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第36話:ハワイアン・ジントニック5

(前後も分からないなんて、どんだけ酔っ払ってるんだ!) ダッシュで出ていき、波の音と車の走行音に逆らって声を張る。 「何やってるんですか! 曳かれます!」 (駄目だ、聞こえてない!) 迫るヘッドライトを見て、もう間に合わないと思った。 僕は走っていって彼の背中を突き飛ばし、一緒に反対側の歩道へ転がる。 車の作り出す風圧と走行音が、後ろから耳を襲った。 (助かった……?) 振り向いて、走り去っていく車のバックライトを見送る。 そして胸を撫で下ろした時だった。 「……いった! 何すんだ!」 海沿いのフェンスに頭から激突した相楽さんが、体を起こし僕を睨んだ。 その彼の胸元から、何かが転げ落ちる。 「……えっ?」 転げ落ちたものは自ら道を駆け、海岸の岩場へ消えていった。 「仔猫……?」 「そうだよ! 俺はただ、あいつを助けようとして」 (え、と……つまり相楽さんは、曳かれそうな仔猫を助けようとして飛び出した?) 「すみません! 僕はてっきり、相楽さんが酔っ払って道に出ていっちゃったのかと……」 近づいていって見ると、相楽さんは額に派手なすり傷を作っている。 猫を抱いていたせいで、僕に突き飛ばされた時に受け身が取れなかったんだろう。 「本当にすみません!」 「いや実際、酔ってるは酔ってるけど……」 相楽さんはフェンスに背中をつけ、空をあおぐようにして座り込む。 「だ、大丈夫ですか? どこ打ちました!? おでこ以外は」 「違う、ただ……気持ち悪ぃ」 後ろを走り抜けていった車が、一瞬、強い光で相楽さんの姿を照らし出した。 着ているTシャツは湿っていて、首筋にも汗が浮かんでいる。 顔色もずいぶん悪かった。 「本当に、あなたって人は……」 呆れてしまい、僕の方が崩れ落ちそうになる。 そもそも相楽さんが酔ってふらついていなければ、僕も彼を突き飛ばすことはなかっただろう。 だからと言って、僕が不注意で怪我させたことには変わりないけれど……。 泣きたい気分になりながら、僕は彼の体を引き起こした。 「部屋に戻りましょう。そのおでこも、消毒しないと……」 脇から抱え上げると、アルコールの香りが漂ってきた。 それからしっとりとした汗が、腕に触れるのを感じる。 支えて歩く僕に甘えるように、相楽さんが片腕を首に回してきた。 「ミズキ、なんかいい匂いがする」 「相楽さんはお酒臭いですよ……」 けれどもその匂いの不快感より、切ない愛おしさが勝ってしまう。 「本当にもう……でも生きて帰ってきたから、許します」 「なんだそれ」 「だから……心配かけすぎなんですよ!」 重い体を急いで行きずり、夜の道路を横断する。 そして肩を貸したままホテルのフロントを通過し、エレベーターに乗り込んだ。 僕がさっきまでロビーにいたのを見ていたのか、フロント係は何も言わない。 そのことに感謝しながら、エレベーターの内側に相楽さんの背中を押しつけた。 痛々しい額の傷が目に留まり、胸がぎゅっとなる。 見つめていると、彼は口の端でかすかに笑った。 「見つめるほどいい男か?」 そんな冗談を言うくせに、息が苦しげだ。 「気分悪いなら、黙っていたらどうですか?」 「それじゃなんだか、間が持たないじゃん」 「そういうこと、気にする人だとは思いませんでした」 皮肉を込めて言うと、彼の口元から苦しげな笑いが消えた。 「俺もさ、早くミズキのいるところに戻ってきたかった」 「で、どこ行ってたんですか?」 聞いてほしかったのかな、と思いながら返す。 すると相楽さんの片頬に、歪んだ笑いが浮かんだ。 「おねえちゃんのいる店?」 「は……?」 「……に、連れていかれて、すっごい大歓迎された」 「はあ……」 それをどんな思いで口にしているのか、僕には理解できない。 自慢にしては悲しげだし、口ぶりからしてオチがある話でもなさそうだ。 「それで?」 首をかしげつつ先を促すと、エレベーターの壁に寄りかかっていた彼が、僕の肩に軽くもたれかかってきた。 「いま言っただろ、ミズキに会いたくなったって話だ」 「キレイなお姉さんより、僕がいいんですか?」 「んー、なんでだろうな。最近ずっとそう」 相楽さんの笑った吐息が、首筋に当たる。 胸が甘く疼いた。 「それにしては、全然帰ってこないじゃないですか」 エレベーターがポーンと鳴り、客室のあるフロアに到着する。 相楽さんは不快感が収まったのか、自らエレベーターを下り、僕のあとに付いてきた。 「あー……せっかく橘さんに頼んで、ミズキと同室にしてもらったのに」 そう言いながら相楽さんが、手前のベッドに突っ伏す。 「今日はもう、何もできそうにない」

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