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10話「僕は悪い子」 side:鷲

――――激しく腰を打ちつける。  今度こそ、必ず ――――恋人のナカに自分の欲望を吐き出す。  次こそは、と祈りを込めて  息を整えながら、恋人を見下ろす。  琴は自嘲的な笑みを浮かべて言った。 「また赤ちゃんできなかったね」  急に場面が変わる。  さっきまで裸だった俺はいつの間にか服を着ていてた。  正面に、目を細めるとうっすら人影が見える。  すぐに分かった。愛しい俺の恋人だ。 「琴!!!」  恋人の元へ走って、走って、近づくにつれ、彼の隣にもう一人誰かいることに気づく  目の前に駆けつけた俺に、琴は冷ややかな眼差しを向けた。 「お別れだ鷲。俺にはもうお前は必要ないから」 「な―――――なんでだよ。誰だよ、そいつ」 「新しい恋人。αなんだ。セックスもすげぇ気持ちいいし、テクも最高でさ」 「あるふぁ……」 「βのお前とじゃ、赤ちゃんは生まれない。βのお前とじゃ、俺は満足できないんだ」  ガツンと、ハンマーで殴られたような衝撃で、立っているのもやっとだった。  何も言い返せずにいる俺を、琴はさらに絶望へと突き落とす。 「さよなら鷲。『家族ごっこ』はもう終わりだ」 俺を置いて行かないで……琴  遠くなる琴の背中に、絞り出すように呟いた。  目の前が暗くなって、全身に力が抜けて、膝から崩れ落ちた。 「あーあ、捨てられちゃったね。もしかして泣いているの? カワイソーなお兄ちゃん」  いつの間にか、セーラー服を着た少女が俺を見下ろしていた。  憐みや同情の言葉に反して、悪戯な笑みを浮かべている。 「舞花(まいか)…………」 「お兄ちゃんがいけないんだよ。お兄ちゃんがβじゃなくてαだったら、琴さんも離れなかったのに。私だって――――自殺なんて選ばなかったのに」  妹から発せられる怨念のこもった呪文。  俺は床に額をこすりつけ、泣きながらひたすら懺悔した。  妹が今どんな顔をしているか、確かめるのがたまらなく怖かった。 「鷲、鷲、鷲っ!!!」 「こ、と…………?」 「すげぇうなされてたけど、大丈夫か?」  目を覚ますと、心配そうに俺の顔を覗き込む琴の姿があった。  シャツ越しに寝汗がベッタリと肌にまとわりついていて、気持ち悪い。 「あー……大丈夫! ちょっと悪い夢見ちゃっただけ。起こして悪かったな」  悪夢を見る原因に身に覚えはありすぎた。  Ωの売春事件、琴の不調、何か抱え込んだ様子の鵠。  もっと、もっと、俺が頑張らないと。  αの征服に苦しんでいるΩの人達、愛する妻と息子――――必ず、俺が守るために。  それから仕事に没頭し続けた。  大阪で見つけた手がかり――東京でΩを違法に斡旋しているというオーナーについて、繁華街で聞き込み調査に明け暮れ、先輩には「ほどほどにしとけよ」と呆れられる始末。  だけど、俺にはそのオーナーを必ず逮捕する天命にも似た使命感を持っていた。  そのオーナーはどうやらαだともっぱらの噂だ。 ♢♦♢♢♦♢  一週間ぶりに我が家に帰宅した。愛する妻と息子の第一声が「風呂に入れ」だった。 「何日寝ていなかったらそんなクマできるの?」 「う~ん、日付数えるのやめちゃったくらいかな」 「……ふざけないでよ、心配してるのに」  風呂から上り、ビール片手にベランダで涼む俺に、声をかけたのは鵠だった。  さすがに一週間ぶっ通しで、張り込みと聞き込みと資料整理でほとんど徹夜してた、とは口が裂けても言えない。 「仕事、大変なんだね」 「まぁ、職業が職業だから定時で『はいさよなら』ってわけにもいかないさ。今だってこうしている間にも警察の助けを必要としている人は大勢いるしな」 「やっぱり父さんは強いや。僕なんか自分のことで精一杯なのに」  今日はやけに素直だ。  隣でベランダの手すりにつかまりながら喋る息子に、違和感を覚えた。 「父さんは、αが嫌い?」  予想だにしなかった質問に、思わず飲みかけていたビールを噴き出しそうになる。  隠していたつもりだったけど、何かの拍子で口に出してたか?それとも琴から聞いたか?  色んな憶測が脳内で飛び交ったが、正直に答えた。 「嫌いだね。全員ブチ殺してやりたいくらいには」  この子はとても聡い子だ。嘘で塗り絡められた正義感が、ただの偽善だとすぐ見抜くだろう。  鵠は俺の答えを聞いて、小さく頷くだけだった。  もしかして軽蔑されたかな、なんて思ってしまったが。 「ずっと父さんに聞きたかった質問があったんだけど。5年前、僕を保護したよね? あの時、もし僕がΩじゃなかったら、家に引き取っていなかった?」  ――――今日の鵠はおかしい。自分からトラウマを掘り返すような話、するはずないのに。  それにさっきの質問とどう関係するのか、まるで読めない。  だけど話題を逸らすのも難しそうだった。鵠の瞳は「正直に話して」と訴えていた。 「――――引き取っていなかった、と思う」 「…………そっか。それは、父さんと母さんが隠している過去と関係しているのかな?」 「なんで、それをっ――――」 「父さん、家族家族って連呼するわりに、肝心なことは喋ってくれないもんね。母さんと一緒になって僕に隠しごとしてる。それって家族って言えるのかな?」 「不安にさせたのは悪かった。だけどお前に初めて発情期が来た時、俺たちの過去のことを話そうとは考えていた」 「――――発情期、ね。そういえば、母さんの発情期はいつだっけ?」  何で急に琴の話になるんだと口にしようとした矢先――――室内から強烈に甘い刺激臭がした。  鵠との会話がフッ飛ぶくらい、脳内を揺さぶる匂いに、すぐにΩのフェロモンだと察した。  俺は急いで室内に戻り、琴を探した。  琴はリビングのソファにもたれ、うなだれていた。 「発情期がきたんだなっ!? 薬は、抑制剤はどうしたっ! いつもひどくなる前に飲んでいただろう!?」  顔を赤らめ、グッタリする琴に、悪いとは思いつつ問いただす。  いつもよりフェロモンの匂いが強くて、βの俺でも理性を保っていられるかどうか危うい。 「お目当てはこれでしょ? 洗面所と寝室とリビングの戸棚に3箇所、常備してたもんね」  鵠が手にしていたのは、琴の抑制剤だった。どうしてそれを持っているのかよりも、息子の状態が一番気になった。  琴と同様に紅潮した顔、口の端からはダラダラと涎が滴り、遠目でもハッキリ視認できるほど盛り上がった股間。 「―――――お前、まさか琴のフェロモンに当てられたのか?」 「ごめんね、父さん。僕、もう良い子をやめるよ」  ドン、と鵠に突き飛ばされた。  体勢を立て直そうとした時には、すでに鵠は琴の後ろに回っていて――――首輪を取り外していた。 「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」  琴の絶叫も空しく、露になった無防備なうなじに、息子の歯が立てられた。

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