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急転3
「……後継者候補が、いい恥さらしだな」
「なっ……!」
「お前がギデオンに殴り倒された話は、街中に広がっている。ギデオンのオメガに横恋慕したお前が、やつに殴りかかったという尾ひれまでついてな」
「それは違う! ノアは俺の運命の番だ! それをギデオンが」
「真実などどうでもいい。重要なのは、すでに噂は広まっているという事実だ。来て早々、醜聞騒ぎを起こすとは、後継者候補失格だ」
それは候補者から外すという宣告だった。
「叔父上、しかしそれは」
「お前を一族から追放する。どこでなにをしようと、どう生きようと、商会とは一切関わりはない」
「俺は最初から、商会とは無縁の立場で生きてきた。今さら追放されたところで、痛くも痒くもない」
ノアと出会って一時は後継者としての道を考えたものの、それがなければ跡を継ごうなど最初から思っていなかったのだ。
むしろ重い枷がはずされたような気さえする。
「ここを出てどうするつもりだ」
「ノアを取り戻す」
「勝算は」
「ない」
しかし、やるしかない。
自分の運命を、これ以上他人に穢されるわけにはいかないのだ。
「……ならば、餞別にこれをやろう」
手渡された一枚の紙。
それを見たランドルフとフレッドは、激しく動揺した。
「小切手……?」
「しかもこんな金額!」
天文学的な数字が記載された小切手に、ランドルフの手が震える。
「ポリュムニア・シアターの建築費用分くらいの金はある」
「えっ」
「あの劇団のオーナーは、金に汚いことで有名だ。たとえギデオンが専属契約を交わしたところで、さらに金を積まれれば、先に交わした契約を簡単に破棄するだろう。そのあとは、お前の勝手だ」
それだけ言うと、父は部屋をあとにした。
残されたふたりは、しばし口を開けなかった。
「父はなんだってこんなものを……俺は放逐されたんじゃ」
「要は、君の自由にしていいということだろう。本来なら、君がギデオンに刃向かうことすら、容認されないだろうからね」
実際、ヒギンズ家がフェザーストン家と諍いを起こせば、世の中は混乱する。
そうならないために、ランドルフの行動を制限することも可能なのだ。
しかし父はそれをしなかった。
「番の大切さを一番よく知る叔父が、君とノアのために協力をした……というところじゃないかな」
「なんだってそんなことを」
「もしかしたら、伯父なりの愛情なのかもしれないね。かなりわかりづらいけど」
フレッドはそう言って苦笑した。
「ともかく体の調子が整ったら、すぐにでも劇場へと急ごう」
「もう大丈夫だ」
痛みはまだある。
しかし今は一刻も早く、ノアの元へ駆けつけたかった。
「よし、じゃあ行こう。君の運命を取り戻しに」
「運命なんかじゃない。ノアは俺の宿命だ」
**********
時を同じくして。
ノアは一糸纏わぬ姿でベッドに横たわっていた。
全身が血と体液に塗れており、よく見れば噛み跡と打撲痕が至るところにある。
美しいヘーゼルの瞳は虚ろで、まるでガラス玉のようだった。
「やはりお前も、ほかのオメガと大してかわらんな」
ギデオンが鼻白んだように呟いたが、ノアは反応を示さない。
「お前など別に欲しくもないが……あの小僧の悔しがる顔は見てみたい」
強大な力を持つ自分に逆らった煩い小虫を、完全に叩き潰してやろうか――。
そんな残忍な考えが浮かび、ギデオンは仄暗い笑みを浮かべた。
「いいことを考えた。あの小僧の目の前で、お前のうなじを噛んでやろう」
それまで無反応だったノアが、ピクリと肩を揺らした。
「金さえ積めば首輪の鍵も買い取れるだろうしな」
クククと笑うギデオン。
その声に、ノアはさらなる絶望を覚えた。
――助けて……ランドルフ……!
それまで虚ろだったノアの目から、涙が一筋ポロリと零れた。
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