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エピローグ
「そういえば面白かったですよ、ワンライ高校。冷泉先生がああいうものを書かれるなんて、ファンの誰も思っていないでしょうね?」
「まあ……そうでしょうね」
どんな顔をしていいのか分からずに、俺はただ曖昧に頷く。
場所は都内にあるターミナル駅近くの老舗喫茶店。
向かいに座っているのは10年以上の付き合いになる、編集者の間々田さんだ。
待たせている依頼原稿とは別に書いていたWEB小説のことが彼の耳に入ってしまい、怒られるかと思ったらこの感想である。
というかあれは、ある個人のために書いたもので、そもそもWEBに上げておくのが間違いだった。
「主人公の泉くん……彼のモデルは先生ご自身ですよね? 下の名前が同じですし。彼はあのあと芥川賞を獲れたんでしょうか?」
テーブルの上に広げていた原稿を大事そうにしまいながら、間々田さんは聞いてくる。
「獲れたと思いますよ、たぶん4、5回は逃して諦めかけた頃に」
「それで月形くんとは?」
「あー……、それはどうでしょうね。待っててくれたのかどうか。月形はやたらモテるし、冴えない小説家のために操を守ったのかは……」
静かな喫茶店の窓から、レースカーテンの向こうに見える通りを見る。
「え、そこはバッドエンドなんですか?」
「いや、何年後かに寝たとしても、相手が初めてかは分からないって意味で」
「うーん、なんだか複雑ですね」
そう言われて、俺は自分の作品にあらためて思いを馳せた。
きっとこういうことかもしれない。
「青春なんてものは形があるようで、手にはつかめないってことです」
「それが月形くんですか?」
「……そうですね、彼が青春そのもの」
泉隼人はそれを手に入れたんだろうか。
自分自身を振り返る。
手の中にあるようで、つかめなくて。
永遠に追いかけてしまう。
青春とはそういうものなんだと思う。
間々田さんと店の前で別れ、外の空気を吸った。
ネオンのきらめき始めた夕暮れ時。通りは車と雑踏の音に溢れている。
そんな中で胸ポケットのスマホが震え、俺はそれを取り出した。
予感に胸がざわめく。
『いつもの喫茶店だよね? すぐ近くにいるから』
メッセージを確認し、数十秒。
建物の前に立ったまま、自分を取り巻く音と景色に集中する。
(あ……)
声が聞こえた気がした。
首を回し、人ごみの中のひとりを捉える。
スーツ姿の青年が、こちらに向かってさっと右手を挙げた。
「隼人、お疲れ!」
「歩……」
こいつに会う時は、今でも胸の鼓動が騒がしくなる。
笑顔を見ると、こっちも少し頬が緩んでしまう。
出会って10年にもなるのに。
歩は今、間々田さんのところとは別の大手出版社で編集者をしている。
いつか俺と仕事をしたいと言ってくれているけれど、俺はそれをずっと断っていた。
だって無理だろう、めちゃくちゃ私情を挟む気がする。
プライベートでもわりと言いなりなのに。
それに恋人との時間に仕事の話をするのは、今もそうだけど恥ずかしくて嫌だ。
目の前まで駆けてきた歩が、俺の袖口をつかんできた。
「ねーねー、ご飯でも行こうよ」
「お前仕事は?」
「今日はもうお終いだよ。隼人が優先に決まってる」
優先とか言われても、俺は別にこいつに来いとは言ってないけどな。
聞かれたからここにいるって伝えただけで。
もちろん会いたいとは思っていたが。
目的地は決まっていないけれど、俺たちは街をぶらりと歩き始めた。
当たり前のように、歩くペースがぴったりと合う。
「執筆忙しいの?」
「そうでもないよ、いま著者校を渡してきたところだ」
「じゃあ今日は朝までコースだね?」
隣を歩くこいつの眼鏡の奥の瞳が、いたずらな光を帯びて輝いた。
「お前、元気だなあ」
「そうかな? 隼人が落ち着きすぎなだけだよ、まだ20代なのに」
そうでもないぞ? これでもお前にいちいちドキドキしてる。
そんなことを思っていると、歩が唐突に切りだした。
「そうそう、あれ読んだよ! 僕たちの高校時代の話」
それを言われて、俺は思わず緊張する。
あれが実話だってことは多分、世界で1人、こいつしか知らない。
しかしこいつは全部わかって読んでいるわけで。
あれは本当に赤裸々で恥ずかしい。
っていうか、そんなものを書けって要求してきたのがこいつだ。
そうだ。仕事じゃなくても、俺はすでに言われるがままに書かされていた。
どんだけ俺はこいつの言いなりなのか。
まあ、書いてて楽しかったけど。
「隼人はさ、やっぱり僕のこと大好きだよね?」
歩がニヤニヤ笑って聞いてくる。
「なんでそれ聞く?」
読んだなら分かるだろうに。
「僕も大好きだよ?」
「……それ、こんな場所で言わなくてもいいだろ」
「なら、早く2人きりになりたいです」
彼が冗談めかして、それでいて照れくさそうに肩をぶつけてきた。
本当にそういうところ、高校生の頃から全然変わってない。
そして俺は慣れてるはずなのに、いちいちドキリとさせられる。
それで俺は遠くの空を見て、恋人の手首をつかんだ。
「だったら方向転換」
「……?」
「お前、これからウチ来いよ」
見上げる都会の夕空から、明るい月が見下ろしている。
俺たちの時間は、まだまだこれからだ――。
-了-
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