なんだろと思った。 だが、すっかり夜も更けてしまった今、真っ黒な海はどこか不吉な気配を漂わせ、そこに横たわっているだけだ。 (相楽さん、大丈夫なのかな?) 時が経つにつれ、胸の中の不安は次第に膨れあがっていく。 夕食のレストランで隣に居合わせた人たちが、善人とは限らない。 そうでなくても何かのトラブルに巻き込まれ、帰ってこられずにいるということも考えられた。 ここは異国の地だ。何があっても不思議はない。 (どうしよう……) 日本から持ってきた僕のスマートフォンは、海外で使える契約をしていない。 橘さんならその手はずをしているはずだけれど、もう寝ているかもしれないこの時間に、相楽さんが帰ってこないことを相談すべきなのかどうか迷った。 (あの人が帰ってこないなんて、東京でも日常茶飯事なんだし……) それでも暗い海を見ていると、いても立ってもいられなくなる。 いつの間にか時刻は深夜を回っていた。 僕はルームキーを手に部屋を出る。 エレベーターに乗り、とりあえず1階に向かってみた。 深夜のこの時間、1階のロビーには明かりはついているものの、誰もいなかった。 正面のガラス越しに、表の通りと、その向こうに広がる暗い海が見える。 車が1台2台、ガラス越しに見る通りを横切った。 ヘッドライトの光が、ツーっと線を描いて目の奥に焼き付く。 この先にある繁華街から帰る人なのか、この時間でも車通りは絶えない。 そうしてぼんやりと車の流れを眺めていた時、ホテルの車寄せにタクシーが1台走り込んできた。 (相楽さん?) ふらふらとした足取りでタクシーから下りてきたのは、思った通りの後ろ姿だった。 (あれはどうも酔ってるよな) 何事もなく帰ってきたことにホッとして、心配させられたことに苦情のひとつも言いたくなる。 足が勝手に、ホテルの表に向かっていた。 ところが相楽さんは、こちらを振り向きもせず通りに向かって歩きだす。 (え……?) 走り去るタクシー、そして後方から別の車がやってくる。 大きなアメ車の速度にひやっとした瞬間、相楽さんが小走りに車道へと飛び出していった。

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