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光射す午後に8

「あ……」 何か言わなければ……焦って声を出そうとして、咄嗟に喉が詰まったような声が出た。薫は慌てて咳払いをすると 「久しぶり…だな。樹」 何度、夢に見ただろう。この再会の瞬間を。言うべき言葉はたくさんある。もしまた会えたら、あれも言おう、これも言おうと、考えていたのだ。 それなのに、ありきたりな挨拶の言葉を言うのがやっとで、続きが出てこない。 牧先輩の言っていた通り、樹は随分と背が伸びた。昔は自分の肩までなかったおちびちゃんだったのに。そして相変わらず、ほっそりした身体つきだ。首が細くて長い。手足もだ。あの頃より、かなり痩せた印象だが、全体的に青年らしくなった。 月日は流れたのだ。 まだ幼かった樹は、すっかり大人になっている。そして自分も、昔のままの自分ではない。 「今日は、買い物、ですか?」 また樹の方から、先に声を掛けられる。 「あ……ああ。今日公開の映画を観に来たんだ。それと……少し買い物に、な」 「あの洋画ですか?偶然だな。僕たちも観てたんですよ」 樹はにこやかに言いながら、彼女の肩に手を回して引き寄せた。 「そうか……」 もっと違う話がしたいのに、樹の少し挑むような眼差しとキツい口調に戸惑って、次の言葉が出てこない。 「奥さまは?ご一緒じゃないんですか?」 樹のその言葉に更に追い討ちをかけられ、薫は動揺して目を逸らしてしまった。 「ああ。うん、彼女は……車の中に、」 「そうだ。遅くなりましたけど、ご結婚おめでとうございます」 「あ…ああ……ありがとう」 次々と畳み掛けられて、気の利いた返事が返せない。 ……しっかりしろよ。もっと他に言うべきことがあるだろう。 心の中で、自分に言い聞かせると、薫は頬を引き締め、再び樹に目を向けた。 「ありがとう。それで、樹、そちらのお連れの女性は?」 「婚約者です。僕の」 何の気負いもなくさらりと樹が口に出したその言葉に、薫は小さく息を飲んだ。 「……婚約……?」 「ええ。アメリカにいた時に知り合った人です。今日は彼女と婚約指輪を選びに来たんです」 ちょっと照れたように微笑む樹に、薫は目を泳がせた。 ……婚約者……婚約…… 自分もおめでとうと、言わなくては。 何か言葉を掛けなくては。 焦る気持ちと裏腹に、胸が詰まって言葉が出てこない。 「樹、今、どこに住んで、」 「すみません。僕たち、そろそろ行かないと。お会いできてよかったです。じゃあ、お元気で」 樹はこちらの言葉をきっぱりと遮ると、軽く頭を下げて彼女の肩を抱いて歩き出した。

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