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未来
ギデオンの喉笛からゆっくりと離れたランドルフは、口の中に入り込んだ血をペッと吐き捨てると
「俺たちを若輩者と侮ったのが悪かったようだな。今日のところは殺さずにいてやるが、次はないと思え」
そう冷たく言い放った。
ギデオンはランドルフの放つオーラに圧倒され、放心しているように見える。
堂々としたランドルフの逞しい背中に、ノアは泣きたくなった。
「ノア……」
ゆっくりと振り返り、両手を広げるランドルフ。
その顔に、先ほどの険しさはない。
「ランドルフッ……!」
泣きじゃくりながら、その胸に飛び込むノア。
「ごめん、僕、あいつに穢されて……」
「もうなにも言うな。君を守り切れなかった俺が悪いんだ」
「でもっ」
「ノアがあいつの気を逸らしてくれたおかげで、俺も動くことができた。すべてはノアのおかげだ」
「ランドルフ……」
「もう帰ろう。君に紹介したい人がいるんだ」
「でもこんな格好じゃ……」
なにも身に纏っていないノアに、ランドルフは己のジャケットで包み込んだ。
「着替えはポリュムニア・シアターにある?」
「あるけど、あそこに戻ったら団長が……」
「あぁ、それなら大丈夫だ」
えっ? と目を丸くするノアを見て、ランドルフはクスリと笑った。
「いろいろと話したいことがあるんだけど……でもその前に、ノアを感じさせて」
ランドルフはノアをギュッと抱きしめた。
「もう、絶対に離さないと誓うから」
「僕も離れたくない。ずっとずっと、側にいて」
「ノア……俺の運命……」
そうして見つめ合ったふたりは、互いをきつく抱きしめ合ったのだった。
**********
五日後。
駅のホームには、ランドルフとノア、そしてフレッドの姿があった。
ランドルフたちはこれから彼の生まれ故郷に帰る。
フレッドはそれを見送りに来たのだ。
「それにしても、本当に濃い一週間だった……」
フレッドが辟易したように呟いた。
「えぇ、本当に」
ランドルフもまた苦笑する。
この街に来て、父との対面を果たしたその夜に運命と出会い、そして結ばれた。
翌日その番を奪われ、そして劇場を買い取り、さらにはノアを奪還。
ヒギンズ邸に戻ったふたりは、身を清めたあとフレッドの父に挨拶をした。
父はなにも言わなかったが、父の番が姿を現して、ふたりを祝福したのだ。
「まさか、あの人が出てくるとは思わなかったよなぁ」
初めて目にする父の番に、フレッドも相当驚いたらしい。
三十代後半と聞いたが、とても信じられないくらい若く、まだどこか幼ささえ感じる容貌の男性オメガだった。
ギデオンとの騒動を話すと、父の番は一瞬で顔を曇らせた。
聞けば、父の番はギデオンと婚約していたらしい。しかし父と出会い、彼はその場で番ってしまった。
「結局そのときの恨みを晴らそうと、俺の商売を邪魔したり、君からノアを奪おうとしたとはな……」
「恨みたい気持ちはわかる。俺も父には色々と思うところがあったから……でも、だからと言ってノアを奪うことだけは絶対に許せない」
「それは俺だって同じことだ。叔父が昔引き起こした事件の、とばっちりを食ったわけだしな。その礼を、これからたっぷりとしてやる!」
鼻息荒く語るフレッドに、ランドルフとノアはプッと吹きだした。
「それにしても、フレッドが後継者候補に復帰できて、本当によかった」
「叔父にも負い目があるからね。そこを突いたらすぐに候補者に戻してくれたよ」
あの父を脅すとは……ランドルフは唖然としながらフレッドを見た。
――この人だったら、ヒギンズ商会を上手く導いていくだろう。
そんな予感が、胸を過る。
「それから君にも、今後は俺のサポートをしてもらうつもりだから、覚悟してくれたまえ」
「でも俺は、一族から放逐された身で」
「一族じゃなくても、仕事の手助けくらいはできるだろう? 君のせいで、俺の貯金の大半が消えたんだ。それくらいしてもらっても、バチは当たらないはずだ」
ポリュムニア座を買い取る金は、フレッドの懐から出ていたことを、ランドルフは思い出した。
「その節は……。だったら、田舎へ帰らず街に残った方がいいかい?」
「いや、君たちはこのまま汽車に乗るんだ。ギデオンが流した噂はまだ消えていないし、第一君はあの“ノア・ヴィーナス”を手に入れた男だ。この街に残ったら、アルファどもの嫉妬ややっかみで、身辺が慌ただしくなる一方だろう」
「それは……たしかにそうかもしれない」
納得の姿勢を見せたのは、ノアの方だった。
「だから大人しく田舎に引っ込んでいてくれたまえ。騒ぎが落ち着いて、ノア・ヴィーナスの名が廃れたころ、また呼び出すこともあるかもしれないが、それまでは蜜月を充分に堪能しているんだな」
ジリリリリとけたたましい発車のベルがホームに鳴り響く。
「おっと、そろそろ時間か」
「ありがとう。本当にありがとう」
ランドルフが差しだした手を、フレッドは硬く握りしめた。
ポーーーーーッと汽笛が鳴り響き、汽車はゆっくりと動き始めた。
「ありがとう!!」
何度も叫びながら手を振るランドルフとノアに、フレッドもゆっくりと手を振って応える。
汽車はどんどん小さくなって、やがて視界からその姿を消した。
フレッドは最後まで笑顔で見送りながら、ホームをあとにした。
駅を出て天を仰ぐと、雲ひとつない青空に、太陽が燦々と輝いている。
――まるで、神があのふたりを祝福してくれいるようだな。
フッと笑うと、フレッドは待たせてあった自動車に乗り込んだ。
「さぁ、俺もいちから出直すとするか!」
三人の未来は今、始まったばかりだった。
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