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Saturday:2

 20分ほどして電話から戻ったロウは先ほどのように床に座った。 「ドクに聞いてみた。ドクというのは私を創り育てた科学者だ。状況を説明して一応答えらしきものを得られたが推測でしかない」 「俺は病気なの?」 「腸は第二の脳と言われてきたが、そうではない。腸こそが第一の脳だ。これを聞いたことは?」 「よく知らないな」 「人体を制御しているのは脳ではなく実は腸だという説だ。腸は脳とは違う独立した神経組織をもち活動している。自閉症や行動異常は腸内の特定の菌が少ないことが一つの原因とされている。二歳までに抗生物質の治療を受けると喘息、アトピー、花粉症、アレルギーの発症が2倍になるという統計もあるようだ」 「抗生物質で腸の細菌に影響があると良くないってことか」 「そのようだ。急激な環境の変化、ストレス、ショック、そういう外的攻撃を受けると人は消化器に影響がでる。胃が痛くなったり、食欲がなくなる。吐いたり下痢という症状も起こる」 「確かに」 「それをうけてストレスから遠ざかる指令を脳が出す。つまり脳によってではなくまず胃腸が悪いことを察知する。手足を動かしその場から離れるといった行動は二次的なものだ。ここまではわかるかな?」 「それは理解できる。でも俺の目にどう関係するのかさっぱりだ」 「中枢神経によって人体の多くが制御されているが、腸内の筋肉は脳とは独立したニューロンを持っているので勝手に動ける。そしてその基盤があるのが直腸」 「え?どういうこと」 「昨日私たちは何度も……繰り返した」  昨晩の熱い時間を思い出した二人は互いに視線を外した。 「君は私の細胞を吸収した。直腸のニューロン基盤が独自に活動して」 「特別な男を手に入れろ……それは本当の脳であるここからの指令だったってこと?」  隆俊は自分の下腹部をさすった。内なる声が聞こえることを期待して。 「あ!そういえば」  隆俊はソファから降り、床にすわりロウと向かい合った。 「牧野が言ったんだ。Ωは一番使い勝手があるって。「セックスと金、そして恥」そう言ったけど違うのかもしれない。違う使い道があるとすれば?」 「違う使い道?」 「俺が女だったら細胞は受け取れなかった。アナルセックスする女性もいるだろうけどかなり少ない。でもΩの男だったら可能だよね。ターゲットの細胞を吸収して別の人間に変化することが可能だとしたら?妊娠もできるから新しい種別の子孫を作れる。それに牧野は言った。母親はオリジンがセーフセックスだと納得する方法を編み出した。知らない方がいいから教えないと。ピルや殺精子剤やゴムだってある。セーフセックスの方法なんて言い方でカモフラージュしたけど、俺のような性能を埋め込む方法を『ボーダレス』が開発したとしたら?」 「今までこういう変化はなかったのか?」 「ないよ。ヒートを乗り切る為のセックスだし避妊は絶対だ。生でなんかしたことがなかった。昨日まで」  オリジンとのハーフ。それだけで十分起爆剤だと考えていたが甘かった。次長にまんまと踊らされた自分に腹がたちロウは苛立った。 「君を捜索して殺すという命令。鵜呑みにした私が馬鹿だった。君の能力を把握していたからこそ消すように命じられたのだ」 「え?……じゃあ」 「オリジンと『ボーダレス』の攻防は水面下で始まっている。君と同じ能力を持ったハーフがすでに暗躍していると考えていい」  次長の政治プレーではなかった。外事はすでにハーフ掃討に乗り出しており特捜もそれに加わった――間違いない。 「ここに迎えがくることになっている。一緒に来てくれないか?」 「え……一緒に?新しい選択肢……だよね」  ロウは隆俊の両手を取りしっかりと握った。 「君は私のペアだと思う」 「ペア?番みたいなもの?」 「狼の群れはパックと呼ばれている。ペアの二匹がパックを率いα、β、Ωの階級を従え秩序だった社会を形成する」 「今の社会と同じ……」 「ライオンの群れはプライド。群れの雄が変わると子供たちは新しい雄に食い殺される」 「それは酷いな」 「ああ。人間も同じだ。戦いに勝った権力者は敵の血筋を根絶やしにする。そして子供を産める女を戦利品として持ち帰った。ドクがライオンではなく狼を選んだのは殺戮ではなく社会的秩序を求めたからだ」 「一緒に行っていいの?俺でいいの?」 「喰らいたいくらいの衝動は生まれて初めてだった。それに味わった深い充足感は何物にも代えがたい」  隆俊は昨晩夢中でロウを求めた自分と内なる囁きを思い返す。特別な男と特別な時間。たぶんもう他の誰かでは満足できないだろう。ロウの細胞を吸収し別の自分に生まれ変わりたい。 「一緒に……行く。今までは暗い穴倉みたいな人生だったし何かを望むことは諦めていた。でもロウなら俺を導いてくれる。暗い場所から明るい高みに飛び上がる翼がロウだ。だから一緒に行く」  ロウの柔らかい微笑みに隆俊の鼓動が早まる。 「初めて名前を呼んでくれた」 「……そうだね。ロウは「君」のままだけど。でもいいよ。滝田隆俊という名前は捨てる。新しい自分になるなら今の名前はいらない」 「新しい名前がつくまでは「君」と呼ぶことにしよう」  ロウは立ち上がり隆俊の手を引いた。向かい合った二人の唇が自然に重なる。温かく心が緩やかにほどけていくような口づけ。二人の結びつきを確かめ、これからを生きていくための柔らかいキス。 「二人で未来を掴み取ろう」  待ち構える未来は決して楽なものではない。それは二人とも理解していた。そうだとしても最終的に未来は自分達のもとへ降りてくる。そう確信していた。  内なる声である遺伝子が二人に囁いた――『共に生きよ』……と。  END

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