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SCENE2
深夜、キス寸前。
「ねえ、ジュンイチ」
芝居と同じくリョウコの声で呼んだら、純さんのしかめっつらが俺の肩に墜落。
「意地悪だなあ」
つぶやく純さんの声も、微妙にジュンイチだった。唇のかすかな動きに肩をくすぐられて、欲情の針が一瞬振り切れる。
「リョウコとジュンイチはキスすらしねえで終わったなんて、ありえないよねえ」
純さんのTシャツの中に下から手を入れながら言うと、吐息が俺の耳をかすめた。それだけで俺には、笑ったんだと分かる。同時に、役に入りこみ過ぎるこの人の、スイッチにちょっと触れたのが分かる。それはもちろん、わざと。
社長いわく「小手調べ」の東京公演、前半戦二日間が終わった。多少の手直しを加えた芝居を引っさげ、いよいよ明日は大阪入りだ。
「凌ちゃんはそう思うんだ?」
俺の肩に頭を預けたまま、純さんが言う。ひときわ甘く響く、低い声。香水の残り香を追うのに夢中になりかけてた俺に、しなやかな不意打ち。
「こういう、描かれなかった部分もあるかもよ?」
するり、と純さんの細い腕が俺の背中に回る。
「え、純さんはそういう解釈で演じてたの?」
高まりつつあった欲情も一瞬さっと引く。芝居の話となると、さすがの俺でもエッチは二の次だ。
誰が見てもかっこいいジュンイチが、誰が見てもかわいくない幼なじみのリョウコに、ずっと片思い。今回全国ツアーのためにリーダーが書いてきたのは、そんな二人の純愛と呼べるかも知れない恋愛を軸にした、ドタバタコメディだった。
「うん、お互いの思いやりだね」
なんだそれ? どういうことだ?
キスしてこようとする純さんの胸を、俺は半分無意識に押し戻していた。
「思いやり?」
いきなり、後ろからラリアット。そんな気分。ホントびっくりするわ、今このタイミングはないわ。
「でも二人とも自意識過剰なんだよね」
あのホンのどこをどう読んだらそうなるのか、訳が分からない。作・演出のリーダーからも、そんなことは言われてない。
俺達が客を笑わせよう笑わせようとしてる時に、純さんだけが全然違う角度と深度で芝居を見てる。突拍子ないんだけど、その質が違う。地元にいた時から、こうだったっけ? 俺はちょっとだけ不安になる。
「それってどんなふうに自意識過剰なの?」
聞くと、純さんはただ微笑った。その大きな目の端からとろけていきそうな、幸せそうな笑顔が俺の肩に預けられる。
「笑ってごまかすのかよ」
そう言いつつも、俺の身体はまた性欲の方に引っぱられていく。純さんの笑顔とぬくもりと肌の匂い、そういうものが近くにありすぎて、目の前がかすんでくる。
「自分で考えながら演じてみて」
ぎゅっ、と俺を包んでいる腕に力をこめる純さん。もうダメだ。限界だ。難しそうな課題は後回しでいい。
がっしり捕らえるように純さんを抱きしめた。感触を味わうためにゆっくり唇を重ねて、濃厚なキスをしかける。
「電気は消さねえよ」
そう言った途端、揺れる瞳。何回エッチしたもんか数え切れないほどなのに、演じるとなったら全裸だって平気なくせに、こういうのは恥ずかしいらしい。そりゃいじめがいもあるってもんだ。
にやにやしながら、またジュンイチって呼んだら、純さんはかすかに潤んだ目でにらんできた。全然怖くなんかねえ。むしろそそられる。
「……芝居イメクラなんて、カンベンしてくれよ」
ぼそぼそ言うのをスルーして、ぶつかるぐらいにぐっと腰を引き寄せて乱暴にキスした。お互いの欲情がふれあうように腰を動かす。一瞬純さんがキスをやめようとしたけど、そんなのは許さない。
「あっ、凌ちゃ……」
ぐりぐりっ、と乳首をつまんで強く刺激。たちまちやらしい顔になって、語尾と長いまつげが震える。たやすく俺の腕に堕ちてくる、純さんの身体。
今間違いなくこの人は俺んだ。ちゅうか、こんな純さんを他の誰かも知ってるなんて、ありえねえ。
俺だけだろ? この人の性格考えても、そう簡単に他人になんもかんもさらけ出すはずねえし。
それに、俺一人じゃ満足できてないとしたら、どんだけ淫乱なんだ、って話だ。たいていは俺自身が満足するまで、純さんにしたらもうたくさん、ってぐらい満足させてる自信あるし。
「んっ、あ、あっ……」
後ろに手をつき、Tシャツを大きくまくり上げた胸をそらして、純さんはもうすっかり快感に我を忘れてる。ちょっと胸責めただけでこんなふうになるなんて、感じやすすぎだろ。こんなの、誰にも見せらんねえって。
ひたすら、胸ばっか責めた。さわって欲しくてもぞもぞ動く腰と、下着どころかジャージも濡らす勢いでよだれたらしてるそこも、分かってて完全無視。
純さんのあえぎはもう、しゃくりあげるような泣き声に近い。顔を隠してる髪を両手でかき上げて、至近距離から見つめる。
「……凌ちゃん?」
まつげに涙の雫を絡めて、上目遣いに俺を見返す。少し不安げに眉を寄せた、無垢さすら感じさせる瞳。この人は自分の色気にまったく無自覚だから、厄介だ。
「ね、ねえ……、怒ってる? りょうっ……、」
ムカついたからキスで口ふさいで、いきなり下着の中に手を入れた。くちくちっ、と何度か俺の手の中で鳴り、たぎったそれはあっさり果ててしまう。
苦しげに喉を鳴らすのにも構わず、口ん中をさんざんかき回しながら、すべてを絞り出すようにそれを上下に扱く。
「ん、んっ、う……」
純さんの手ががつがつ胸をたたいてくる。痛いんだろうな。それならと、一生懸命俺の手をつかもうとする手をつかんで、純さんに自分のをさわらせた。
「自分で自分の気持ちいいようにしたら?」
ちらっと自分のそこを見て、唇を噛みしめた顔をそむける純さん。俺達の手は純さんの体液でべたべたで、白いシミが下着やジャージ、俺のトランクスにまでできてる。
「このぐらい乱暴にした方が感じる? ね、純さん、どうよ?」
思い出したように、いじりすぎて赤くとがってる乳首を指先でなぶると、びくっ、と純さんの身体が跳ねた。
「だから、なに、怒ってんの、って……」
すぐ、自分がなにかしたに違いないと思うところが、ちょっと嫌いでちょっといい。
分かってんだ、俺だって。勝手にやつ当たって、それでも自分の中のもやもやをどうにもできない。純さんは悪くない、強いて言えば健司が悪い。ぽろっとなんでもないように、重大な問題提起しやがって。
詫びのつもりと、俺自身を落ち着けるために、これまでとは別人みたいな、淡く優しいキスをする。
こわばってた純さんの身体からたちまち力が抜けていく。もうちょっと俺を疑えって。俺は健司のたった一言でたくましくなりすぎた妄想に、振り回されてるってのに。
「あ……。凌ちゃん、手」
純さんがむくれ顔で俺を見る。そういや手は純さんの白で汚れたまんまで、純さんの乱れた長い髪がべったり汚れてしまっていた。
「いいじゃん、いつも俺の浴びてんだから」
「自分のはやなんだよ……」
平然と言うのに、純さんもうつむいて当たり前のようにぶつぶつ答える。
ここまで許しあってるセックスしてても、仮想敵が健司だから不安……いやこれ不安か? とにかく思考も感情も迷走、錯綜だ。あーあ、どうしようもねえなあ、俺。
純さんが無言で、俺のモノにトランクス越しにさわってきた。いまだにぎこちない感じがする、愛撫。それがいかにも純さんらしくて、たまらない。欲望が爆発する。
「トロいって!」
脱がそうとするのをさっさと自分で脱いで、ついでに純さんの服も全部脱がして、フェラしてもらう。根気よく仕込んだ俺の努力と苦労は報われて、不器用ながらも俺好みのフェラを、純さんは丁寧に一途にしてくれる。
水枕みたいにくにくにする袋の感触を楽しみながら、とがらせた舌先を硬いそれに這わせたり、先端をべろべろなめたりする。それをじっと見つめる。ぞくぞくする。
「気持ちいい?」
必ず一回は訊いてくるのに、うなずいてやる。するとますます純さんは頑張って、口いっぱいに俺をほおばる。まつげを伏せ、少し苦しげに歪んだ顔。その頬に俺の形がくっきり浮かぶのが、卑猥でたまらなくいい。
「ああ……もういいよ、純さん……」
言われて仕上げのように先端をわざと音をたててしゃぶる唇、長いまつげ、てらてらに濡れたあご、指、なにもかもが淫靡で色っぽい。それを俺が吐き出すもので汚す。マジたまんねえ。一瞬の快感以上に、こころが快楽に酔うんだ。
「んっ……」
快感が、はぜた。
口もとをぐっと拭って、純さんが笑う。俺とは対照的な、奥二重の瞳や高く整った鼻や頬に飛び散った白なんか、もう忘れたみたいに。
なにも言わず、しばらく両手で髪を撫でながら、そんな純さんを眺めた。純さんは先に進まない俺を不思議に思ったのか、瞳を細めて無言で問うてくる。
ああ、なんか苦しい。純さんをこんなふうにしたのは確かに俺で、こんな純さんを他のヤツが知るはずないと思ったって、それでもダメなのかよ。
本当に欲しいもんって手に入んない方がいいのかもなあ、と言った健司がまた脳裏によみがえる。あの時、俺の中で自然に、本当に欲しいもの=純さんになってたことからしておかしいんじゃねえか……?
大学の同じサークルの先輩、からこうなって三年。みんなには内緒とか、そういう一定のルールを守りながら、これまでと同じ流儀でつきあってきたつもりだった。
会いたくなったら会う。ヤりたくなったらヤる。お互い気持ちよくエッチできてりゃそれでいい。
俺は単純にそう思ってたはずで、だから手に入れてるもなにも、そういうつもりなら悩む必要もないはずで、なのに俺は今、初めて渋谷の交差点に立ったみたいに、うまく進めない。
今さら、気づいちまった。
純さんへの想いはいつの間にか、誰にもふれられたくない感情になってる。純さんをそれで包むのさえ躊躇するような、いろんな色を混ぜすぎて黒っぽい感情。
「シャワー、浴びようぜ」
内心の動揺を隠して、純さんの手を引いて立ち上がる。
「えっ、どうしちゃったの? 変だ、おかしいぞ、今日」
純さんは俺の両肩に手をかけ、本気でびっくりした顔をした。俺が途中でやめたのが珍しいのは認めるけど、その驚きようは不本意だわ。
「いいから、洗ってやるって」
なんか勝手に納得して、にやっと笑う。たぶん風呂場で第二ラウンド、とでも想像したんだろう。だけど俺はただいつものように、寝たいと思っただけだ。純さんにべったり甘えられながら。
タチわりいな、俺。普段は仕方なく面倒見てるようなポーズ取ってるくせに。その実、頼られることがうれしくて、純さんに依存してたのは俺の方だったのか?
「俺、これからもっと出番増えるんだって。ドラマのサイトにも、結構俺あてのコメント来てるんだって」
俺の胸中なんか知るはずもない純さんは、とにかくうれしそうだ。人の好意を疑わない。裏を見ようとしない。かと思うとさっきみたいに、二人とも自意識過剰だとか、思いがけない方向と距離から物を見てたりする。
純さんは聞いてもいないのに、今出てる連ドラの今後の展開をしゃべりだした。楽しみがなくなるから言うなと前々から言ってるのに、お構いなしだ。
俺は適当に相槌を打ちながら、純さんをバスタブの縁に座らせてわしゃわしゃ髪を洗う。湯気にほんわり包まれた純さんの声が、俺の耳にするする入っては心をなでて消える。
話の内容は頭に入ってこない。思考が勝手に、声のあとに続いて頭ん中をぐるぐる走り回る。
依存してる? 俺が? この人に? だけどもし、これから俺以上に……。
いやいや、そんなん考えちゃダメだ。ヤバイ。もうこれ以上考えんな、俺。これまでは、別に考えるまでもないって思ってたはずだろ? こんなん、突き詰めんのは不毛だ。そうなったら、終わりだ。それこそ、自意識過剰だ。
「……凌太?」
洗いたてでぼたぼた水がしたたってる長い髪の間から、探るような瞳がのぞく。悔しいけど、この人はこういう仕草の一つ一つから色気が香る。
顔にこびりついてた、俺の欲望のなれの果てはもうすっかり流れ落ちた。なのに必要もなくこすって、取り繕う。
ついでに唇半開きの無防備な表情に誘われるようにキスして、つい本気になってしまった俺は、やっぱりどうかしてる。頭の中まで湯気でいっぱいになったみたいに、なんにも見えない。
第二ラウンドが始まったと思ったらしい純さんが、するっと腕を俺の首に回してきた。俺とは対照的なほっそりした身体。背中から太ももへと続くラインのなまめかしさに、いつも目を奪われる。
「もしかして、芝居のこと誰かになんか言われた?」
分かってねえなあ。俺はそんなことじゃ萎えない。こういうことで、こんなふうになったことはない。だから今、すげえとまどってる。
それに、ついさっき芝居のことなんか言ったのは、あんた自身だろうに。その無邪気さはねえわ。
「眠いんだよ。どうせ朝またシャワー浴びるんだろ?」
嘘ついて、身体は洗わずざっとシャワー浴びて済ませた。適当に身体拭いてベッドに戻って、トランクスだけ履いて横になる。
俺の胸にうつ伏せた上半身を乗せて、思いっきり不安そうに眉を寄せて顔をのぞきこんでくる純さん。さすがに、眠いってのは嘘だって分かったらしい。こういうところ、純さんの美点なんだろうけど、時々嫌になる。
なによ、と思いっきり不機嫌に言うと、純さんは首をかしげた。
「俺には言えない?」
そりゃ、言えるわけねえ。軽く吹き出して見せたの、失笑ってことでごまかせたかな。
「だーから、なんでもねえっての。ほら、もうちょっとちゃんと髪拭いて、もう寝な」
バスタオルを頭にかぶせて、ついでに問答無用で電気も消す。
「おやすみい」
はぐらかされたと思ったのか、純さんは返事をしなかった。
途端にすべてが闇に沈む。少しの間の後に動き出した純さんの、髪を拭く音が妙に耳を打つ。
時々タオルの合間から見える、純さんの横顔のシルエット。彫りが深くて、高く通った鼻筋。ぼーっと眺めて、きれいだなと思う。俺の独占欲の始点は、そういう単純なとこにあるのかも知れない、とか考えてみる。
微妙なベッドのきしみと揺れに、淡く刺激される性欲。まだ頭ん中に湯気が残ってる。妙な気分だ。俺にしては考え過ぎたのかも知れない。
ああ、やっぱ最後までヤりゃよかったな。
でも結局思うのは、そんなくだらねえことで。
やがて純さんはバスタオルを床に投げ捨て、ぴったり俺に寄り添って横になろうとする。
俺はいつもみたく右腕で包むように純さんを迎え入れ、腕枕してやった。安心しきった大きなため息を一つついて、落ち着く位置を見つけた純さんの動きが止まる。
ふと、思った。っていうよか、ようやく認める気になった、って言うべきかな。
腕枕も、純さんが好きで、ねだられて仕方なく習慣になったんじゃなくて、きっと本当にしたかったのは俺の方なんだろうな。
だって、分かりやすいだろ? 心を許されてる感じも、こいつは俺のもんだ、って安心も同時に感じられるもんな。なんとなく悔しい気がするけど、これはたぶん事実だ。
気がつくと、腕枕をした右手で純さんの生乾きの髪をもてあそびながら、左手で背中を撫でていた。ぼんやりそうしてたら、堂々巡りの思いも少し遠くへ行った。
規則正しい、純さんの穏やかな寝息と鼓動。プレッシャーで眠れないんだ、なんて、嘘つきやがって。さっきだって、連ドラで重要な役になっていってるのに、ただただ楽しそうだったじゃねえか。
内心毒づいてみても、純さんの寝息や肌の匂いは、今この瞬間にも柔軟剤みたいに俺のこころをやわらげてる。
だけどそれにまた、少しの不安が混じる。一つ答えが出ても、また一つ懸念が生まれる。純さんだけがどんどん前に行って、そのうち俺は、こうして純さんと眠ることすらできなくなるんじゃないか。
ぽつんと、心にスタンプを押された。その感触を、俺は意識せずにはいられない。
ああ、だけど。
俺は今、気づいてよかったのかも知れない。この先、もっと差が広がって、すれ違うようになったその時に自分の想いに気づいたってもう、取り返しがつかなくなってることだってありえる。
そうならないように、俺にできることはなんだろう。今の俺になにができるんだろう。
思わず、純さんをきつく抱き寄せる。
腹立たしくて、せつなくて幸福で、俺はぬいぐるみを抱いて寝る子供のようだった。
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