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最終話

 借り物のシャツに顔を埋めて、ボタンを外すのももどかしく裾から手を入れてきた弘人が小さく毒づいた。 「他の男の服なんか着ちゃってさ。風呂も借りたんでしょ、知らない匂いがする」  嫌そうに、少し雑に捲り上げようとするから、湊は笑いながら自分でボタンを外した。 「さすがに下着は借りてないから、許せよ」 「……えっ、じゃあまさかのノーパン? これ下もあの人のでしょ。それはそれで許せないんだけど」  ずぼ、と下に手を突っ込んでまさぐりながら、あ、穿いてると呟いた背中をぺしっと叩く。 「ばか。コンビニで買って来てもらったんだよ、ボディガードの人に」 「それってあの黒服の人たちだよね。あんなカッコでコンビニでパンツとか、どんな顔して買ったんだろ」  くすくす笑いながら耳を舐るから、吐息がさやさや当たって擽ったい。生地を引っ張ったりゴムを撫でたりしていた指が、徐々に中心に伸びてくる。  意図を持って形をなぞられて腰が浮いた。 「手……」 「……ん?」 「ごめんね」  弘人の上半身を剥いた手を取られ、手首に口付けられる。  くっきり浮かんだ痕を生温かい舌で舐めながらちらりと見下ろしてくる、その妙に艶っぽい視線に射抜かれた。  弘人の手の中であやされていたものが、摘まれたように布を押し上げてくる。 「弘人、……お前実は、あんまり悪いと思ってない、だろ」  布越しの愛撫はもどかしい。  直接触れて欲しくて、腰を押し付けながら弘人の裸の胸に取り戻した両手を滑らせた。  胸筋に沿って撫で上げて、二の腕を閉じさせ手のひらを挟む。こうすると彼の脈動が直に感じ取れて好きだ。  その仕草に相好を崩しつつ、弘人は湊の希望通りに下着の中に手を入れた。 「うん。実は、消えなかったらいいと思ってる」  歪んだ独占欲を笑顔で吐露されても、降りてきた唇がしっとりと重なったら、まあいいかという気分になるから不思議だ。  くぐもった喘ぎも、ささやかな不満も、弘人の中に呑み込まれていく。  それがこんなにも心地好い。 「現実問題、これ消えなかったら、面倒だなあ……」 「傷にはなってないから、大丈夫だと思うけど」  少し胡乱な眼で消したいのと責められても。  こんなあからさまな痕を晒して歩ける程肝は太くないつもりなのだが。 「お前にも付けてやろうか」  下着から引き摺り出したものをゆるゆる擦っている手を握って、手首に指を滑らせる。筋や血管を引っ掻いて、今弘人が自分にしているように擦ってやったら、期待を孕んだ眼で見つめられた。 「そんなのがお揃いだなんて、指輪とかよりよっぽど意味深でいいね」  付けてよ、と甘やかな低い声で唆されてぞくりとする。 「怒られるよ、平坂さんから」  弘人がすでに兆している下半身を押し付けてきたから、ベルトを外して前を寛げてやる。紺色のボクサーパンツの中で、窮屈そうに身を起こしているものを取り出して両手で支えた。 「怒られたっていいよ。ちょっとおっかないけど……ん……」  弄り出すと、はあ、と艶めいた吐息が耳を掠めて、自分の下肢もより熱を持っていく。  しめやかに流れ始めた水音に煽られ大胆になっていく二人の手がぶつかるのが少し痛かったが、膨れ上がった弘人の前を熱心に弄っていたらそんな痛みはすぐに忘れた。  荒くなっていく呼吸が時折絡まり合うのがまたいい。至近距離で眺める顔が男臭くて、その瞳の中に自分がいるのが堪らなくて、情が溢れる。  先走りを絡めた弘人の指が、股の間を往復した。数時間前に一度受け入れたばかりの場所をぐっと押され、はっとしてストップをかける。 「ちょっと待って」 「ん? 嫌?」 「そうじゃなくて……それだと痛いから、ローション使って」 「あ、そっか」  精液で解されてもすぐに乾いてしまって、いざ挿入という段になったら死ぬ思いをするのだ。勃起したものをぷらぷらさせながら道具を取りに行く弘人には大変申し訳ないが、痛いのはもう嫌だ。  気持ちを繋ぐセックスなら、体も気持ち良い方が絶対にいい。  戻ってきた弘人が手早くローションを温めて湊の後ろと自分の前に塗り込めていく。まだ柔らかい後孔はすんなり彼の指を食み、刺激を求めて勝手に蠢き始めた。 「うーん、やらしい。もう兄さん、俺なしじゃまともな性生活送れないんじゃないの」  くちゅくちゅ抽送させながら嬉しそうに言われて、むず痒い熱を堪えながら弘人の首に腕を回す。  性生活どころか、弘人が居ない間の自分は。 「俺の健康はお前にかかってるから、よろしく頼むよ」 「えっ、何そのダメ人間宣言。喜んでお受け致します」 「いっ……つ、こら、指……あ」 「……ここ、好きだよね」  中に入れた二本の指を開いて、三本目をじりじり挿入してくる弘人にやに下がった顔で見られていてどうしようもなく気恥ずかしい。意地悪く腫れてきた前立腺を転がしたり躱したりと焦らされると、奥が疼いてくる。  それを知っていてそうするのだから本当に性質が悪い。 「も……っ、あ、あ」 「……やっばい、感度凄くない? さっきと全然違う……。興奮する」 「そりゃ、……あっ」  愛されている実感の中で与えられるものと、そうでないものは大きく違う。  心の満ち方は体にも影響を及ぼすもので、やはり体を繋ぐなら心も欲しい。 「はあ……凄いね、とろとろ」  お前の顔の方が余程とろけてると言いたかったが、言えなかった。 「っ、ぅ……ん、ん……っ、」 「……ずるずる入ってくよ、ほら」 「言う、なよ、そういうこと……っ」 「何で? 知りたくない? 自分のここが俺のでどうなってるかとか、どう呑んじゃうのか、とかさ……」 「あっ、あ、あ」  耳から入る声や、その言葉や、それを証明するようないやらしい音に湊がどう反応するか熟知している男に、どんどん追いやられていく。  粘つく視線が全身を這い回るあまりの羞恥に腕で顔を隠したら、それはこっちと剥がされて背中に回させられた。  動き難いだろうに、弘人はこうして湊を抱きながら湊に抱かれるのが好きだ。  甘えたがりの弟らしい可愛らしさに、ちっとも可愛気なく乗っかられているのに微笑ましくなってしまう。  自分に母性本能というものがあるとしたら、この気持ちがそうなのだろうか。それともそういうものとは全く別の感情なのだろうか。  分からないが、その感情がただ愛おしいものであるという事だけは解っている。  とても大切で、素晴らしい事なのだとも。  それさえ分かっていれば、この先二人の間で何があろうと、何が立ち塞がろうとも、悩み苦しむことはあってももう迷いはしない。  一人で歩く道が二人分の幅を持つのなら、それはどんなに心強い道になるのか、これからの人生がとても楽しみだった。  やっと日々が落ち着きを取り戻した頃、瀬逗のプロジェクトも軌道に乗った。  前々から弘人を連れて来たいと思っていた湊から誘われて、今日二人はそのプロジェクトが展開されている街に来ている。  まだ作りかけの店舗もあるが、八割方は整ってきた街路を行き、弘人は度々足を止めて歓声を上げた。 「あれ、あれってフェローのなんだっけ、あれじゃない?」 「そう、あれ。まだその店は出来上がってないから入れないけど、完成したらまた見に来ればいいよ」 「うん、そうする。あ、あっちはフィンランドの……うわー、北欧系揃ってんじゃん、嬉しい!」 「お前好きだもんね。その辺の職人たちは頑固揃いだから賭けだったんだけど……良かったよ、来てくれて」  喜色を満面に浮かべて自身が手掛けた街を見回す湊を眺めて、弘人はこっそり笑う。  兄が企画したプロジェクトは、日本の中に世界を造るものだった。力はあるのに諸々の事情で埋もれていた芸術家や職人たちを、世界中から地道に発掘して集めて造り上げた街。ここで力と人脈を蓄えて再び本物の世界に飛び立つアーティストがこの先何人出るのか見物だった。  兄は気付いていないようだが、その発想はあの村を創った曽祖父に通じるものがある。やはり血は争えないらしいと一人で納得している弘人を不思議そうに見遣る湊へ、それをわざわざ指摘する必要はないが。  止めていた歩みを再開して、石畳の道を行く。 「今日中に一通り見て回るんなら、急がないとね。完成したらまた一緒に来て、その時はゆっくり一軒ずつ、説明して欲しいな」  彼が見る物を一緒に見て、二人の感覚を共有し合って、一つの大切なものに出来たらいい。  二人で刻む一秒を至宝のように懐いて、一緒に生きていこう。  立ち止まったまま弘人を見つめる湊に手を差し伸べたら、彼は眩しそうに目を細め、木漏れ日の中静かに微笑った。 END.

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