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第44話 アサの懐かしい言葉
宿屋をあとにすると、市場が近いからか朝早くても沢山の人が行き交いしている。迷子にならないように、繋がれたニールの手をしっかりと握ると、ぎゅーっと大きな手が握り返してくれた。
ぴょんぴょんと跳ねるように前を進むケンは、時々前を見ずによそ見をしているけど、人にぶつかりそうになる度にショーンが手を引いてあげていた。
太陽がきらきら輝いているけれど、影を歩くと少し肌寒い。少し上を見上げると青々しい木の葉がそやそやと揺れていた。
空気が美味しい。
数カ月前まで僕が住んでいた町も海に近くて、同じような潮風の匂いがした。
「おい、これをそっちに持ってけ」
ふと、何処からか聞こえてきたのは、自分の知った言葉だった。
えっ?
キョロキョロと見渡すと重そうな台車を引く男たちが人の山の中へと消えていくのが目に入った。
少し前を行く手をぐっと引くと、顔だけをこちらに向けたニールが優しげな笑顔を見せる。
「ニー、ル。ァ、ノ…ン…アレ…」
「何だ?あの生地屋のことか?」
「ン、ボク、ボ…ク、アレ」
「おい、ショーン、そこの店によるぞ」
「分かりました。ケン!走らないでと何回言ったらっ!少し寄り道しますよ、こちらに来てください」
「なぁに?アサ、買い物するの??」
「ン、チ、チガウ、ボ、ク……ンー、アッ、コトバ…」
「言葉?んー分かんないなぁ、大丈夫!とにかくお店に行っくよー!」
聞き慣れた言葉を話す男たちが消えていった出店に近づくと、風に靡ききれいな布がひらひらと舞っている。見覚えのある色に染められた布に、懐かしい絵柄が刺繍されていた。
――着物だ
「アサ、これは…これはお前の島国の物か?」
僕の手を握るニールの手が痛いくらいに僕の手を握ってきた。
問われたことは分からなかった。でも、目の前のこの人が戸惑っているのは見て取れる。
「コレ…キモノ…」
「わぁ!アサの持ってる綺麗な洋服に似てるね!きれいいいい!」
「ニール、この方たちはもしかすると…」
「ああ…」
繋がれていた僕の手が乱暴な強さで引かれた。
驚いて身体がこわばったが、次第に慣れた温かさが背中から広がる。
ニールがいつも以上の力を込めて僕に腕を回している。目の前に回ってきた彼の手はいつも通り逞しいが、小刻みに震えていた。
――どうしよう
頭と胸がドキドキ言っている。
祖国の人と話せるかもしれない。
帰れるかもしれない。
でも、僕は帰りたいのかな。
「イラッシャイ!」
異国語で大声をあげ、出店の奥から満面の笑みを浮かべた男が出てきた。
黒髪に黒目、体に纏っているのは群青色の着物。
ああ、祖国の人だ。
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