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第16話

 それから半月ほど経った十一月も半ばのある日。仕事帰りに何気なく赤松に連絡を取った。  暇なら飯にでも誘おうとSNSのメッセージを入れると、すでに【“くろかわ”にいる】という返事が返って来た。つい数日前に連絡したときも確かそんな具合だった。  別にあの男が“くろかわ”にいる事自体は不自然ではないのだが、最近その頻度が尋常ではない。  しかも黒川の顔を見に通っているというより、常連客の日南子目当てに通っているらしいという不自然な行動が気に掛かる。 「……なに考えてんだ。あのオッサン」  カラカラ……と真也が店の格子戸を開けると、すっかり顔見知りになったバイトの富永がチラとカウンターの空席を確認して微笑んだ。 「あ、灰原さん! そこ、赤松さんの隣でいいっすか?」  これが当たり前かのように赤松の隣に案内した。  カウンターの傍に行くとすでに何杯か引っ掛けた後の赤松が真也を見上げて「なんだイケメン野郎かよー」とあからさまにがっかりした顔をした。 「悪かったですね、俺で。つか、俺ここいいんですか?」 「まぁいいや。仕方ねぇし」 「うーわ。感じ悪っ」  前に赤松に自分に対する扱いが雑だと言われたことがあるが、この男の真也に対する扱いも大概だと思う。  俺を抱くときは、あんな切羽詰まった顔を見せる癖に。なんて、悔しさから心の中で毒づいてやる。 「灰原さん、ビールにしますか?」 「ああ、悪い。車だからノンアルで」 「こんばんはー」  そうこうしているうちに今度は日南子が店に顔を出した。  あれから黒川とはどうなったのだろうか。ただ、こうして自ら店に顔を出せる程度にはその関係性は回復しているのだろう。以前と変わらず明るい笑顔を見せる日南子の姿に少しだけ安堵する。  日南子がカウンターの空席を確認すると、こちらに近づいて来た。赤松が隣のいつも彼女が座っている席の椅子を引き、彼女も素直にそれに従った。こういうさりげないエスコートも赤松が女の扱いに慣れていることを物語っている。 「お疲れっす、青野さん」 「うん。お疲れー」 「また会ったね。青ちゃん」  赤松がわざとらしいくらいの紳士的な笑顔を日南子に向ける。 「なんか……赤松さん。最近、よく会いますよね?」  日南子が不思議そうに首をかしげると、カウンターに立つ黒川がピクリと眉を動かした。 「青ちゃん、ビール?」 「あ。はい」 「おい。黒川、青ちゃんにビール」  まるで黒川の仕事を取り上げるかのように、赤松がご丁寧に日南子にオーダーまで聞き、敢えてなのかそうでないのか二人の間に会話の隙を与えないようにしている。 「灰原くん。これノンアルね」 「ああ。ありがとうございます」  黒川がグラスを差し出したので、それを受け取った。 「そーいやさ、青ちゃん」  隣では赤松が日南子に何か話を振っている。この間までは、日南子をネタに黒川を弄ることを楽しみとしていたような男が、黒川と日南子の間を遮るように会話のきっかけを阻む。  今度は何を企んでいるのだろうと真也は興味深げに二人のやり取りを眺めた。  ラストオーダーを過ぎ、“くろかわ”の店内には真也と赤松と日南子という馴染みの顔触れだけが残る形になった。  早い時間からやってきて、結構なハイペースで飲んでいた赤松の絡み酒が始まり、見かねた黒川がそのグラスを取り上げた。  放って帰ることも出来たのだが、結局真也が赤松を自宅まで送り届けるのを引き受けてしまったのは、この男の企みを知りたいと思ったからか、ただ単純に一緒にいる時間を増やしたかったからなのか──。  もう何度も足を踏み入れ勝手知った赤松の部屋のリビング。足元のふらつく赤松に肩を貸し、どうにか部屋まで運び入れるとソファにその大きな身体を横たえる。赤松が身体をよじってスーツのジャケットを脱ぎ、それをポイとその辺に放り投げた。 「水、要ります?」 「ああ。サンキュ」  小さく溜息をついてから、床に落ちた赤松のスーツを拾い上げハンガーに掛ける。  その程度の事は、わざわざ部屋の主に訊かずとも分かる。それが分かる程度の頻度で真也はこの部屋に出入りしているのだ。  けれど、真也は赤松にとって“特別”ではない。所詮そこらへんにいるその他大勢の飲み友達の中の一人。それがなんとなく虚しい。  こんな感情、まるで自分が赤松を好きみたいじゃないか。  「──で? 今度は何企んでるんすか?」  キッチンで水を汲みグラスを手渡すと、赤松がそれを受け取って真也を見上げた。だいぶ飲んでアルコールがまわっているのかいつもより目元や首元が赤い。 「青野さんにちょっかい出して。今度は彼女弄って楽しんでるんですか? それとも彼女に気があるとか?」 「あ?」  赤松が怪訝な顔を真也に向けると、ゆっくりと起きあがりグラスの水を半分ほど飲んでテーブルに置いた。こちらを見据えるような赤松の視線になぜ表情がこわばり口元が引き攣る。 「訳分かんねぇな。何でおまえにそんな顔されにゃならんのよ」  俺は今どんな顔をしているのだろう。  ただ、胸の奥で大きな感情の塊のようなものが、静かにふつふつと込み上げてくる。 「べつに。あいつ──黒川がまた面倒臭せぇこと考えて腐ってるから、刺激してやってるだけだよ」  赤松が小さく笑いながら答えた。その言葉に胸の中のふつふつが更に沸き立つ。  また、──黒川の事だ。  この男の頭の中はいい意味でも悪い意味でもあの黒川という友人のことで一杯だ。  真也自身、そこまで近しい友人を作って来なかった為、親友というものの距離感がいまいち想像できない。一般的なその友人の距離感がどうなのかは分からないが、赤松のようにここまで相手の世話を焼いてやるものかと疑問に思う。 「黒川さん……? やっぱ青野さんと何かあったんすか?」  真也が訊ねると、赤松が少し驚いた顔をした。 「おまえ、何か知ってんの?」  他の話題と比べても明らかに赤松の食いつき方が違う。 「や。前にあの二人が祭りデートしてんの見掛けて。そのこと青野さんに訊いたら、なんかこじれてるとか……詳しく聞いたわけじゃないんで実際よく知らないんですけど」  真也が答えると赤松がなぜか嬉しそうに微笑みながら言葉を続けた。 「ココだけの話。青ちゃん、あいつに好きだって言ったらしいよ」 「え?」 「けど──黒川それ断わってな」 「は?」 「……前に話したろ? 婚約者亡くしたことで、あいついろいろ臆病になっててな。たぶんそんな自分じゃダメだと思って断わったってとこだろうが。黒川の態度見てたら分かるだろ? 青ちゃんのこと嫌いでそうしてんじゃないってことくらいは」 「……まぁ、それは」  あの秋祭りで見掛けた二人の姿を見ていればそれくらいのことは分かる。  黒川は基本的に誰にでも優しいのだろうし、日南子もそんな黒川に惹かれたのだろう。あの夜の二人は遠目に見ても仲の良い恋人同士のように見えた。 「前、黒川が酔って言ってたことがあるんだよ。──この先、もし亜紀以上に大事に思える人ができたとして。何かの拍子にそれを失うのが怖いって」 「……」  真也にはまだ黒川のような経験はない。近しき親族が亡くなった事もなければ、まして友人や恋人など。  けれど、想像することはできる。恋した人を、愛した人を、ある日突然失ってしまったら──その心の痛み、悲しみはきっと量りしれない。  再び人を愛するのが怖い、失うのが怖い……そう思う黒川の気持ちも分からないではない。 「青ちゃんさ。それ知ってても、黒川を諦めたくないっつったんだよ」 「え」 「それでも。そんな黒川の傍にいたい──って。本気であいつの事好きなんだろうな」  そう語る赤松の顔はどこか嬉しそうに見えた。 「そんなの聞いたらさ。応援してやりたくなんだろ」 「……もしかして? あんたわざと黒川さん煽って……!」  ようやくこの男の意図が掴めた。日南子とどうこうということではなく、むしろ日南子の為、そして黒川の為に下手な芝居を打っていたということだ。 「青ちゃんには内緒な? あの子、表情と思考が直結型だから。下手にネタばれしたら裏目に出そうだし」  確かに。日南子の性格をある程度把握している真也だから納得できることだが。彼女は素直である分、感情がいい意味でも悪い意味でも顔に出やすい。計算で物事を運んでいくことはとりわけ苦手そうだ。 「ま。そういうとこも可愛いんだけどなー」  赤松が日南子を気に掛けていることも、やはり真也の胸の奥をざわつかせる。 「赤松さん。……なんだかんだ、青野さん気に入ってますよね」 「そりゃ気に入ってるよ。今時珍しいくらいスレてない感じがたまらん可愛いだろ? おまえだって嫌いじゃないだろ、彼女のこと」 「まぁ、そりゃあ」  確かに日南子は先輩としてもいい先輩だ。ゲイである真也から見ても普通に可愛いと思う。  本人は気づいちゃいないが、職場でも癒し系だと男性社員には人気だし、女性社員の中でも評価が高い。メーカーや取引先にも評判はいいし、その支持する年齢層もまた幅広い。  「特に黒川みたいな捻くれた奴には、ああいう真っ直ぐな子がいいんだよ。あんな子が、あいつの傍にいてくれるっつーんならそんな嬉しいことはねぇ」  結局のところ。この男は親友である黒川の幸せばかりを願っている。  ほんの少し前に自身の幸せを手放したばかりだと言うのに。 「──あんた。何でいつもそうなんすか?」 「あ?」 「どうして黒川さんにそこまで──」  そう言いかけてふと気付いた。この男には、黒川に幸せになってもらわなければならない理由があるのか?  大事な友達の幸せを願う気持ちは真也にも想像はできる。けれど、この男の真意は単なる“友情”を越えた先にあるのでは──? と。 「赤松さん。あんたもしかして──」  元を正してありとあらゆる方向に考えを巡らせる。  この男が男の俺を抱けたのはなぜか。自分と同じゲイ、もしくは女性との結婚経験もあることから両性愛者と仮定すると、黒川が赤松のいわゆるそういう対象となるのもおかしなことではない。  友情と恋愛感情の狭間を行き来する感情。それが、赤松の中にあった、現在も在るのだとしても不思議はない。そう考えると、赤松のすべての行動に合点が──。 「黒川さんの事、好、」  真也が言いかけた言葉は、赤松が真也の喉を掴んで抑えつける大きな手によって塞がれた。その力は思ったより遥かに強く与えられる窒息感に顔を歪める。 「……く、っ、あ」  赤松の手の力はすこしも弱まることはなく、更に喉の奥が締め付けられた。 「くだらねぇこと言うなら、その口も塞ぐぞ」  そう言った赤松の目は冗談を言っているようには見えなかった。  それどころか、今まで見たどんな顔より冷たくこれ以上有無をいわせないほどの迫力に満ちていた。まるで別人のようだった。  真也が身体をよじってその手から逃れようともがくも、それでも緩む事のない力。息苦しさに赤松の顔を思いきり引っ掻くと、やっと少し力が緩んだ。 「……っ、う、」 「それとも塞いで欲しいのか? おまえ、痛いことされると興奮しちゃう系? ココだいぶ硬くなっちゃってっけど?」  赤松が喉を掴んだまま、その視線を真也の下半身へ移した。それから意地悪な視線を投げかけ真也の身体を上へ持ち上げたかと思うと、そのまま力づくでソファの上に抑えつけた。  こんな赤松を見たのは初めてだった。 「は、なせ……っ、」  赤松は真也を上から押さえつけたまま、わざと口先で真也の硬くなった先端部を刺激した。恐怖を感じながらも、赤松が与え続ける刺激に、真也の意志とは関係なく身体の熱が高まって行く。  なぜこんなことになっているのだろう。ただ、赤松の胸の内を知りたかっただけなのに。 「またシてやろうか? 俺とのセックス気に入ってんだろ?」 「……やめっ、……放せ」   必死に抵抗を試みたが、真也より身体の大きな赤松の力には到底敵わなかった。シャワーを浴びたばかりの半裸の真也の身体は再びその下着を剥ぎ取られ全てをむき出しにされる。  そのまま身体をうつ伏せにされ、ソファに沈んでしまうほど力強く抑えつけられたまま、後ろから赤松が強引に挿入ってくる。 「──ぅ、ああっ」  こんなにも乱暴に、自分本位に自分を抱く赤松は初めてだった。  さっきまでしてたセックスとは比べ物にならない程強引で荒々しく自分本位な。その行為に情なんてものは一切なくて、ただ赤松の中にあるとてつもなく大きな怒りとも悲しみともつかぬ感情を吐き出すだけの、律動。 「……あ、っかまつさ、……やめ、もっ、……あっ」  肩を揺らしどうにか息をしながらも、頭の中はなぜか冷静だった。  こうして乱暴にされているからこそ、分かることもあった。普段赤松がどれだけ優しく自分を抱いてくれているかが。  赤松は何度も何度も真也の身体を突き上げ、それこそこのまま抱き殺されるのではないかと思うほど激しく声にならない感情をぶつけた。   こんな扱いを受けているのに、赤松を思うと涙が流れた。  それは、悔しいとか憎いとかではなく、こんなふうにしか感情をぶつけられない赤松の秘めたる想いに。  次第に意識が遠のく。  それでも赤松は真也の身体から、その身を引きぬくことはなかった。  

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