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16(完)

 祐太はセカンドバッグを開けると、一枚の紙を取り出して何やら書き付けると、睦月にすっと差し出した。 「はい。これが請求書っす」  睦月は差し出された紙に書かれた金額を見て、目を瞠る。 「祐太くん……これ」 「ええ。税込みで3万5千円です」  睦月の表情が、驚きからやがて怪訝なものになる。 「ダメだよ。これ、見積書通りの金額じゃないか」 「そうっすよ」 「そんな……僕、パソコンのセットアップとか、他にもいろいろ手伝いを頼んだろ。その分をどうして請求しないんだよ?」 「あれは、いいんです」 「でも……」 「いいんです!」  睦月が言い募ると、強い口調で祐太が遮った。 「いいんす。それ、仕事だからやったわけじゃないから」 「祐太くん?」 「俺が……俺自身が、したくてやったことです」  仕事なんかじゃなかった。少しでも長く睦月と一緒にいたかった。できれば、いつまでも──ずっと一緒に。 「でも……やっぱり悪いよ。僕、キミが快く引き受けてくれるのにつけこんだんだよ。その分を報酬として請求してくれなきゃ、なんかすっきりしないよ」 「じゃあ、お金じゃなくていいです」  祐太のセリフに、睦月はドキッとした。  お金じゃなくていいって。  それって、もしかして──。 「明後日、買い物に行きましょう」 「は?」  思ってもみなかった申し出に、睦月は聞き返す声がつい裏返ってしまった。それに気づかなかったのか、祐太はそのまま朗らかに話を続ける。 「明後日、俺、仕事休みなんです。見たカンジ、睦月さんいろいろと買い揃えなきゃいけないの、結構あるでしょう?」 「うん、それはそうなんだけど……」 「じゃあ、俺と一緒に行ってください。あ、これはべつに仕事とか関係なくて、俺個人が睦月さんと買い物に行きたいんです」  今までとは違い、否とは言わせない強引な口調だった。  そんな祐太の一面を目の当たりにして、睦月は初めて彼に名前を呼ばれた時のような胸の高鳴りを覚える。  顔が熱くなってきて、それをごまかすために俯いて立ち上がった。 「睦月さん?」 「さ、財布取ってくる」  睦月はなるべく祐太の方に顔を向けないようにしながら答えてキッチンに足を向けると、背後から祐太の声が追いかけてきた。 「睦月さーん。コーヒー、おかわり」  振り返ると、祐太がマグカップの取っ手に指をかけてブラブラさせながら、笑顔で自分を見つめている。睦月が拒否しないのを予めわかっているような態度。  ──こんな子だったっけ?  戸惑いながらも、睦月は祐太からマグカップを受け取った。  買い物に誘った強引さも、コーヒーのおかわりを当たり前に要求する不遜さも、不思議と嫌ではなかった。  それどころか、それらが新鮮に見えて眩しささえ感じる。  高鳴った心臓は、いまだにドキドキと早い鼓動を打って、息さえ苦しくなりそうだ。 「ほら、コーヒー」 「どうも」 「それから、これ……引っ越しの代金」 「ありがとうございます」  睦月がテーブルの上に代金を置くと、祐太は正座をして深々と頭を下げた。それを見て、睦月がふっと微笑んだ。 「なに、急に営業モード入ってんだ?」 「いや。いつでも営業モードですけど」 「そうかなぁ」  睦月がそう言うと、二人そろって笑いだす。だが、祐太の方は笑いながらもしっかりと睦月が置いた札を数え、バッグから領収書を出してサラサラと金額を書いていく。  体格の良さから、しっかりとした力強い字を書くのかと思っていたら、意外にも祐太は流れるような軽いタッチの字を書いた。  そんな小さな発見も嬉しくなっている自分に、睦月はちゃんと気づいていた。 「──はい。これ、領収書です」 「うん」 「で?」 「え?」 「だから、明後日」 「明後日?」 「返事……聞いてない」  拗ねた口調で言いながら、祐太が唇を少し尖らせる。睦月はまた笑みを押さえきれなくなった。  ほんとに。この青年といると、どうしてこんなに楽しいのだろう。笑顔を、笑い声を止められない。  いつまでも笑っていて何も答えない睦月に、焦れたように祐太が呼びかけた。 「睦月さん?」 「ごめん、わかってる。行くよ、行きます」 「なんか、おざなりな返事だなぁ」 「行くよって言ってんだから、いいじゃん」 「ほんとに?」 「行くって宣言したのは、祐太くんの方だろ」  睦月が言うと、祐太はやっと笑顔になった。 「まずは、どこから行きましょうか?」 「そうだな──」  二人でああでもない、こうでもないと明後日の予定を話し合う。  互いの間に「何か」が芽生えていることに、祐太はもちろん睦月も気づいていた。だが、今はそれには知らん顔をして、目前のやりとりを楽しんでいた。  まだ、芽生えたばかり。  萎れないように。枯らさないように。大切に育てていきたい。  結局──。  祐太が社長であり、実の叔父でもある徳倉の元にワゴン車を返したのは、日付が変わってから2時間後のことであった。 便利屋さんの恋 end. (C)葛城えりゅ 初稿:2006.07.25 (フォレストノベル※現在は削除済) 第二稿:2006.11.15 第三稿:2008.11.03 第四稿:2019.03.12

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