58 / 58
第58話:棒を掲げるブルドッグ8[最終話]
それから会えなかった時間を埋めるように、お互いの気持ちと体を幾度も確かめ合ったあと――。
再会2日目の夜を迎えた僕たちのところに、早乙女さんから電話がかかってきた。
「ちょっと相楽くん、あれは卑怯じゃないの!?」
相楽さんがスマホを耳元から離し、顔をしかめてみせる。
(早乙女さん、なんか怒ってるみたいだけど……)
僕はドキドキしながら、断片的に漏れ聞こえてくる2人の会話を耳で追った。
「……早乙女さん、なんて言ってたんですか?」
しばらくしてスマホを下ろした相楽さんに聞くと、彼は得意げな笑みを浮かべる。
「壁画、あのまま使うことになったらしい」
「えっ、よかったじゃないですか!」
「だから、明日の落成式までに仕上げに来いってお達しが。それから後付けでいいから、企画書も書いてこいってさ。そしたら企画料とデザイン料を振り込むって」
「ん……? ちょっと、話が……」
ボランティアどころか押しかけ押し売りのあの壁画に、組織委員会がお金を出すということなんだろうか。
どうしてそうなるのか、僕にはさっぱり分からない。
「相楽さん、いったい何をしたんですか」
画材をバッグに詰め込もうとしている、相楽さんの前に回り込んだ。
「何したって……ミズキが仕掛けたことだろ」
「僕が?」
ますます話が分からない。
「俺はミズキがアップした壁画の写真に、競技場のやつを追加しただけだ」
「アップした写真……!?」
慌ててスマホを取り出し、昨日SNSにアップした壁画写真の投稿を見る。
それに競技場の1枚が追加され、丸1日経った今、ものすごい勢いで拡散されていた。
知らない誰かが、ご丁寧にまとめページまで作ってくれている。
「これだけ話題になってる壁画を塗りつぶしたら、組織委員会も世間から無粋だって叩かれるもんな。だったら初めから乗っかっちゃえってことになったわけだ」
「けど、競技場の壁画の写真はいつの間に……」
首をひねってから思い出す。
「そういえば相楽さん、あそこから逃げる時……」
彼は足場から下りたあと、すぐには走りださずに壁画を振り返っていた。
あの緊迫の瞬間に何をのんびりしているのかと思ったけれど、写真を撮ったとしたらそのタイミングしか考えられない。
その証拠に、SNSにアップされている競技場の壁画も、下からのアングルのものだった。
「もしかして、あの時からこうなることを目論んで!」
「当たり前だろ。これでも考えて動いてる」
相楽さんがニヤリと笑い、こめかみを叩いてみせた。
「本当にズルい人ですね」
思えば、出会った時からそうだった。
この人は僕を利用しようとしてここへ連れてきた。
そして今でも、いろんな意味で利用されているだけなのかもしれない。
「とりあえず、競技場までタクシーだな。お前も早く着替えろよ」
その証拠にこの人は、今この時もやっぱり僕に手伝わせる前提で話を進めている。
「本当にあなたは……」
「なんだよ、怒ってるのか?」
バッグを持ち、上着を羽織った相楽さんがこっちを向いた。
その顔を両手で挟み、僕は不意打ちのキスをする。
彼がパチパチとまばたきした。
「怒ってません、もういいです。あなたの勝手に、とことん付き合います!」
「ん……」
彼はほんの少し頬を緩め、愛嬌のにじむ笑顔を見せた。
2019年、東京。
2度目の東京オリンピックが来年に迫っている。
その時もまだ僕は、この人と一緒にいられるんだろうか。
ううん、逃がしはしない。
憧れの人の背中を追いかけ、僕は夜中のタクシーに向かって走った――。
<了>
──
読了ありがとうございました!
この物語が少しでも誰かの心に残るものであればと思います。
最後に評価、感想等をいただけますと嬉しいです。
ともだちにシェアしよう!