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第28話

 どうしていきなりそんな話になるのか、俺には意味が分からない。俺がアンドロイドだなんて、そんなはずは無い。 「アンドロイドはマスターに逆らえない。ゼロ、君のマスターは私だよ。だから君はあんなに可愛いがっていた一号を簡単に手放してしまう。もうここには関わりたく無いと思っても、逆らえない」  無情に言い放った爺さんに、全ての事が腑に落ちた。  確かに俺は、嫌だと思いながら交渉もせずにイチを返した。斎藤に一言で片付けられるような取って付けた理由を並べ立て、無理矢理自分を納得させて。イチを手放した事を後悔して、どうしてなのかその理由を自分の中にはっきり掴めずにいた。  思えば最初から変だった。  何十年とかけて開発した今世紀最大の発明品をバイトに、しかも身辺調査一つせずポンと預けるはずが無い。これまでに聞いた他のアンドロイド教育者はすべて研究所の関係者で、俺だけが違う。  それにアンドロイドを絶対に名前で呼ばない爺さんは、俺の事をあなたとか君と呼んでいた。そしてメンテナンスの時は必要も無いのに必ず爺さん自ら俺のそばに居て、観察されていたのはこの俺自身だった。  いや、そんな事があるはず無い。  人間だ、人間だ、人間だ、人間だ人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間。  港町に生まれ育って、親父は漁師で母さんは保育士で。なのに一切音沙汰の無い両親。それは作られた記憶だから?本当は存在しない人たちだから?その記憶さえ曖昧で、思い浮かぶのは古い映画を切り取ったようなシーンばかり。 『あんまり汗かかないね』  ニシキの言葉。  始めからそういう体質だから、ずっと問題無く生きてきた。  汗をかかなければ体温がこもって人間は死んでしまうのに。 『雨の中、生きてる音が一つだけ』  雨の中で捨てられていた子猫を見つけた時、イチは何で生体反応に気付いた?人間より小さな心臓の音がすると、他には音が無いと言わなかったか。俺がすぐ隣に居たのに。心臓を持っているはずの俺が真横に居て、他に生体反応は無いと。  何かがガラガラと音を立てて崩れて行く。  そんなはず無い、そんなはず無いそんなはず無いそんなはず無いそんなはず無いそんなはず無い。 「斎藤……は……」  アンドロイドの事をよく知っている素振りのあった斎藤。イチやニシキを見ても驚きもしなかった。 「彼は君の育成者だ。引きこもりだった彼に与えられた唯一の友人、それがゼロ。君の名前はあの子が付けた。あの時は酷い事をした。あの子が別れる事に納得しなくてね、君のデータから彼を消去した」  まさか。  いや、そうだ。俺は大学の友人の中で斎藤を一番信頼して、子育てはどうしたらいいかと相談も持ちかけた。あいつは一人っ子で兄弟もいないのに、無意識に斎藤ならと信じていた。  電動車椅子のモーター音が聞こえる。  羽虫のような微かなその音が自分の中にある音と重なる。  ブーンブーンブーンブーンブーン。  どうしてだろう。心臓の鼓動だと思っていたその音がブーンブーンというモーター音なんだ。 「私の命令無く、君が一号を手放す事は無かっただろう。マスターの命令は絶対。それはプログラムの中核」  俺はいつも爺さんの事を考えていた。爺さんが優しい良い子にしろとイチを俺に渡したから、そうなるように必死で育てて。何をするにも爺さんがどう思うか。爺さんの命令だからコミュニケーション能力を養うために並木とも出かけさせて。爺さん、爺さん、爺さん。  俺は爺さんを核に行動を決めていた。俺の中にあった矛盾は全てそこだ。 『コミュニケーションは成功だ。彩我は博士に誉めて貰えるよ』  イチは最初から知っていたのか。 「本当、なのか……」  ブーンブーンブーンブーン……。  自分がアンドロイドだとするのなら、心とは一体なんだろう。俺は自分が人間だと思っていた。ニシキを壊した最初の育成者と同じように、イチを壊してしまえたらとも思った。俺ほど人間くさい人間が……アンドロイド。こんなにも人間らしい感情を振りかざして。 「ゼロ。君は私のアンドロイドだ」  声がする。  しゃがれた老人の声がする。  それは記憶の底から響いて来て、ある日真っ白な研究室で目覚めた光景と重なる。  思い出した。  暗闇の中でカチャカチャと機械を組み立てる音がしていた。それはとても長い長い、気の遠くなるような年月。自分の体が作られているのだと、眼球すら無い闇の中で音だけをずっと聞いていた。  そしてゼロと呼ばれて目覚めた時、そこは光の溢れるまばゆい研究室だった。そう、ここの研究室で、液体の満たされたカプセルの中で胎児のように膝を抱えて浮いていた。  それはまるで羊水の中。  カプセルの外でやっと目を合わせる事が出来た爺さんがこう言ったんだ。 「ゼロ。私の息子。君は人類最高傑作のアンドロイドだ」 「あ、あ……嘘だ、嘘だ嘘だっ、俺は人間だっ!俺は……あーーーっ!!」  掠れた悲鳴が無機質な応接室に響いて消えて行く。  あぁ……イチ。  俺は君と同じアンドロイドだったよ。  だけど何一つ君を理解できずに君を未熟と決めつけて、手放したんだ。

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