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その瞳に溺れる04

 ローズの香りだが竜也が身につけるとやたらと甘い匂いがする。しかしなにも付けていない時でも柔らかく甘い香りがするので体臭が混ざっているのかもしれない。草食系で果物好きなせいか精液も甘いくらいだ。 「く、九竜さんっ、恥ずかしいです」 「別になにもしてないだろう?」 「なにかされたら、恥ずかしすぎて死んじゃいます」 「それは困るな。……行くか。時間があるからな」  もうしばらく抱きしめていたかったが、これ以上は無理をさせるわけにはいかない。沸騰したみたいに首筋まで赤くしている竜也の頭を撫でてそっと身体を離した。するとバネみたいに勢いよく離れていく。 「それはそれで傷つくぞ」 「ご、ごめんなさい」  ため息をつけば恐る恐ると言った様子で近づいてくる。ちらりと視線を向けられて促すように目線を動かせば、示した先、すぐ隣までやってきた。それに満足して腰へ手を回すと、困ったように眉尻が下がって恥ずかしさを誤魔化すみたいに目が泳ぐ。 「もうっ、みんなが振り返ってるじゃないですか。それでなくとも九竜さん格好いいのに」 「あんたが可愛くてみんな振り返ってるんだろう」 「違いますよ! 九竜さんです」  どうでもいいことをこんな風に言い合うなんて随分と恋人らしいなと笑えてくる。けれど隣で真面目な顔をして力説している竜也の顔を見ているほうがより楽しくなる。こんな気持ちになる日が来るなど考えもしなかった。  いい加減で適当な俺の傍にいてくれる、それに感謝しなければいけないと思わされる。この出逢いは運が良かったその一言に尽きる。 「それで、主人公は彼女の言葉に救われて踏み出す決意をするんです」 「ふぅん」 「すごく人気の小説らしいですよ」 「読んだことはないのか?」 「まだ読んでません。今日映画を観てから読もうと思っててあらすじだけ。九竜さんはこういうお話は、読まないですよね」 「読まないな」  SF要素も含んだ恋愛小説、娯楽小説自体ほとんど読まない俺にはまったくの専門外だ。なので映画は大して興味はないが隣で期待に目を輝かせている顔を見ていられれば十分だ。  事前に予約しておいたチケットを発券してスクリーンに向かえば、人気と言うだけあってかなり席が埋まっている。 「本当に飲み物は良かったのか?」 「大丈夫です! いつも見るのに夢中になって飲むの忘れちゃうんで」  席に着くと早速と鞄からハンカチとティッシュが取り出された。レビューを見てかなり泣けると評判だったらしく、前準備は万端だ。場内が暗くなり流れる予告ムービーを見つめる横顔を眺める。反応がいいものはそのうちまた観に行きたいとおねだりされるだろう。  さてこれからの二時間あまりをどうやって潰そうかと思いながら、オープニングが始まった頃に隣の肘掛けに載せられた手を握る。すると驚いた様子で振り向くが、スクリーンが気になるのかすぐに前を向いてしまう。  その反応がつまらなくて指を絡めて繋いでみたり、指先で指の股を撫でてみたりしていたら、今度はムッと口を尖らせて振り向く。そして少し眉をひそめて繋いでいた手を解くと俺の手の甲を叩いた。  これ以上の悪ふざけはさすがに怒らせそうだと思って諦めたが、しばらくして離れた手が重なり俺の手を押さえ込むように握られる。どうやらこの先の悪戯を阻止するためのようだが、にやつかずにはいられない。  誤魔化すようにコーヒーを口に運ぶがそれで収まるわけもなく、隣の顔を盗み見ながらさらにニヤニヤとした。  時間が経つとすっかり映画に入り込んだ竜也の手はこちらの手を握りしめたり、自分の手を握りしめたり。しまいにはハンカチを握りしめてボロボロと泣き出した。喜怒哀楽がはっきりとした子供みたいな純粋さは彼らしさだと思う。  思えばこういうタイプはいままで周りにいなかったかもしれない。少しおっとりしていて表情がよく変わる素直な性格で、几帳面だがわりと抜けていたりもする。いままで視線を落としてこなかった道ばたの花に惹き寄せられたような感覚だ。  摘んでしまったら萎れてしまうんじゃないかと思うくらい可憐だが、意外と根太く丈夫そうでもある。そのギャップも魅力の一つだ。

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