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第1話
一
あの夜の熱と快楽を、今でも覚えている。
血が煮えたぎるかと思うほど、身体中が熱を持っていた。彼の肌が、吐息が、この身に触れるたびに、目の眩むような快感が駆け抜けた。
初めて抱かれるはずのこの身体は、まるで手練れた娼婦のように柔和に男を迎え入れ、彼を悦ばせた。
戸惑いより恐怖より、嵐の海のように激しい快感と、そして彼に抱かれる喜びのほうが勝っていた。
抱かれたのはあの夜、たった一度だけ。
数年経っても褪せることのない思い出は、今も時折、夢や白昼夢となってこの身体を甘く苛む。
「大将、大将」
男性の呼ぶ声に、水野(みずの)優吾(ゆうご)は我に返った。窓際の席で、年配の常連客が手を振っている。
「すみません、ぼーっとしちゃって。お冷ですか」
笑顔で取り繕う。寝ていたわけでもないのに、ぼんやりしていた。
「うん。あとコーヒーのお替わり。大丈夫? 具合悪いんじゃないの」
「いえいえ大丈夫です。すみません。店を継いでからどうも、のんびりする癖がついちゃって」
正直に言えば、少し身体がだるい。いつものやつだ。
今月はちょっと早いんじゃないのか、とカレンダーを見ながら思う。あとで薬を飲んでおかなければ。いやそれより、糖分を摂取するほうが先か。
「喫茶店なんだから、のんびりするくらいがいいんだよ。せかせかされちゃあ、客がかなわない。大将もようやく板についてきたね」
以前はよく、「大将はやめてくださいよ」というようなやり取りをしていたのだが、常連客がみんな「大将」と呼ぶので、面倒になってこの呼び名を受け容れている。
この場に先代マスターの祖母がいれば、
「この子が大将だったら私はなんだい。大隠居かい」
などと軽口の一つでも叩くのだが、あいにく彼女は今、友達と旅行に出ている。祖母に似ず元来が寡黙な優吾は、にこやかに笑って「ブレンドでいいですか」と尋ねるのがせいぜいだった。
二十八にもなって、人見知りもないものだ。かつて社長秘書を務めていた頃はもう少し覇気があったし、初対面の相手との調整や交渉も問題なくやれていたはずなのに。
カウンターに戻ってコーヒー豆を挽きながら、もうちょっと喋れるようにならないとな、と反省する。
もともと優吾は自信がなく、内向的な性格だった。外見もパッとしない、のっぺりした顔だと思う。
目尻が垂れた、ぽってりとした一重まぶたの目は真顔でも微笑んでいるようだとよく言われる。上背は百七十センチちょっとで、身体つきも華奢だ。中学までは女の子に間違えられることがしばしばあって、それがコンプレックスだった。
社会人になって、見違えるように社交的になれたのは、好きな仕事をしているという喜びと、それから素晴らしい上司に恵まれたからだろう。
内に内に向かっていた性格が、大きく開け放たれていくのが自分でもわかった。
だから息子の幸多(こうた)が生まれる前、ある変化が起こって、それらの充足感がすべて無に返ってしまった時は、怖くてたまらなかった。
重大な変化のせいで、一時は自分の部屋の外に出るのも恐怖だったのに、今こうして一人で店を回していられるのは、周囲の協力のおかげだ。
自分は人に恵まれていると、優吾は思う。家族や店の協力者、それに昔ながらの常連客たちが、今の優吾を支えてくれている。
『珈琲みずの』は、下町にあるレトロな喫茶店だ。喫茶店を開くのが夢だった祖母が、四十年前に始めた。
内装は木材にこだわり、ぬくもりのある木目調のテーブルが使われている。金型業の経営が堅調だった祖父が、祖母のために張り込んだのだそうだ。
椅子の革を張り替えたり、壁を塗り替えたりとメンテナンスはしているものの、調度は四十年前のまま。店内には有線のクラシック音楽が流れ、客はめいめいにおしゃべりをしたり、新聞を読んだりしている。
優吾は子供の頃、祖父母とは別に住んでいたが、歩いてすぐの場所だったので、この店にもよく遊びに行ったものだ。
店の常連客は優吾のことを「優吾君」「優ちゃん」と呼んで、祖母が店で忙しい時には話し相手になってくれたり、飴やらお菓子やらをくれたりした。
彼らは今も変わらず店に来てくれる。息子や孫のように可愛がっていたかつての子供を、「店長」「マスター」と呼ぶのは気恥ずかしい、というのが、「大将」と呼ばれるようになった所以だった。優吾にとっては「大将」のほうが恥ずかしいのだが。
とはいえこうして、ぼんやりしていても怒るでもなく、むしろ体調を気遣ってくれる、優しい人たちが周りにいるおかげで、優吾のような者でもいっぱしの顔をして喫茶店のマスターを気取っていられるのだった。
「そろそろ、幸ちゃんたちが帰ってくる時間かしらね」
年配の男性客にコーヒーのお替わりを出し、店内の客にお冷を注いで回っていると、同じく常連の老婦人が店の時計を眺めて言った。周りの客たちも「そうだね、そろそろだ」と顔をほころばせる。
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