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 数ヶ月後――。  高級ホストクラブ『デウス』に姿を現した静夜は優雅にフロアを見渡して、後ろに控えていたフロアマネージャーを振り返った。  この、開店前の静けさと見えない緊張感が、静夜は堪らなく好きだ。 「いいんじゃない? 改装するって言ったからもっと派手にやるかと思ってた」 「今までの雰囲気をそのまま残すようにと、社長からきつく申し渡されていましたので……」 「ホント、そういうところに煩いよね……」  少し伸びた金色の髪をさらりと揺らした静夜は、気難しそうな顔で彼らに向かって指示を出すあの男の顔を思い浮かべ、クスッと肩を揺らした。  オーナーが一代で築き上げたこのホストクラブは、広武が代表を務める『センス』の傘下企業に買収された。  金額についてはかなり揉めたようではあったが、広武の方で所属しているスタッフ全員を残留させるという条件を含めた金額を提示したことで首を縦に振った。  組織が変われば店の雰囲気も変わる。それを懸念していたオーナーとしては、不安材料が取り除かれたことで彼に任せても良いと決断したようだ。 「俺たちも買われちゃった身だから、そう文句は言えないけど」  大きく開けた白いワイシャツの襟の隙間から見え隠れしている情痕がいつも以上に生々しい。それを見て見ぬフリをしていたマネージャーが、スタッフルームから顔を覗かせた剣斗に気付いて声をかけた。 「剣斗? 今日は早いね……。あぁ、静夜さんが来ているから?」 「おはようございま~っす! 静夜さん、相変わらずお盛んですねっ!」  マネージャーが気を遣っていたにもかかわらず、直球でその事を茶化した剣斗に大きなため息を吐く。  気怠げに剣斗を見つめた静夜の表情に、彼は息を呑んだまま動けなくなった。広武と繋がった翌日、静夜は絶対的ナンバーワンの座を捨てた。そして、男娼としての仕事を辞め、クラブの裏方へと回ったのである。  その理由は言わずもがな、広武のためであることは間違いない。  左手の薬指に光る銀色の指輪を唇に寄せ、ふっと悩まし気に微笑む姿は以前よりも美しく、色気も増している。  スカウトの塩島に言わせれば「まさしく今が旬」らしいが、静夜はこの街で輝く事よりも、愛する男と生きることを選んだ。 「静夜さん……。その顔、ズルいっす!」  あの夜、静夜の暴挙に騒然となった店内。困惑した店長とマネージャーに頭を下げたのは剣斗だった。  高額なVIPルームの料金と引き換えに、彼が選んだのは静夜の幸せだった。  広武に連絡を取り、至急店に来るようにと告げたのも彼の仕業だったと知ったのは、あれから数日後のことだった。  静夜がナンバーワンから退いたことで、在籍ホストのランキングが大きく変動した。そこで裏方に回った静夜は可愛がっていた剣斗を推し、今では店の上位ランクに位置付けられている。だが、決して静夜だけの力でそうなったわけではない。彼のあの時の対応に男気を感じた客からの人気が高まり、今ではキャンセル待ちが出るほどの指名率となっている。 「惚れても無駄だからな」 「殺されますって……。真鍋社長、マジで怖いんすからっ」 「――誰が怖いって?」  カツン……と高らかに鳴った靴音に、緊張感が走る。  静かなフロアに低く、そして以前よりも甘く少しだけ柔らかくなった広武の声が響いた。  今日もまた一流ブランドのフルオーダースーツに身を包み、完璧とも言えるスタイルで静夜のもとに歩み寄ると、金色の髪にそっと唇を落とした。  彼の左手の薬指には静夜と同じリングが光っていた。 「お……お疲れ様ですっ!」  まさかの本人登場に焦った剣斗が慌てて頭を下げた。そんな剣斗に涼しい視線を投げかけながら、フロアをゆっくりと見回した。 「忙しいって言ってたクセに……」 「通りかかっただけだ。――どうだ? 気に入ったか?」 「別に……。フツーじゃない?」  他人の前では、広武との関係を冷やかされたくなくてツンと顔を背ける静夜ではあったが、本当は嬉しくて仕方がなかった。その証拠に、自身の指を広武の指に落ち着きなく絡めている。 「――女王様には敵わないな」  苦笑した広武に、マネージャーと剣斗が顔を見合わせて込み上げる笑いを抑えるように口許を覆った。  夜の街で花を咲かせる者は、それなりの過去を引き摺っている。両親の離婚、虐待、社会には認められないマイノリティ。  そんな中でも、ただ一途に初恋を追いかけた二人がここにいる。  ブランクはあったにせよ、純粋な想いがなければ再び結ばれることはなかっただろう。 「俺、思ったんですけど……。真鍋社長ってこの店の名前『デウス』にイメージピッタリですよね?」  何だかんだ言ってもラブラブな二人の様子に気付いた剣斗は、ハッと思いついたように声をあげた。  静夜も隣にいる広武をチラッと見上げてから、付け加えるように毒を吐いた。 「鬼畜で、ドSで、オレ様なところがね……」 「違いますって! なんていうのかな……。本当は殺伐とした街に『愛すること』を広める……みたいな。男神っていうと荒々しくて凶暴な感じはしますけど。設定上ではめっちゃモテまくってたんですよね? 引く手数多みたいな? でも、ちゃんとその人たちを愛してる。愛してたからこそ神話が生まれてるんです」 「――なんだか、乙女的なこと言ってるけど。剣斗……頭、大丈夫?」 「え? 俺はマトモですけど?」 「そう言ってる奴ほどイカれてる……。そろそろ開店の準備したら?」  呆れた顔でため息交じりに呟いた静夜の言葉に「はいはい」と渋々応えた剣斗はバーカウンターの方へと歩いて行った。マネージャーもまた、腕時計を見ながらスタッフルームへと向かう。  広いフロアに残された二人は、どちらからともなく視線を合わせた。 「神話……ねぇ。まあ、剣斗の言ってること、分からなくもないな。この店に来る客が何を求めてやってくるかって言ったら、癒しだったり日常の鬱憤を晴らしに来るわけだろ? 現実から離れた空間でひと時の愛を買う。その相手をするのが俺たち。ただ体を売ってるわけじゃない。そこに恋愛という感情がなくても『愛』には変わりない……」 「じゃあ、その店を動かしてる俺が男神(デウス)なら、お前は女神(デア)ってところか。悪くないな……」 「は?」 「愛すれば愛するほど執着し、支配力は高まっていく。だから、離れられなくなる……」  広武はわずかに身を屈めて静夜の耳朶を噛んだ。その痛みに漏れた吐息が香水と重なり、甘く散らかった。 「俺とお前がいれば……。そこから生まれるものは必然的に愛しかない」 「だから?」  伏目がちのまま問うた静夜は、不意にその唇を塞がれて大きく目を見開いた。  厚い舌が口内を蹂躙し、堪えても漏れてしまう吐息が他の二人に気付かれるのではないかと気が気ではない。  それでも容赦なく愛撫する舌に、静夜の手が自然と広武の背に回される。  そして、唇を触れ合わせたまま楽しそうに微笑んだ広武の言葉に、静夜も口許を綻ばせた。 「その愛をこの街にばら撒けばいい……」  チュッと音を立てて離れた唇。そして――。  姿勢を正したまま、その場に片膝をついた広武に目を瞠った。  静夜の手を恭しく握り、その甲にそっと唇を落とす。 「女神の足元に跪き、何度も乞う……」  野性的なこげ茶色の瞳に強烈な色香を含んで、静夜を見上げた広武の薄い唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。 「死ぬまで……愛と快楽に溺れさせてくれ」  ゆっくりと口角をあげて、妖艶に微笑んだ静夜は彼の手首を掴むと、勢いよく歩き始めた。  足を縺れさせながらその歩みに必死について行く広武に、彼は肩越しに振り返ると、綺麗な眉を片方だけ上げて言った。 「元ナンバーワンホストのプライドに掛けて……。おにぃのデカいチ〇コは誰にも渡さないっ!」  美しく優雅で、それでいて強烈な色香を孕んだ愛らしい男。でも、ちょっとばかり残念な夜の蝶との新たな人生。  その一歩を踏み出した時、夜の街に愛をばら撒く『デウス』の重厚な扉が大きく開かれた。  Fin

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