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11話「壊れた絆」
ジン、と項(うなじ)に熱がこもる。
稲妻のような衝撃に似た痛み。甘美な刺激は神経を伝い、脳を揺さぶる。
自分の体なのに、自分の体じゃないみたいだ。体が麻痺していて、熱い。
震える手で項をさわると、夢であってほしい現実を実感した。
――――俺は息子の番になった。
やっとの思いで喉から発した言葉は、「どうして?」だった。
「……ごめん、母さん。こうするしか方法がなかった」
後ろから絞り出すような声が漏れた。悲痛な息子の表情が目に浮かぶ。
ここまで鵠を追い込んだのは俺だ。性と葛藤していた息子の気も知らず、誘惑した。
鵠を信じてやれなかった俺の責任だ。もっと早く、過去を打ち明けていれば。
鷲が突然立ち上がる。
ぼうっとする俺の前まで来て、後ろにいた鵠の胸倉を掴み上げた。
気づいた時には、ドンと壁に叩きつけられる音が響いた。
「この、大嘘つきが」
鷲が今まで見たことのない怒りの形相で、壁に打ちつけた鵠に言う。
「おかしいと思ったんだ。お前が自分から5年前の話をするはずないから。俺を試した言い方しやがって」
「……ごめん、父さんの本音を聞きたかっただけだよ」
「聞いてどうする? 知ってどうする? どうせ琴を番にすることに変わりはないくせにっ!」
額には血管が浮かび、胸倉を掴む手をわななかせている。
敵と見なした鋭い眼光は、愛する息子を捉えていた。
「いつから俺を騙していた! ……まさか5年前から――――」
「それは違うよ、鷲」
皮肉にも、取り乱す夫を見て我に返った俺は、そこでやっと口を開いた。
それから鵠がαになった経緯を冷静に説明した。
――――全て話し終えると、ようやく鷲は鵠の胸倉を掴む手を離した。
「……そうか、どうりで腑に落ちなかったんだ。出張から帰ってきた夜、お前が俺に反応しなかったわけ。そうだよな、もうあの時には……鵠と――――――っ」
最後まで言い終えることなく床に崩れ落ち、腕で顔を隠す鷲。肩を震わせ、嗚咽をこらえていた。
謝るべきなのは分かっていた。だけどこれ以上傷つけるのが怖くて、何も言えなかった。
だけどそんな俺をよそに、鵠は意を決したように口を開いた。
「父さん、聞いてほしい」
「黙れ。お前はもう息子じゃない。αの言うことなんて信じない」
「母さんを番にしたのは、もちろん愛しているからだけど、それ以上に自分以外のαに襲われないためでもあるんだ。父さんが一番理解しているはずだよ。番をもたないΩは発情期が訪れるたび、αやβに襲われるかもしれない恐怖と戦わなきゃいけない。父さんだって辛かったはずだよ。だから発情期の間は母さんを外に出さなかったんだよね? もし他人のαに母さんを番にされたら、そこで互いの糸は簡単に引きちぎれちゃうから」
「……黙れと言った。これ以上お前の話なんて聞きたくない」
「黙らないよ。これは僕たちの絆を、家族を守るために大事なことなんだから。僕と母さんが番関係になれば、これからは発情期の心配なんかしないで、安心して暮らせる。また幸せな家族になれる」
「そんなのは後づけだ。お前が琴を自分のものにするためのな」
「だって父さんにはできないでしょ? 母さんを番にすること。父さんはβだからできないけど、αの僕にはできる。だからこうするしか方法はなかった」
「――――――は?」
――――だめだ、これ以上は。
鷲の地雷を踏みぬく音を感じた。
もうやめろ、と口を開こうとしたが遅かった。
ゴッ、と床に叩きつけられた息子の顔。
一瞬だった。躊躇など微塵もない殴打。
「鵠!!!」
慌てて駆け寄ろうとしたが、鷲にグイと退けられる。
鷲は鵠に馬乗りになり、何度も何度も、顔面に拳をぶつける。
「まただ――――お前らαは、いつも俺の大事なモノを奪っていくっ……!」
怒りと悲しみが入り混じった歪んだ表情で、息子を殴り続ける夫。
鼻血と口の中の血で、グチャグチャになる息子。
壊れてしまった二人を前に、後悔と自責の念に押しつぶされそうになり、せき止められていた涙がこぼれた。
俺は後ろから鷲の両腕を掴み、泣きながら訴えた。
「もうやめて、鷲……俺が、全部いけないんだ。鵠を誘惑したのも、お前に鵠のとこを打ち明けるのをずっとためらったのも、全部俺のせいなんだ」
夫の体がピタリと止まる。
虚ろな目で血まみれの息子を見下ろし、泣きじゃくる俺を見る。
そしてゾクリとするような落ち着いた声色で言った。
「ここを出て行くよ。どっちみちβの俺がここにいる意味はないから」
「そんなことっ――――」
「番になったら、もう俺とお前は愛し合うことはできない。αと暮らすのもごめんだ」
「――――っ」
「終わりだよ、何もかも。偽物だった、この5年間」
「……本当にそう思うのかよ。俺は生きてて良かったて思えるくらい幸せだった。お前も同じはずだろ? なぁ?」
俺の問いかけに鷲は答えないまま立ち上がり、震える声で呟いた。
「バイバイ、琴……鵠。もう二度と会いたくない」
鷲は手早くカバンにスマホや財布やらを詰めると、玄関まで歩いて行く。
追うことはできなかった。
血まみれの怪我人を放っておけるわけがない。
「――――待てよ! 鷲! この馬鹿っ!!!」
俺の叫びはもう見えない背中には届かず、バタンと玄関の扉が閉まる音だけが無慈悲に響いた。
取り残された俺と息子。
すぐに水でタオルを濡らし、膝枕している息子の頬にあてがうと、赤黒い血が真っ白な布にジワリと染みこんだ。
スースーと、か細い息を吐きながら苦し気に目を瞑る鵠に、俺は再び涙が溢れた。
「……馬鹿は俺だ」
情けなく泣いている俺の頬に、鵠がそっと手を添えた。
口元が微かに動いていたので、凝視すると――――
❝ご、め、ん、ね❞
「――――っ、謝るのは俺の方だよ。ごめんなぁ、くぐい、しゅう」
空いた手でギュッと握り返すと、鵠は安心したように眠りについた。
「お前が起きたら、俺と鷲のこと、全部話すから」
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