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第1話

 見上げると、どこまでいっても雲ひとつない青空を様々な色の飛行船が行き来しているのが目に入ってくる。まるで船が広く青い海を駆けていくような光景。  そこから視線を下ろすと、今度は氷河が削り取った険しいフォルムの山頂が見え、さらにその下に今度は美しい緑をまとった山裾が広がっていた。  ピュウ、と鷹が鳴くような鋭い音が聞こえ、強い風が吹く。  季節を問わず吹くこの強風はときおり大きな嵐を引き起こすので実に旅びと泣かせだが、これが新鮮な空気をもたらし、この地域独特の乾燥しすぎることのないからりとした爽やかな気候を作る重要な役割を担っている。  ここはイオの国の首都アーラから遠く離れた町ルイニア。  隣国ラネルとの国境近くにある街道の町である。  イオとラネルとの間には標高はけっして高くないが長く横たわるウッツ山脈があり、このウッツを越えるとラネルの国であった。  山岳地域なため、鉄道はもちろんだが山越えに便利な飛行船や、鉄道が入れない場所には小回りのきくジャイロコプターが活発に行き来していて、別名を航空の町とも言われている。  今日も空のあちこちを鳥が舞うように色とりどりの乗り物が飛び回っていた。  またルイニアは国境近くとあって貿易も盛んであり、ここで準備を調えウッツ越えに臨む者も多く、そんなことからなんといっても宿屋が多い。街道にずらりと並んだ宿屋の前では客引きがしきりに声をかけていた。  しばらく凪いでいた風が再び甲高い叫び声を上げはじめる。 「おいおい、これじゃあ商売あがったりだ」 「この様子じゃ、当分やみそうにねえな」 「まったくだ。飛行船もこれじゃあ着陸できないだろうよ。まあ、風が弱くなるまでのんびりしとこうぜ」  客引き同士がそんな会話を交わしながら、ばたつく服の裾を気にして宿の中へと引っ込んでいく。  そんな客引きたちにはおかまいなしとばかりに、クロエは長いウサギの耳を揺らし、大きな荷物を抱えて歩いていた。 「あー、もう、こう風が強いのは勘弁して欲しいな。耳が痛いったら」  しかめっ面をしながら溜息をつく。  荷物を持っているから大事な耳にまで気を遣えない。早く帰らなくちゃ、と歩くスピードを速めた。  クロエはウサギとヒトの亜人だ。耳と尻尾はウサギのものだが、他はヒトの性質を持っている。亜人にはきれいな子が多いという巷の俗説を裏づけるかのように、クロエは誰から見てもきれいな青年だった。瞳はルビーにも似た艶やかな赤い色、また肌の色は雪と同じように白い。その整った容姿は道行くひとの目を惹きつけた。 「おう、クロエじゃねえか。どうしたそんな大荷物」  声をかけたのはテダというヤギ属の男だ。彼は高山ガイドでよくルイニアにやってくる。  彼が常宿にしているのが、クロエが働いている新月亭(しんげつてい)という小さな宿屋で、だからクロエとも顔見知りなのだった。 「あっ、テダさん。ちょっとね、ミュカのお使い。中央通りに新しいお菓子屋さんができて、そこのナッツケーキが美味しいっていうもんだから」  ミュカというのはその新月亭のおかみだ。 「ナッツケーキ? それだけでその大荷物か?」  はあ? と怪訝な顔をするテダに苦笑する。  テダのその顔も当然だ。たかがお菓子の買い物だというのに、クロエは大きな紙袋を抱えているだけでなく、さらにいくつもの手提げ袋を持っているのだから。大荷物も大荷物で知らないひとが見たら、なにをそんなに買い込んだのだろうと思うはずである。 「もちろんナッツケーキだけじゃないよ。ほら、ミュカはテダさんも知っていると思うけど相当の甘党だから」  それを聞いてテダは「ああ」と納得したように頷いた。  ただの宿の客のテダでも納得してしまうほど、新月亭のおかみであるミュカの甘党っぷりは知られたところで、甘いものがないと機嫌が悪いと噂にもなっているほどだ。  今日もクロエはテダに説明したように、ミュカの使いで、ナッツケーキだのクッキーだのキャラメルヌガーだのを買いに行ってきた。買い物袋がてんこ盛りになるほど買い込んだのは、この強い風のせいだ。  ミュカは強風に引き続いて、嵐がやってくると予測していて、しばらく買い物にも歩けないだろうからとクロエを使いにやったのだ。  ミュカの天気予報は当たる。だからクロエも素直に言いつけを聞いて買い物に出かけた。 「そんだけ買い込んだってことは……じゃあ、当分はルイニアに泊まるはめになるってことだな」 「たぶんね。風にちょっぴり湿気が混じってるらしいよ」  俺にはさっぱりわかんないけど、と肩を竦めると、テダは少し、ふうん、と考え込む素振りを見せ、そうして顔を上げた。 「わかった。……そういうことなら、俺もさっさと新月亭に行っちまおう。ひと仕事終わってからと思ってたが、嵐が来てからじゃあ宿も取れなくなっちまう。――そら、半分持ってやるから、貸しな」 「ありがとう。じゃあ、お願いしていいかな」 「任せておけ。そっちのもよこしな」  テダはクロエから荷物を半分どころかほとんど受け取り、一緒に新月亭へと向かった。

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