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1話「三角家の日常」
――――2週間前。
「おまわりさん、今日早番なんだろ? 早く起きろ」
「う~ん……お姫様のキスがないと目覚めませーん」
布団の中にいるでかいミノムシの寝言に、呆れてため息がでた。
せっかく作ったスクランブルエッグが冷めてしまうので、しかたなく半開きになった唇に口づけを落とした。
すると眠り王子はゆっくりと瞼を開け、ふにゃりと笑みを浮かべる。
「琴、おはよ」
「おはようダーリン。ほら、朝ごはんできてるぞ」
まだ夢見心地な鷲を布団からひっぺがし、洗面所で顔を洗わせ、そのままリビングへと連行する。
180㎝以上ある大男を引きずるのは、ホームワーカーには辛いものがある。
しかも後ろから覆いかぶさるように抱きついているので、さすがに苦言を放った。
「重い重い! ちゃんと自分で歩けバカ鷲!」
「う~、昨日は琴みたいな口のわるーいヤンキーの喧嘩止めるのに大変だったんだから、少しは労ってよね」
「さりげにディスってんじゃねぇ。たく、こんなところ鵠に見られでもしたらどうする――――――」
そこにタイミング良くトイレのドアが開き出てきたのは、パジャマ姿の鵠だった。
――なんたる不覚。アラサーのおっさんが二人してイチャついてる光景を見られてしまうとは。息子の純粋な瞳が汚れてしまう。
必死に言い訳を考えていると、鵠はクスリと笑って挨拶した。
「おはよう。父さん、母さん」
「マイエンジェルくーちゃん! ねえねえ聞いてよ、母さんが苛めてくんの~」
鷲は困っている息子にガバリと抱きつき、子供のように駄々をこねた。
これじゃどっちが大人だか分からないなと嘆息しながらも、この空気は嫌いじゃない、と思った。
何気ない日常の一コマ。それは俺にとって何ものにもたえがたい宝物だ。
三角家ルールその一。朝食は必ず3人で。
学生、在宅ライター、警察官と生活スタイルがバラバラなので、せめて朝は互いに顔を見合せ、コミュニケーションをはかろうという鷲の提案によるものだ。
鷲は朝食を食べながら、息子の制服姿をしみじみと見て言った。
「くーちゃんももう3年生かぁ~。大きくなったもんだなぁ。そういえば進路とかは決まってるの?」
「……だいたいやりたいことは決まってる」
「おお! くーちゃんなら何だってなれるよ! 父さんたちも応援するし!」
「ね?」と隣にいる鷲に賛同を促され、素直に頷いた。
事実、鵠はとても優秀だ。
俺たちが言わずとも勉強なんて当たり前のようにこなしていたし、素行不良で先生に注意をうけたことも一度もない。おまけに王子様のように顔立ちが整っていて中身も優しいもんだから、それはそれは人気者だった。
ほんと我が息子ながら非の打ち所のない――――と言いたいところだが、一つ欠点があった。
「でも……自信ないんだ。僕、Ωだし――――」
鵠の言葉を遮るように、鷲は持っていた箸をテーブルに叩きつけた。
「Ωであることは何も悪いことじゃない。成績優秀なのも人望が厚いのも、全部くーちゃんの実力。そうやって自分の性別を悲観するのは悪い癖だぞ」
二人の顔を交互に眺める。
鷲の鬼気迫る真剣な表情に、鵠は怯えている様子だった。
息子は極度のΩコンプレックスだ。同じΩである俺も性別で今まで散々苦労してきたから、その気持ちは痛いほど分かる。
だけどこの子はそれを差し引いても優れている。自分なんかより、よっぽど。
もっと自信をもって、性別にとらわれずに堂々としてほしいのが俺たちの願いなのだが――――。
「――要するに、後悔のない選択をして欲しいってこと。自分を型にはめず、やりたいことをやればいい。お前はまだ若いんだから」
「ありがとう、母さん」
とっさにフォローすると、鵠がはにかむように笑ってくれたので内心ホッとした。
すると横で突然「あ!」と声を上げた夫に、つかの間の雰囲気をブチ壊された。
――――鷲が大阪に出張に行くことになった。
「まだ朝のこと怒ってるの? だからゴメンて。何回も謝ったじゃん~」
夜、風呂上がりの鷲が寝室のダブルベッドに腰掛け、ふてくされる俺に声をかけた。
「いくら何でも急すぎだ」
「ん、そうだよね」
「しかも一週間」
「うん。ほんとごめん」
声のトーンが若干低くなっていることに気づき、チラリと鷲を見る。
いつものように人懐っこい笑みを貼りつかせているが、表情が暗いのをすぐに察した。
「仕事、大変なのか」
「はは……琴には何でもお見通しだね」
鷲が力なく笑うので、布団の中に無理やり引きずり込み、その大きな体を抱きしめて言った。
「俺の前だけはそんな風に笑うな」
すると鷲は「ありがとう」と呟き、俺の胸に顔をすり寄せ、半ば独り言のように語りだした。
「今、性犯罪についての事件を扱っているんだ。αによるΩの人身売買、売春行為――ひどいもんだよ。奴らはΩを人ではなく自分達の性奴隷だと勘違いしている。たしかにΩは異質だけども、人間であることに変わらないじゃん。俺たちと同じように泣いたり笑ったり傷ついたり、そこには紛れもなく感情があるのに。俺はαが憎い。お前や鵠を苦しめるαが心から、憎い」
「いつも守ってくれてありがとう。あんたは優しくて立派な父さんだよ」
俺は震える丸まった背中をぽんぽんと叩きながら言うと、鷲が上目遣いでおねだりしてきた。
「セックス、しない?」
突然何を言い出すかと思えば、内心呆れながら口を開いた。
「馬鹿、しねーよ。明日早いんだろ?」
「だって~1週間もしないとか、絶対耐えられない」
「知らねーよ。てか明日だって鵠の弁当作んなきゃだから寝るぞ」
ぶーぶーと文句を垂れるのを無視して照明を消そうと起き上がると、急に真顔になって告げてきた。
「鵠をよろしく頼むな。あとお前、もうすぐ発情期くるだろう? 絶対外に出るなよ」
何度も念をおしてくる夫に俺は軽く受け答えした。
何か腹が立った。
あんたが俺を心配しているのと同じくらい、俺だってあんたを心配しているんだからな。
そう思いながら顔を近づけ、唇を重ねた。
「んっ……ふぅ、」
少しの別れを惜しむように、舌を絡ませ合う。
何回いや、何十回になるだろう愛しい人とのキス。
「あんたも無茶すんじゃねーぞ。俺を悲しませたらブッ殺す」
鷲は目を細め、愛しそうに俺の首輪に触れた。
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