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奪還
父から渡された小切手を手に、ランドルフとフレッドは劇場へと向かった。
ふたりの突然の訪問に、酷く悪態をついたゴードンだったが、小切手を見た瞬間その態度を一変させた。
「この劇場と、劇団を買い取りたい」
「劇場はともかく、この金額では劇団まではお譲りできませんな」
「不足分は俺が支払おう」
フレッドは懐から小切手とペンを取り出した。
ゴードンは引きつった愛想笑いを浮かべながら、金額を提示した。それは先に渡した小切手の額面よりは少なかったが、大金と呼んでもおかしくない金額だった。
しかしフレッドは何の躊躇もなく、サラサラとペンを走らせていく。
「今から俺がオーナーだ。ポリュムニア劇団に関する全ての権利はこちらに移る。異存はないな?」
ゴードンは何度も首肯してその小切手を受け取った。
「ではオーナーとして命じる。貴様はクビだ。いますぐこの劇場から出て行け!」
「えっ!?」
「この劇団は、ヒギンズ商会の傘下に入る。わが商会に、お前のような者は必要ない」
「そ、そんなっ!!」
「嫌なら今すぐ小切手を返してもらおうか」
ゴードンは長い逡巡のあと、その条件を受け入れた。
「ノアはどこにいる。それから首輪の鍵を渡してもらおう」
「アレならギデオンさまの別宅にいるでしょうが、今ごろは……」
ヒヒヒと下種な笑い声をあげるゴードン。
ランドルフは一瞬で体中の血が沸騰する思いがした。
「とにかく鍵を渡せ!」
ゴードンから鍵を受け取り、ギデオンの別邸の場所を聞き出したランドルフは、一目散に駆け出したのだった。
**********
ベッドに横たわっていたノアは、不意に屋敷の中が騒がしくなったことに気付いた。
怒号と、なにかを叩き付けるような音。
「何事だ」
ギデオンの問いかけに、従僕が様子を見るため部屋を出た。
「おい」
ギデオンはノアに近寄ると、ノアの乱れた髪に触れる。
ランドルフとともにポリュムニア・シアターに向かった際には、ゆるく結われていた髪は、ギデオンとの行為で激しく乱れ、崩れきっていた。
髪に差してあった髪留めはとうになくなり、辛うじて何本かのピンが刺さっているだけの状態だった。
「ゴードンから鍵をもらい受けに行くから、そろそろ支度をしろ」
ノアはゆるゆると頭を振って拒否をした。
首輪の鍵がギデオンの手に渡ったらきっと……それだけは、絶対に受け入れることができない。
ゴードンが鍵を渡さないでくれれば一番良いのだが、しかし彼は金さえ積めばなんでもやる男だ。
ノアの気持ちなどひとつも考えず、喜んで鍵を渡すだろう。
――どうしたらいい……?
不意に昨夜演じた『運命の鼓動、宿命の光』の中で歌った曲が、頭の中に流れた。
絶望が 世界を彩り
暗い闇が 私を包む
それでも心は 求め続ける
あなただけを いつまでも
愛する人に裏切られ、絶望の淵に立ったアイリーン。
彼女はたったひとつの恋のため、最後には死に至る道を選んだ。
――いっそアイリーンのように、死を選ぼうか。
ランドルフ以外のアルファと番うくらいなら、死んだ方がましだった。
――でも死ぬなら、この男も道連れに……。
どうしたらこの男に一矢報いることができるか……ノアが考えを巡らしたとき、扉が大きな音を立てて開いた。
「ノア!!」
現れたのはランドルフだった。
「ランドルフ!!」
ランドルフに駆け寄ろうとベッドを降りたノア。
しかしその行く手をギデオンが阻む。
後ろからノアを羽交い締めにすると、ランドルフに向かって
「負け犬が、なにをしに来た。こいつはもう、俺のものだ」
と、獰猛な笑みを向けた。
「貴様っ……!!」
前傾姿勢を取り、低く唸る。隙あらばギデオンに飛びかかろうとするランドルフに
「おっと、それ以上近付くと、こいつの首をへし折るぞ」
そう言ってノアの首に手を掛ける。
「うっ!」
首を絞められ、苦しさに呻くノア。
「俺とノアが睦み合う姿を見に来たのか?」
「馬鹿なことをいうな! 今すぐノアを返してもらおう!!」
「そう言われて返すとでも思ったか。……いいことを思いついたぞ。今すぐこのオメガの項を噛んでやろう」
ギデオンはノアの首輪を強引に下ろした。
そこには僅かの隙間が。
「やめろっ!!」
「運命の番だかなんだか知らんが、噛まれたらそれまでだ」
「なぜそこまでノアにこだわる!」
「このオメガにこだわっているわけではない。文句はお前の父親と番に言うのだな」
「えっ?」
思わぬ発言に、ランドルフに一瞬の隙が生まれた。
刹那、ギデオンが歯をむき出しにして、ノアのうなじに牙を向けた。
「ノアッ!」
間に合わない――!
そう思ったとき。
「ギャアアアァァァ!!」
ギデオンの口から、悲鳴が迸った。
その腕には一本のピンが突き刺さっていた。
噛まれる寸前、ノアは髪からピンを抜き、ギデオンの腕に突き立てたのだ。
痛みに呻くギデオンの腕から逃れたノア。
それを見計らい、ランドルフはギデオン目がけて突撃した。
ハッと目を見開くギデオン。身を守る素振りを見せたが、間に合わない。
ランドルフの牙が、ギデオンの喉笛を捕らえた。
鋭い犬歯が、喉の肉を抉る。
口の中に、血の味が広がる。
急所に噛みつかれたギデオンは、一言も発することができないまま、体を震わせるだけだった。
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