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その瞳に溺れる08

 自分の気持ちのほうが大きいと思っている竜也には、俺の中にある独占欲がどれほど強いかなんてわかりはしないのだろう。 「なんだか隠れ家みたいなお店ですね」  タクシーを降りたのは繁華街から逸れた裏路地。賑やかさのない静かな道にはぽつぽつと店の明かりが灯っている。目的の場所はその一つ。下り階段を下りた先に木製の扉がありOPENの文字が刻まれた金属製のプレートがある。 「月夜見の、うた?」 「詩と書いてしらべと読むそうだ」 「なんだか幻想的で素敵ですね」 「そうか? やたらと凝りすぎているようにも感じるが」 「こういう情緒も大切ですよ」 「心に留めておく」  小さく笑った顔に肩をすくめて扉を引き開ける。セピア色の照明で照らされた店内はまだ静けさが漂っていた。正面にカウンター、右手にテーブル席。その奥は一段低くステージになっており、時間になれば演奏や歌が楽しめる。  早い時間ではあるがステージを見に来たのだろう客が数組テーブル席の前のほうを陣取っていた。店の独特な雰囲気に隣ではキョロキョロと興味深そうに視線が動いている。腰を抱いて中へ促せば視線がこちらを振り返った。 「そんなに物珍しいか?」 「こういう大人なお店は初めてです」 「あんたは初めてが多いな。楽しませ甲斐がある」  向かったカウンターの中には金髪を撫でつけた、ひょろりと背の高い男が立っている。こちらに気づいて顔を上げるが、目が合った途端に驚いた表情を浮かべた。それを視線で咎めるとやたらとにこやかな笑みを浮かべられる。 「やあ、九竜。久しぶりに来たと思ったら、こんな美人どうしたんだ?」 「加賀原、余計なことは喋らなくていい」  なにやらうずうずとした雰囲気を見せる男――加賀原に前置きするように太い釘を刺したがすぐにニヤニヤとされる。そして並んでスツールに腰かけた竜也を見てやつはさらに顔をにやけさせた。  けれど俺たちの空気に気づいていない竜也は不思議そうに小さく首を傾げる。そしてじっと見つめてくる加賀原に視線を向けて愛想良く笑った。 「はあぁっ、こんな美人そうそうお目にかかれるもんじゃないな。君、笑うとますます可愛いね。初めまして、俺はこの店のマスターで加賀原、九竜とも長い付き合いなんだ。よろしくな」 「あ、長塚竜也と言います。よろしくお願いします」 「まったく来ないと思ったらこんな可愛い恋人といちゃいちゃしてたんだな」 「九竜さん、そんなに長く来ていなかったんですか?」 「ああ、週に一度は来てたのにここ三ヶ月くらいぱったりだったな」 「……あっ、そうなんですか」  聞かされたその期間に思い当たることがある竜也はぽっと頬を赤く染めた。そしておずおずと視線を持ち上げてこちらを見つめてくる。  三ヶ月――それは竜也と出会ってからの期間だ。遊び歩いていないと言った言葉が本当だったと、信憑性の有無を答え合わせできたというところか。伸びてきた指先がジャケットの袖をきゅっと握り、嬉しそうにはにかんだ。  その顔に手を伸ばして指先で頬を撫でると恥ずかしそうに目を伏せる。あらわになっている左耳をくすぐれば、袖を握りしめている彼の指先に力が入った。 「はいはいはいはいっ! いちゃつく前に注文どうぞぉ」  せっかくの空気をぶち壊すように加賀原はテーブルにメニューを広げ、おしぼりを押しつけてくる。それに眉をひそめて視線を送るが、素知らぬ顔で竜也には恭しく差し出した。 「なにか好みはあるか?」 「できたら甘めのものがいいです。柑橘系とか」 「じゃあ、それといつものロック」 「んー、それなら飲みやすくカシスオレンジにしておこうか」 「はい、好きです」  これまで酒を飲むのは食事のついでのようなものだったから、実際竜也がどれほど飲めるのかまだ把握していない。けれど顔には出るがそこまで弱いという印象はないので、加賀原に任せておけば酔い潰れることはないはずだ。  しかし店が混雑してきた頃に引き上げて自宅に送り届ければいいだろうと、思っていたのが覆されるのはもうしばらくあとの話だ。

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