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最終話

 穏やかな木漏れ日が研究所の中庭のベンチに降り注いでいる。寝転んで見上げた空は白く霞んで、風に花の匂いがした。  月日が流れて大学を卒業した俺は、爺さんの言う通りに研究所で自分の兄弟分に当たるアンドロイドを育成していた。今担当しているのは犬で、いずれ災害救助犬として活躍する予定だ。アンドロイド犬の訓練士までこなす俺は優秀だと思う。  俺は爺さんの息子という役柄を演じるためにここに居る。しかしそれも近いうちに終わるだろう。人間は年を取ると死ぬ。老いぼれの感傷だと本人が言うのだから、俺に与えられた永遠とも言える長い時間のほんの一時を、爺さんと過ごすのも悪く無い。 「四郎、ステイ」  アンドロイド犬の名前は四郎。人間の言葉を理解するが、喋る事は出来ない。犬が喋ったら色々と都合が悪いのは人間の方で、喋れないという事を除けば現時点で一番優秀なアンドロイドだ。  最も、何を持って優秀とするかはその基準による。より人間に近いを基準に置けば俺が優秀で、多くの人を助けるとすれば四郎になるという話。 「彩我、四郎」  中庭に面した研究所の廊下から声をかけられて、白衣の斎藤が窓からこっちに向かって片手を上げていた。  斎藤の父親が研究所の職員だそうで、そのコネで入社した斎藤は、しかし一番の下っ端。いつもファイルを運ぶ使いっ走りにさせられている。 「なにー?昼飯の誘い?」 「お前呑気だな、そういう所俺にそっくりだ。違うよ、仕事」  仕事と聞いてはお昼の事を考えている訳にいかないので、俺は四郎を連れて窓から覗いている斎藤の元に行く。  人の感情とはどういう物か。機械に心は有るのか。自身が機械の俺がその答えを探すのは矛盾だろう。自分は人間だと疑いもしなかったからこそ持てた、傲慢なテーマだ。答えを探す事は心を持つ人間にだけ許される。 「ニシキのメンテ?」  ニシキは研究所と同列経営の病院で介護助手を始めた。これが上手く行けばこれから生まれて来るアンドロイドの活躍の場は広がる。そういう意味ではニシキは優秀だ。 「いや、新しいアンドロイドの育成頼むよ」  そう言われて俺は首をひねった。  ゼロ、イチ、ニ、サンと人の形のアンドロイドが来て、四郎が犬。その先はまだ聞いていないのだけれど。 「五号作ってたっけ?名前五郎でいい?」 「女の子だったらどうすんだ。いや、持ち主に壊されたアンドロイドの再生だ」  そう聞いた瞬間、ドクンと無い心臓が高鳴った気がした。  まさか。  いや、でもイチとは限らない。まだ三号が人手に渡っているはずで、そっちかも知れない。  だってまさか、イチは完璧なはずだ。素直で性格も悪くない。何しろセックステクの基本はアダルトビデオで習得させた。その先を自分好みにするには持ち主が躾けていけばいいはずで、落ち度が思い当たらない。  俺が愛して、泣く泣く渡したイチが返されるはずが無い。  とすると、三号か。その子はまだ会った事が無いけれど。 「エラーが出ている事に気付かずに納品したらしい。そのエラーのせいで持ち主の逆鱗に触れて壊された」 「エラー?」 「マスターの言うことは絶対。このプログラムミスで持ち主に従わなかったんだよ。こんな口の悪い出来損ないはいらないってさ」  まさか。口の悪さは育ての親譲りで……。  イチだ。  俺は、アンドロイドにとってマスターの存在がどのような物か知らずに、イチのマスターは自分だと最初に教え込んでしまった。  四郎に向かってステイを叫び、掃き出し窓に向かって走る。閉まっている窓を思い切り開けば、勢い余ってサッシを叩きつけた激しい音が響いた。  リノリウムの廊下は白く長く、ずっと向こうまで伸びている。白く白く、どこまでも無機質に白く。  その空間に、イチが居た。  ただポツンと。 「イチ!」  思わず靴のまま駆け寄り、その細い両手取る。  イチだ。  二重の大きな目も、ぽっちゃりした赤い唇も、甘いラインの頬も、イチだ。半年ぶりに見るイチだ。 「記憶を消して胴体を付け替えてあるよ。ニシキの時と同じだ」  感極まってイチを抱きしめようとした俺の後ろから、斎藤が教えてくれた。 「そんな……」  覚えていない?  いきなり現れた俺を見るイチの顔は無表情で、何の感情も浮かんでいなかった。ニシキの時のように怖いも無ければ、何一つ反応が無い。 「イチ」  いったいどんな奴がイチをこんなにしたんだ。込み上げる怒りに腹の底が熱くなる。 「彩我、気持ちは分かるけど、もう話がついてる。押さえてくれ」  斎藤に言われて俺は軽く頷いた。  どんなに悔しくてもそこに口は出せない。元々俺が手放したんだ。  下唇を噛んで、ただ無表情のイチを見つめた。 「イチは彩我じゃないと無理だって、博士が再生させてくれたんだよ」 「爺さんが……」  俺は廊下の床に方膝を付いて、低い位置から立ったままのイチを見上げる。そうするとうつむいて下を向いているイチと視線が重なって、しかしその瞳はガラス玉のようだった。  人間は時に心無い酷い事をする。  どんなに思っても、俺にはイチを壊す事は出来なかった。けれど、どうせ機械だと感情のままに壊してしまうのが人間だと言うのなら、そんな物にはなりたくは無い。  ねぇ、イチ。酷い奴だと君は言うだろうか。まだ恨んでいるだろうか。  壊された君と最初から始めよう。俺にはそれが出来る。 「初めまして。俺は彩我。今日から君の名前はイチだよ」  込み上げる思いを必死に押さえて、俺はイチに向かって微笑みかける。 「……さい、が」  小さな赤い唇が紡ぐ名前を、泣きそうになりながら聞いた。 「そう。俺は彩我」 「……さい、が」  イチの硝子の瞳から涙が一粒こぼれて落ちる。 「誰だ、お前……気取ってんじゃ、ねー。バカヤロー……」  覚えてる。  データを消されても、イチはちゃんとどこかで覚えてる。イチのマスターは俺だ。俺のイチ。 「うるせぇ、なに返品されてんだよ。もう離さないからずっとそばに居ろよ」  やり直そう。  そしてもう一生離さない、まがい物の俺たちでいい。アンドロイドの一生が何百年、何千年なのか分からないけれど、もう一度やり直してずっと一緒に居よう。俺たちにはそれが出来るんだ。 「愛してるよ。俺のイチ」  ずっと一緒に、永遠を生きよう。  ずっと二人で。  end

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