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SCENE1

 健司が、いきなり思いついたように俺に言った。 「なあ凌太、本当に欲しいもんって手に入んない方がいいのかもなあ」  昼公演が終わったばかりの楽屋。同じ劇団のメンバー、日置健司の頭の下には、エネルギッシュに二時間主役を演じ切って、死体のようにうつ伏せている純さん。  俺はなんでかやけにドギマギしてしまい、ただうなるように返事をして目をそらした。  それ以上の言葉はない。健司のしつこさにはうんざりだけど、いつもみたく聞けよとか言ってこなけりゃこないで、違和感を感じる。  なもんで視線を戻すと、健司は俺に細い背を向け、純さんの背中に頭を埋めて丸くなっていた。  そのハリネズミ並みに髪を立てた頭をガン見しながら、俺んだぞ。俺んだぞ。と、子供じみたつぶやきを胸の中で繰り返す。  時々、強い衝動に駆られる。お気に入りのおもちゃを奪い返す子供みたく、無言で堂々と身体いっぱい宣言してやりたくなる。  純さんは俺のもんだ! って。  まあ、実際にはできっこねえけど。  坊主頭をボリボリかきながら、煙草に手を伸ばした。  本当に欲しいもんは手に入んない方がいい、か。  健司の言葉を、ゆっくり煙草の煙を吐き出しながら反芻する。  なんで健司がそんなことを俺に言うのか、なんか意味ありげで、純さんを枕にしての発言ってのがまた意味深で、ってのは考えすぎ……とも言えない。  ずっと疑ってきた。健司は純さんを狙ってんじゃねえのかって。でもそんなの、健司に確かめんのはバカすぎる。当然、純さんにも聞いてない。そんな俺は俺じゃねえ。情けねえしカッコ悪りい。  あ、なんだよ。健司、またフィギュアの本見てたんじゃん。欲しいけど手が出ない、高いフィギュアでも載ってたのかな。  なんて思うこと自体、自分をごまかそうとしてるってことだから、ちょっと腹が立つ。考えまいとしても、いつの間にか霧みたいに頭の隅を漂ってる。  本当に欲しいもんは手に入んない方がいい。一理あるわ。たまには健司もいいこと言うなあ。  と一瞬、真面目に考えようとして、やっぱやめた。  だって今はそれどこじゃねえ。俺、伊集院凌太が所属する、演劇集団カーゴの初めての全国ツアーは、まだ始まったばっかりだ。俺も横になって夜公演まで休んどこう。  煙草を消して、ごろりと床に転がる。やけに白くて明るい天井をぼんやり眺めてると、たちまち頭ん中はセリフで満たされて、たぷたぷ音が聞こえそうな勢いだ。  はっと気づいたら、もうツアー初日の舞台に立ってた。とにかく無我夢中で、ひたすら一生懸命やるうちに、俺達の周りの人だかりがすごいことになってた。そんな感じ。  特に俺には、そんな印象が強い。俺がなんとか大学を卒業して、他の四人より遅れて東京に出てきた時には、もう東京での活動の土台はできあがってた。東京で五人で本格的に活動しだしてからは、ホントあっという間。  九州から出てきたっていう話題性、舞台自体の面白さ、個性的なメンバー。取材でよく言われる、もはやお決まりのフレーズ。でも、そんな条件が揃った劇団はごろごろいる。  ごろごろいる中で俺達が売れたのは、事務所の社長、大久保さんの腕と、うちのスター、大ちゃんこと有村大のブレイクのおかげなのは間違いない。 「おい凌太、腕枕」  金髪頭が、有無を言わさず俺の腕を枕にする。  「またかよ、大ちゃん」 「お前の腕が一番気持ちよかもーん」  わざと嫌そうな声を出すと、大ちゃんもことさらに甘い声。  金髪がよく映える色白の肌。ファンを目で殺すと言われる、鋭い視線。隙のない端正な顔立ち。その上背も高くて手足も長いという、舞台映えする抜群のルックス。  それが有村大って男。ところがうちのスターはそれだけで終わらず、見かけによらずトークが面白い。そのギャップがウケて、まずバラエティでブレイク。まさに社長の思うツボ、だったらしい。  さらに意外なことには、大ちゃんはかなりの甘えたがりだ。こうしてメンバーの誰かに腕枕してもらっては、ご満悦で寝やがる。 「まったく、なんなんお前ら」  あきれ顔でため息をつくのは、我らがリーダー、篠原厚志。メンバー最年長の二十八歳は、メンバー最小の百五十八センチ。なんと、うちのスターとの身長差は三十センチ近い。 「いい加減、そういうのキモいからやめろって」  スマートな眼鏡を指で軽く持ち上げながら、寝転がってる俺らに冷たい視線を送るリーダー。生まれた時から眼鏡かけてたに違いない、ってほど眼鏡が似あいすぎる。末っ子おバカキャラが定着しつつある俺にしたら、それがちょっとうらやましい。  リーダーの言葉にあたりを見回してみる。大ちゃんは俺の腕枕だし、健司は相変わらず大型犬の昼寝状態。ったく、いつまで純さん枕にしてやがんだよ、健司のヤツ。頭の針、全部抜いてやろうか。 「凌太くうん、髪撫でて欲しいなあ」  大ちゃんのわざとらしい猫なで声。リーダーの大げさなため息。  大ちゃんはリーダーをからかうのが大好きだ。いちいち真面目に反応するのが面白い、ってのは、俺も同感。  俺はリーダーの苦い顔を横目で見ながら、大ちゃんの髪に手をかけた。一回すっと撫で下ろすと、胸にもやもやした感覚。なんでか手が、大ちゃんの髪を拒む。  おかしい、どうしちまったんだ? よく手になじんだ感触と違うからだとしたって、妙だ。  そりゃもちろん俺の手だって、純さんの髪撫でてた方がいい。カラーとかしてない漆黒の純さんの髪は、柔らかくてつやもあって、さわり心地いいし。  俺と純さんは、もうつきあい始めて三年ぐらいになる。その頃はまだ、みんなで芝居を続けるかどうかなんて、決まってなかった。俺は大学二年生で、純さんが大学を卒業する前に告っとかなけりゃ、っていう、ありがちなタイミングだった。  あの時のことは、言葉にできないし、したくない。ずっと大事にしときたい。  実際俺は、純さんとのことは、口に出したことがない。それが、誰とは言わない話だとしても。俺の知る限り、それは純さんも同じだった。  メンバーには絶対バレたくない。だけど、一生隠し通すなんて無理だ。バレた時の俺の覚悟、それはなによりも純さんを優先する、ってこと。もちろん、そんなのは絶対純さんの前では出さねえけど。  嫌悪感に近い感情をごまかすように、あの時のことを思う。自然と純さんの方に流れていく視線。ここからは、黒のジャージを着た純さんの膝から下しか見えない。  マジヤバイ。思い出すほどに、拒否感がどんどん募ってく。適当な手の動きは、もう撫でてるとは言えないほどになる。  ああ、今日は純さん、俺んとこ来るかな。  つい回想が飛んで、純さんの浅黒い肌を思う。髪と同じくすべらかな肌。回想がエッチな方へエッチな方へと流れるのは、男の性ってヤツだ。  最近特に頻繁に、純さんが俺んちに来るようになった。初の全国ツアー、初のドラマレギュラー。二つ重なって超忙しいはずなのに、純さんはその合間を縫ってくる。  稽古中の雰囲気は、正直最悪。五人それぞれのとにかく芝居を面白く、って気持ちがぶつかりあって、大ゲンカが勃発。ぶっちゃけ「解散」の文字すら頭をよぎったぐらいだ。  しかも純さんは主演で、かなりの長ゼリフもある。なのにホンは変更変更で、たぶんそれが相当なストレスになってたんだろう。  その上、田舎もんでろくに映像の仕事なんてしたことなかったのに、いきなりキー局のドラマ撮影現場に飛びこむことになった。昔からテレビで見てきた俳優さん達との共演で、実力の差を見せつけられたり刺激を受けすぎたりで、純さんの精神状態はもうごっちゃごちゃのぐっちゃぐちゃになってたらしい。  純さんは基本的に、一人を好む人だ。でも、やっぱりつらくなれば人のぬくもりを求めたくなるらしい。純さんは出会った頃から、俺の都合と迷惑だけはまったく考えない。らしいっちゃ、らしい。  俺からは、ほとんど誘わない。来たらたいていは部屋に入れるけど、たまに断る。かったるくてカンベンして欲しい時だって、当然ある。がっかりして帰っていく顔が見たい時もある。  もし今夜来たら、どうしてやろう。そう考えたらますます妄想が走り出して、下半身がむずむずしてきた。思わず股間を押さえる。 「いてっ」  がすん、と俺の手が大ちゃんの頬を直撃。 「あ、ごめん大ちゃん」  大ちゃんきっかけでエッチなこと考えてごめん、も含めてみた。 「俺、髪撫でんのやめていいとは言っとらんぞ」  あーはいはい、分かりました。ホント俺様なんだからな。なんて思いつつ、仕方なく髪を撫でるのを再開しようとした。  でも俺の手はやっぱり、大ちゃんのためには動きたがらない。原因不明の胸のもやもやも消えない。  気を紛らわすためにも、妄想は続く。  大きくて深みのある、つねに潤んでいるような瞳。その瞳で、じっと問いかけるように俺を見る。そんな純さんを思う時、浮かぶのはいつも半裸の純さんだ。  枕元のスタンドの遠慮ない光で、瞳がきらめく。浅黒い肌は艶っぽく照らされる。細い肩、長めに伸ばした髪。さらりと髪が肩を滑る。  二人きりの時、純さんは無言のまますっと寄ってきて、いつもの定位置におさまるような自然さで、俺の腕の中に入ってきたり、腕枕したりする。特に腕枕が好きらしい。髪を撫でられるのも好きだ。  その時の純さんの、安らいだ柔らかな表情は、まるで猫。そんな顔を見てると、ふわふわとすげえいい気分になれる。  頭って、人間の一番大事な部分だよな? それを完璧に預けられてんだから、身も心も手に入れてるってことになるよな? 純さんだって、そう思ってるよな?  うわ、ダメだ。考え出したら止まんなくなっちまった。  健司の言葉か? 健司の言葉なのか? なんだか知らねえけど、俺ん中にかなりの波紋が広がっちまったのか? これしきのことで?   知らずため息をついたらしく、大ちゃんが非難するような目で俺を見た。気づかないふりに限る。  俺はこれまでなんも、自分の立ち位置に疑問を持たずに来たし、満足してるつもりだったのに。今さらだろ、自分にがっかりだわ。

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