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 やがて、睦月は肩を落としてふう、と息を吐く。 「ダメだな……。あれだけ大泣きしたんだから、吹っ切れたつもりでいたのに……」  独り言のように睦月が呟く。その声には、落胆の色が濃くなっている。  なんてことない話題に、さりげなく出てくる元カレの名前に嫉妬してしまうが反面、睦月のそういった反応を無理もないことだと祐太は思っていた。  何年も一緒に暮らしていたのだ。きっと、睦月の中でその元カレは、生活の中に当たり前に空気のように存在していたのだろう。  大泣きしたくらいで、抹消できるわけがない。だから、ありきたりな励ましの言葉しか口にできなかった。 「少しずつ、忘れられますよ」  淡々とした口調で発せられた祐太の言葉。内心では歯がゆく思っている祐太だったが、なんでもない風に言われることで、睦月の心は逆に癒され温かくなっていく。 「……そうだね」  睦月がそう言って微笑むと、祐太は軽い口ぶりで返してきた。 「なんなら、お手伝いしましょうか?」  セリフの意味がわからずきょとんとする睦月に、祐太は優しい眼差しを向けて提案してきた。 「1人でいると、つい元カレのこととか考えちゃうでしょ? 睦月さんが気晴らししたいなら、それに付き合いますよ。俺、運転できるから、車出してドライブに行ったりするのもいいし、車で出かけなくても、映画とか、どっか遊びに行くのもいいし……あ! 飲みにも付き合えますよ。俺、そこそこ強いんで」 「祐太くん……?」  睦月の胸が、トクンと高鳴る。祐太の言葉に、何かを期待している自分がいる。 「夜中に寂しくてまいった時は、ケータイの番号とメッセージアプリのアカウント教えますから、電話でもメッセージでも、どんどんしてくれていいっすよ」  いいのだろうか。そこまで、彼に甘えてもホントにいいのだろうか。 「俺──便利屋だから」  続いた言葉に、睦月は冷水を浴びせられたような気がした。期待という名の風船が、みるみるうちに自分の中でしぼんでいくのがわかった。 「俺、便利屋だから。睦月さんが好きな時に依頼してくれれば、いつだって応じますよ」  勢いに任せてつらつらとしゃべってはいたが、祐太は声が緊張で震えそうになっていた。  便利屋だからと、まるで仕事の範疇内だという風に言ったのは、睦月に変な負担をかけたくなかったからだ。  本当は、仕事なんて関係ない。祐太自身が、睦月と少しでも一緒にいたいのだ。  軽い口調で提案したが、実はかなり必死だった。こんなに真剣に考えぬいて好きな子をデートに誘ったことは、今までの祐太にはなかったことだ。  祐太の言葉を、睦月は目を瞠って聞いていたが、祐太の瞳をしばらくじっと見つめたあとクスッと笑った。 「なんか……高くつきそうだな。そんな依頼したら」  そう言って、可笑しそうにクスクスと笑い続ける。  最初は祐太の便利屋だからという言葉を聞いて、一気に身体が冷えていくような気持ちになった。変に期待した自分を即座に戒めた。  だが、仕事を盾にした言葉を吐くくせに、まるで懇願するかのような祐太の態度は、どこか切羽詰まったような必死さが見え隠れして可愛く見える。 「あ、依頼料はいらないっす。研修明けたばかりの新人だし、睦月さんは俺の──俺が、単独で担当した最初のお客様だから、特別に無料です」  祐太はそう言って、残りのコーヒーをごくごくと飲み干した。 「そうなんだ」 「はい」 「じゃあ……、お願いしようかな。とりあえず、ケータイの番号教えてくれる?」  睦月は、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。 「あっ!」  いきなり大声を出した祐太に、睦月はびっくりして首をひゃっとすくめた。 「な、なに?」 「あ、あの、先に引っ越しの依頼料の精算をしていいっすか?」  けじめをつけて、あらためて番号交換をしたかったので、祐太はそう切り出した。 「え? 無料じゃなかったの?」 「睦月さん……それ、マジで言ってます?」  祐太がうらめしそうに軽くにらむと、睦月は腹を抱えて笑いだした。 「あはは! 本気で信じてやんのー!」 「ちょっ……ひどいっすよー」  ムスッとして祐太が呟いても、睦月はまだ笑っている。引っ越しの車中でもそうだったが、どうやら彼は笑い上戸らしい。一度笑いのツボを押されたら、止まらなくなるようだ。  目尻に涙を浮かべて笑う睦月を見つめながら、祐太は思った。  ……こんな風に、少しずつこの人の全開の笑顔を増やしてあげたい。  本当はそうでもなかったのだが、わざとらしく不機嫌な態度をしてみせながら祐太は立ち上がった。その瞬間、睦月の笑いがぴたりと止まり、不安そうな瞳で祐太を見上げた。すると、今度は祐太がそれを見てニヤッと笑った。少し意地悪な色をのせた瞳で。 「引っ越しの精算、してもらえるんですよね?」 「う、うん……」 「玄関のげた箱の上に、請求書が入っているバッグを置いたままなんです。取ってきますね」  そう言って、祐太はすたすたと玄関まで行き、社長から預かった小汚いセカンドバッグを手にすると、リビングに戻って元の位置に座る。横目で睦月の様子を窺いながら、祐太は心の中で呟いた。  大丈夫。俺とこの人は、もっと近づける。  だって、この美しい人は自分が目の前に座ると、明らかに安心したような表情になったのだから。

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