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終
激しい情交の後で、瑚和をあれほど乱した欲が、嵐の後のように落ち着いたことをまざまざと感じる。
今は冷静にこの状況を受け止めることができた。
全てを綺麗に清めた後になって、空丸は臥す瑚和を優しく抱き上げ自分の胸に乗せた。
自分のものだ、と言うように頬を優しく舐める。
瑚和はそれを素直に受け入れ、俯きながら喘ぎすぎたせいで枯れている声で呟いた。
「いつから俺がΩだって知ってたの」
でなければ発情に苦しむ瑚和を見た時に空丸が顔色一つ変えずに受け入れられたはずがない。
瑚和の頭上で空丸がふにゃ、と笑って言う。
「最初から」
「は?」
すごみのある聞き返しに、安らいでいた空丸の体がぴく、と少し固まった。
「なんで黙ってたの」
「瑚和は自分のことをβって言ってたから……匂いで分かったんだよ」
空丸は瑚和の主張を尊重して言及しなかったということだ。馬鹿がつくほど優しい。
空丸が瑚和の頬に鼻梁を擦り寄せてくる。キスをせがまれているような気がしたので、ん、と声を零して彼の鼻先に口付けた。
「でもテツは気付かなかったよ……他のαも」
「それは百合の香りのせいだと思う。瑚和の百合の匂い、すごく強いから……」
発情期のフェロモンには負けたみたいだけど、と空丸が困ったように笑う。
「瑚和と初めて出会った時、俺の番になる相手だって、感じた。百合の香りの向こうでたまらなく良い香りがした。花の蜜みたいな……甘くて、それなのに爽やかで切ない春みたいな匂い」
すんすん、と彼が瑚和のうなじの匂いを嗅ぐ、そこには赤く充血した二人の契りが綻び、まだ熱を持っていた。
驚いたように目を見開くと、空丸が取り繕うように続ける。
「僕やっぱりΩに敏感なんだ。他のα以上に……バケモノの血は抗えないよね、いくら弱虫でも」
「バケモノって言わないで。ソラは弱虫じゃない。俺を守ってくれた」
瑚和がばっさり否定すると空丸は笑って瑚和の頭を撫でる。向こうで彼の白いしっぽがゆらゆら揺れていた。
「動物の言葉が分かるのも他のαを従えられるのも、この馬鹿力も、始祖からずっと畏怖されてる。白い毛並みはその代償なんだって。嘘か本当か分からないけど」
瑚和は彼の言葉を黙って聞いていた。αもαで大変なのだ。いや、みんなそれぞれ、きっとなにかを抱えて生きている。
「自分が怖かったよ。そんな気ないのに誰かを簡単に傷つけてしまえるってことだから……両親にも、絶対に他人に手を挙げちゃだめだと……きつく言われて育ってきた」
弱虫だといじめられる自分を「それでいい」と受け入れていた空丸が、ふと思い出される。
健気さに胸を打たれた。
「だけどもしその力を使う必要があるなら……大切な人を守る時に使いなさい、って、そう言われた」
空丸の膝の上に座っていた瑚和は膝の上できゅ、と自分のか細い拳を握った。
テツに襲われた時ソラが来てくれなかったら、と思ったら急に心細くなる。
顔を上げて空丸の胸に縋った。
「ソラ、弱虫って言ってごめんね……! 俺、全然ソラのこと知らなかったのに……! ごめんね! 助けてくれてありがとう……この間、酷いこと言ってごめん。嘘だから! ……俺、こんなに優しいソラが、大好きだから……!」
空丸は当然のように瑚和を抱きしめてくれた。ずっと前からそうしてきたような錯覚に陥る。
「瑚和の居場所はララが教えてくれたんだよ。ララがいなかったら間に合わなかったかもしれない」
「え……?」
思いがけない言葉だった。
「ララ、お喋りだから……君の気持ちも保健室での言葉もなんとなく分かったし、君がクラスで冷やかされたのも分かったし……瑚和がどうやって今まで生きてきたのかも……抱えているものも伝えてくれた。よく君を見てるよ、瑚和も動物に好かれるんだね。でも瑚和に……それをどう伝えていいか分からなくて……結局こんな形になっちゃった」
彼は少し悪びれるように上目遣いになった。目の端から僅かに白目が見えていじらしい。
「運命の番云々以前に、寂しそうな君に笑っていて欲しい、幸せにしたいって思った」
瑚和はその寛大さに下唇を噛み締める……彼はやっぱり自分にはもったいないほどに優しい。
自分が惨めになるほどに。意を決して彼に向かって口を開いた。
「俺で本当によかったの、ソラ。俺はΩだけど半分βの血が混じってる。はずれ者で無知だし、ソラと釣り合うのか……まだ人生長いのに……もっと素敵な出会いが、あるかもなのに……! 俺、捨てられないか、怖い! また、発情期、きて、迷惑、かけるかもだし……体弱いし……」
言葉を遮るかのように空丸は瑚和を抱いたままベッドにふわ、と横になる。瑚和の目縁に溜まった涙を指で掬った。
彼はエメラルドの瞳で心のうちを明かした可愛い番を見つめ、あやすように笑みを零す。
「βの血が混じってるなんてすごいよ。だから瑚和は、きっとβの気持ちにもΩの気持ちにも寄り添える。βの社会で沢山の辛い経験をしてそれを乗り越えようとして……そんなΩ瑚和しかいないよ。かっこいいしすごく誇らしい。生きていて僕と出会って、番になってくれてありがとう」
彼の言葉にずっと空白になっていた心の大切な場所が満たされる。
瑚和の心が柔らかい朝日のように解けた。
……俺、生きていてよかった。
彼のこの言葉を聞くために自分は生きていたんだと強く思う。
「それに確かにαには狼藉な部分もあるけど……一度決めた番を一生愛するんだよ。ずっとずっと大切に寄り添う。僕は君を絶対に一人にしない」
夢見心地で彼の声を聞いていた。
こんな幸せでどうしよう。
抱きしめられる。綿の果実の内側に入り込んだかのようだ。
キスは温かくて……幸せで、愛しい。
そう思った矢先、直近の悩みがふと脳裏を過る。
瑚和はうんざりとため息を吐いた。
「学校行ったらまたテツに襲われるかな……発情期と考査、やっぱり被っちゃったし……」
なんだそんなこと、と空丸が耳をぴん、と立てて元気に笑う。
「瑚和のフェロモンはもう僕にしか効かないよ。だから襲われることもない」
「どうして?」
「瑚和は僕の番だから、誘惑するのは僕だけでいい」
少し恥ずかしそうだった。可愛いな。
「ヒートも今落ち着いてるでしょ、楽じゃない?」
確かに少し熱っぽいが、それなりに学校生活ができるくらいには体は軽い。
瑚和は頷いた。
「……さっき僕の精を瑚和のここに、たっくさん注ぎ込んだから……今回はもう大丈夫だと思う」
手で瑚和の腹を擦り面白おかしく言う空丸に、瑚和は顔を真っ赤にして悪態をつく。
「それでも酷かったら朝に交わろう? 番になると妊娠できるようになるから中には出してあげられないけど……次の発情期までには抑制剤も用意しておくから……もう百合は食べないでいいよ」
先の交わりを思い出す。あんなに激しい情交を朝にして教室の椅子に腰掛けられるのだろうか、遅刻しないだろうか、と悶々と思えば、下腹部がまたじわと疼いた気がした。
「それから瑚和、僕、《アルファ》になるよ」
さっきから驚いてばかりだ。
え、と思わず聞き返す。なぜ、と。
「僕が《アルファ》になればもう誰も瑚和を馬鹿にしたり傷つけたりしないでしょ」
「でもソラは、暴力が好きじゃないって……!」
「僕、瑚和のためなら喜んでバケモノにだってなれる」
その時の彼の笑顔を、きっと一生忘れないだろう……俺だけを包み込んでくれる、雪のように美しい毛皮、優雅な相貌……宝石のような瞳に子どものようなあどけない光を灯し、恵まれた巨躯で俺を守ってくれる……俺の運命の番。
「高校卒業したら、君のご両親を探しにいこうか。挨拶に行って、大学出たら籍を入れて……子どもは……たくさんがいいな、ね、瑚和……」
実現できる夢物語を語る彼に、瑚和はぎゅっと抱き着いた。
「好きにして、もう俺をどこへでも連れてって……ずっとソラの傍にいさせて」
もう必死で勉強しなくてもいい。花を食むこともしなくていい。苦しい発情期にはたくさん睦みあってくれる。食べ物もくれる。傍に居てくれる。一人じゃない。βとΩの間の外れものの俺を、かっこいいと言ってこんなにこんなに愛してくれる。
君がいたら俺、他はなにも要らないよ。
うん、と無邪気に笑顔を綻ばせる彼の鼻梁に、瑚和は啄むようなキスを落とした。
-終-
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