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エピローグ

『無事に終わったのならよかった。今日までの三日間は発情期休暇として申請してありますから、安心してください』 「悪いな、灰谷。助かるよ」  どういたしまして、という声は電話越しにもかすかな笑みを伝えていた。  窓を大きく開き、澄んだ空気が足元にすべりこんでくるのを楽しむ。ベッドの上で眠るシンがちいさくうめいて寝返りをうった。 「俺がいない間に、特に問題は起きていないか?」そう問いかけながら、シンを起こさないように寝室を出る。 『俺たちの業務としては特に変わりはないのですが』灰谷はひと息間を置く。 『蔦川室長は――今はまだ入院していますが、懲戒免職になるだろうとのことです。やはり、あの一連の試験計画に対して国の認可が下りていたというのは嘘でした。研究所全体にも倫理委員会から通達がきています』  灰谷の口調はごくあっさりとしたものだった。 「そう、か……おまえは、大丈夫か?」 『――大丈夫じゃなかったら、なぐさめてくれるんですか?』  言葉に詰まった俺に『なにを真に受けているんですか』と笑いだす。ひとしきり笑い終えたあとで、灰谷はわざとらしく声を低めた。 『それより、ちゃんとなったんですか?』 「なんのことだ?」 『だから、榊さんの言うに、ですよ』 「ああ、それは……いや、まだだ」 『ええっ……榊さん、まだなにか余計なこと考えてるんですか!』  余計なこととは失礼だ。だが灰谷の前でさんざん遠回りしてきた手前、文句のひとつも言うことはできない。 「落ち着け灰谷」  まだなにかまくしたてている灰谷を牽制する。 「俺は、俺自身がシンを選んだ。だから、いつかシンが俺を選んでくれたら――そのときは本当の<つがい>になりたいと思っている」  はあっと盛大にため息をつく。『まぁ、榊さんらしいですけどね』という声は穏やかだった。  不意にあのオオカミのアルファの顔が頭をよぎる。彼は<つがい>のもとへ帰ることができたのだろうか。 『じゃあ、もう落ち着いたってことで、明日からはしっかり働いてもらいますよ――榊室長代理』 「は――」 『そういうわけです。それじゃ、また』  灰谷らしい会話の終わりに苦笑する。扉を開け、思いのほか冷えた空気にぶるりと身を震わせた。シンは寒くなかっただろうか――ベッドに視線を移すと、そこには皺が寄ったシーツだけが残されていた。 「シン……?」  大きくひらめくカーテンに自然と吸い寄せられる。  目覚めの光の中にシンは立っていた。  遠く地平線の彼方から顔を出した太陽が、家々の屋根の上に白い光のベールをふわりとかけていく。木立の間から鳥が舞い立ち、やわらかな春の風に乗って朝の歌を奏でる。  こぼれおちそうなほどに開かれた黄金の瞳が、俺を見て、そして薄く濡れていく。  肩にかかった薄い毛布ごとシンを抱きすくめる。高鳴る鼓動を腕の中に感じながら、まっすぐに前を見据える。 「ここがおまえの、俺たちの生きる世界だ」  街に音があふれ、人々の間でありふれた日常が動き出す。ゆるやかに移りゆくその光景を、シンはいつまでも見つめていた。

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