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月の光・星の光26

和臣はもう早々に寝てしまったのだろう。 長い入院生活に飽き飽きしているのだ。 明日の検査結果と診察で、もし入院が伸びたら、暴れ出すかもしれない。 この特別室は窓側のエリアと対角線にあるこちら側のエリアが、それぞれ大きめの個室並に広々としているから、カーテンで仕切られた向こう側の気配はほとんど感じない。 夜の深まりと共に病棟全体の音も消えて、優しい静寂に満たされていく。 樹は椅子に腰をおろしたまま、ただただひたすら兄の寝顔を見つめていた。 アメリカにいた頃は、夜の穏やかな静寂は貴重な休息時間だった。 たいていは、巧叔父の用意した屋敷の接待用の寝室や、客が要望する怪しげな密会場所に連れて行かれて、望まぬ夜を過ごしていたからだ。 叔父が社交界で様々なコネクションを築きあげ、忙しく出歩くようになった頃には、自分は政財界の有力者たちに飼われて、毎晩のように違う男たちにペットとしておもちゃにされていた。 樹はふいに鮮明に蘇ってきたあの頃の記憶の洪水に、ぎゅっと顔を歪め膝の上の手を握り締めた。 ……ダメだ。オモイダシテハイケナイ。 過去の記憶に飲み込まれてしまえば、せっかく薫と過ごせるこの限られた時間が台無しになる。 手のひらに爪が食い込むほど握り締めて、震え出しそうな心と身体を無理やり抑え込むと、樹は救いを求めるように手を伸ばし、薫の大きな手にそっと触れた。 本当は、触れてはいけないのだと分かっている。汚れきった自分が触れれば、祈りのように白い服で覆い隠しているこの身の毒が溢れ出して、大切な兄を穢してしまうだろう。 薫と自分の間を隔てていたのは、時間や距離だけではなかった。 もう、何もなかったあの美しい日々に戻ることは出来ないのだ。 ぱたた…と、見開いた瞳から大粒の涙が手の上に落ちる。樹は慌てて、指先を浮かせた。 どんな苦しみも哀しみも屈辱も怒りも、薫の笑顔を思い出すだけで耐えることが出来た。この人の太陽のような眩しい笑顔を護る為に、自分は生きてきたのだ。 ……距離を、置かないと。 自分と関われば、また薫を酷い目に遭わせてしまう。離れて生きてきた7年間以上に、自分はこの人と遠く離れていなければいけないのだ。 「……好き……。大好き……」 分かっているはずなのに、触れることが出来るこの距離が嬉しい。 再会した瞬間、信じられないほどの歓喜に心が震えた。 何故、こんなにも、愛おしくて堪らないのだろう。絶対に愛してはいけない人なのに。

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