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第54話:棒を掲げるブルドッグ4

今度は自分の方から引き寄せて、彼の熱を感じる。 「本当に驚きましたよ、こんなことして」 「見てくれてたんだ? 俺の壁画」 「鳥取と大阪は見に行きました。ほかはネットで」 「そうか。残念ながら、ネットで発見されてないのの方が多いんだよなあ」 「なっ……! 勿体ないことしますね、あなた一応、有名なクリエイターなんですよ? 僕みたいなファンもいるのに」 「まあ、半分リハビリのために描いたやつだしな」 相楽さんは手に持っていたハケを置き、タブレットで撮影した他の壁画も見せてくれた。 「ホントに勿体ない!」 口に出る感想はそればかりだった。 落書きにしか見えないものも多いけれど、どれも明るくてキュートな、相楽天のカラーがにじみ出ている。 「これ、ネットにアップしちゃいましょうよ」 「え、マジで?」 相楽さんは、意外そうな顔で頬を掻く。 「だって、このまま消えちゃうのは惜しいですもん! 九州と山口のやつはもうなくなっちゃってましたし……。アップして相楽天の作品だってバレたら怒られるかもしれませんけど、あなたは怒られて懲りるような人じゃないですよね?」 「……まあ。ミズキがそうしたいなら好きにしろ」 許可が下りたので、僕は彼のタブレットから一連の作品を電子の海に放り投げた。 「あとは、これですか」 目の前の巨大壁画は、見たところ完成度9割といったところだ。 「そうそう、これ早く描いちゃわねーと。次に警備の巡回が来た時は、さすがにバレる」 言いながら、相楽さんがハケを持ち直す。 「……っていいますと?」 「俺、頼まれた業者だって言い張ってここにいるから。普通に問い合わせられたらバレんだろ。30分くらい前に来たおっさんも、露骨に怪しがってたし……」 この夜中に問い合わせ先が営業しているか分からないけれど、その警備員さんが職務に忠実なら、なんとかしてしまうかもしれない。 「て、手伝います!」 僕も慌てて、足下に置かれているハケを持ち上げた。 相楽さんが半年かけたこの巨大プロジェクトを、完成間際で強制終了させることは僕だって望まない。 この人は沖縄から描き始めた一連の壁画を、明後日の新国立競技場の落成式に合わせ、ここで完成させようとしているのだ。 『400days to the Tokyo』の文字を大阪で見て、僕はそれに気づいた。 なぜなら、あの動画事件さえなければ、ここのデザインは相楽さんが手がけることになっていただろうから。 「僕はどうすればいいですか?」 「じゃ、ミズキはそこのとこ、赤く塗って」 「了解です」 「ああ、そこは面積からいってローラー使った方が早いな」 「ローラー……これですね、分かりました!」 相楽さんと並んで、僕は壁画に手を入れ始める。 大切な作品だ、慎重に。 そして素早く正確に。 額に汗がにじみ、体の隅々まで緊張感と充実感が広がっていった。 やっぱりこの人のそばが僕の仕事場だ。 なんだか悔しくもあるけれど、それを実感する。 「ところでミズキ……今はどこの事務所にいんの?」 ハケを動かしながら、相楽さんが聞いてきた。 何気なくも聞こえたけれど、それはきっと彼が気になっていたことなんだと直感する。 「どこって、僕の事務所はテンクーデザインだけですけど」 こっちも何気なく、さらりと返してやる。 「はあっ!? お前な、俺がどんな思いでお前を手放してやったと思ってんだ!」 彼の怒った顔を見て、なんだか胸がすっとした。 僕は手を動かしながら続ける。 「黙って置いていけば、僕があなたのこと諦めるとでも思ったんですか。ちゃんと責任取ってください。半年前にも言った通り、僕はもうあなたの色に染められてるんですから」 相楽さんはため息交じりに言う。 「加勢井先生のところでも橘さんのところでも、好きなとこ行けばよかったのに……ホント馬鹿だよな。俺にこだわったって何もない。今はボランティアどころか、頼まれてもいねえ押し売りの壁画制作くらいしか……」 ブツブツ言っている拗ねた横顔を見て、胸が甘く締めつけられた。 「それでもいいんです。あなたのそばにいられれば……」 そこで向こうから、廊下を走る足音が聞こえてきた。 「……!」 足音はひとつじゃない。 おそらく2人か3人。 無断での壁画制作が警備にバレたとみて間違いなさそうだ。 「相楽さん!」 「ああ、おいでなすったみたいだな!」 壁画は完成間近といったところだけれど、相楽さんはまだ筆を置いていない。 「どうします?」 「逃げるしかないだろ!」 ふたり転がるようにして、足場から下りた。 「多分、僕が来た駐車場の出入り口からなら――…」 そちらへ誘導しようとして、彼が付いてきていないことに気づく。 「ちょっと、何やってるんですか! 本気で捕まりますよ!?」 「悪い、いま行く!」 壁画の下に立ち止まっていた相楽さんが、ようやく僕を追いかけてきた。 その間にも、向こうから来る足音は近づいている。 「おい、いないぞ!」 「そっちだ!」 緊迫感たっぷりの声が追いかけてきた。 まるでアクション映画のワンシーンだ。 高い天井に響く声と、迫る足音を聞き、そんなことを考える。 「俺はともかく、ミズキを警察に行かせるのは本意じゃないしな!」 追いついてきた相楽さんが、僕の腕を力強く引き寄せた。 相楽さんの方が足は速い。 それから僕らは、手に手を取り合って駆け続けた――。 *

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