怖がりな筈の夏央(なつお)は、毎夜、一人で地下への階段を降りていく。 　地下の幾つかある部屋のひとつには、夏央を血で支配した男、カイザーがいて、その彼と一緒に寝ることを義務付けられてしまったからだ。 　初めて館の地下に足を踏み入れた時は、それこそ全身が震え、恐怖しか感じなかった夏央だったが、今は違っていた。地下へ降りる際に、槐(えんじゅ)への想いを馳せらせると、彼の気配があるように感じられ、逆に安心感に包まれるのだ。例えそれが霊的なものだったとしても、不思議と怖くはなかった。 　ノックをしてカイザーの寝室に入る。キングサイズのベッドのみが存在を主張する、そんな雰囲気の部屋だった。 　中世のヨーロッパ風の調度品に囲まれた部屋の中、プラチナブロンドに金の瞳を有する異国人のカイザーは、着流しという和装スタイルで、今日も違和感を放っている。 　そんな彼は、呪われた短剣で生殖機能を破壊されてから、それを治癒する為に、一日の大半を地下室で眠って過ごしているのだった。 「今日は早かったのだな…。」 　ベッドの中央で体を起こして、カイザーが夏央に声を掛けた。 　 「ええ。疲れたので、今日は早く休もうと思って…。」 　パジャマ姿の夏央は、早々にカイザーの右隣に潜り込み、横たわった。 「休む前に、する事があるだろう…？」 　カイザーに揺り起こされ、夏央は面倒臭そうな目を向けた。 「前から疑問に思ってたんですけど、…僕の血を飲む必要あります？」 　血液パックの血を摂取しているのにも関わらず、カイザーは夏央の血を直接欲しがる。それを夏央は疑問に思わずにいられなかった。 「それは大いにある。愛する者の血を取り込むと、とても満たされ、気持ちがいいんだ。…それは性行為が出来ない私の、唯一の悦楽の時間なのだよ。」 　夏央は猜疑の目を向けた後、仕方なくといった表情で、横たわったまま、カイザーに右腕を差し出す。 「今日は腕からにして下さい。」 　カイザーは不満そうな顔をしたが、夏央の腕を手にして、袖を捲り上げた。夏央は注射針から目を逸らす感じで、カイザーの吸血行為を見ないようにした。 　最初は痛みを感じるものの、次第に優しく愛撫されている感覚に陥っていく。 　夏央は声を洩らさないように、耐え忍んだ。 　夏央から一定量の血を得たカイザーは、疲れているという夏央の頭を優しく撫で、労り始めた。 「夏央は…男娼を辞める気はないのか？」 　そう問うと、夏央がカイザーの方を向いた。 「僕が仕事の所為で、疲れてるって思ってます？」 「違うのか？」 　夏央はにこりと微笑む。 「違いませんよ。」 　週に四日は男娼として、夏央は性的サービスを客達に行っている。 「辛いのなら、無理に続けなくていいんだぞ。」 「辛くはないですよ。…男同士でする性行為は好きですし、僕が辞めたら、常連さん達が悲しむので、今の処は、辞める気はないです。」 　夏央がきっぱりと告げると、カイザーが覆い被さってきた。 「もし…私の生殖器が復活したら、お前を抱いてもいいか？」 　意外な申し入れに、夏央は一瞬だけ、思考を停止させた。 「え？あー…。カイザーって、お金持ってましたっけ？」 　カイザーが困った顔をすると、夏央は笑顔を見せた。 「冗談ですよ。」 　そう言うと、夏央はカイザーに横に寝るように促した。カイザーが横になると、彼の額に掛かるプラチナブロンドの髪を、今度は夏央が撫で上げた。 「カイザーは、…ユリさんと槐さんには手を出さなかったのに、どうして僕を抱きたいんですか？」 「夏央が…、誰のものでもないからだよ。」 　カイザーの答えに、夏央は表情を少しだけ暗くした。 ――誰のものでもない…ね。 　それを噛み締めてから、夏央はカイザーの真意を知る為に問う。 「一応、僕を血で支配してる筈なのに、どうして、そんな風に考えるんですか？…仕事だって辞めるように命じたらいいし、今直ぐ僕の心を支配すればいいでしょう？」 「夏央の気持ちを、尊重したいからだよ。それに、愛し合ってる相手がいた場合、私は引き裂くことは出来ない…。」 　カイザーの答えに、夏央の瞳は潤み、口角は上がった。 「そんな風だから、ユリさんも槐さんも手に入らなかったんですよ。」 「愛する者の幸せを願う。…それが私の恋し方なのだよ。」 ――恋し方…。 　夏央は何かを言い掛けたが、声に出さず、そこで話が途切れた。 　そして眠りに就こうとした矢先、カイザーが急に夏央の肩を軽く突(つつ)いた。 「…ところで夏央。お前は冬生まれなのに、どうして夏央なのだ？」 　予期せぬカイザーの問に、夏央は微睡(まどろ)みから現実に引き戻された。 「カイザーのくせに、そんな事、気にするんですね！」 　先程と一転して、拍子抜けした夏央は急に笑い出し、カイザーを戸惑わせた。 「僕には出生後、数時間で光も見ずに、この世を去った兄がいたんだそうです。彼が夏生まれで、夏央と名付けられる筈だったんですよ。…僕はその彼の名を引き継いだから、冬生まれの夏央なんです。」 　夏央は笑い顔のまま、そう答えた。そして、質問した事を後悔しているような表情のカイザーに釘を刺す。 「僕をユリさんや槐さんの代わりにしようとしてるあなたが、同情なんて、やめて下さいね。」 「その通りだな…。」 　カイザーは肯定し、夏央の額に口付けた。 「誰かの代わりになる事は、僕は悪い事だとは思ってませんから…。」 　そう言った夏央の瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。 　夏央は一日に一度か二度、必ず、石化した槐に血を注ぐ。 　まるで花に水をやるように、それは彼の日課になっている。 　血を吸い込んだ直後の槐からは、血の匂いではなく、生前の槐から香っていた、生花のような香りが感じられる気がした。 　槐の肩口に、夏央は触れないくらいの位置まで、顔を近付けた。そして囁くように彼に話し掛ける。 「僕は病理学を学んで、カイザーの一族が保有する遺伝病を解明したいと思っています。いつか、この体に起こった事が解明できたら、あなたに話したい…。」 　槐が生き返れば、絢斗(あやと)に振り向いて貰えなくなるだろうと懸念しつつも、それ以上に槐に対して思い入れがある夏央は、彼ともう一度会って話がしたいのだった。 ――ああ、槐さん。僕はいつか、あなたを生き返らせてしまうかも知れません。その時は、どうか許して…。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜END＞