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◆06

『人手が足りないクソ忙しいしぬあのクソオーストラリア野郎まじあとでシメる』  要約するとだいたいこんなことを言っていたが、実際には苦笑いでは済まされない様な赤裸々かつとんでもねー罵詈雑言の嵐が次々と耳に飛び込む五分間だった。  パソコン向こうの白黒頭の小柄な女の主成分は寝不足と暴言だ。まぁつまり俺とほとんど同じ人種なわけで、日本在住のリズカはヘクセンハウスの仲間内でも比較的気安く通話をする仲だった。  確か歳も二個下くらいだった気がする。忘れたけど。  俺の同僚に対する興味の薄さも悪いが、全員顔もあやふやでも気にしないような奴らが集まってるもんだから、仕方ない。 「絶好調に暇そうじゃんエリザベータ・サクラバ」  五分間の暴言の海を聞き流した後、呆れながら言葉を挟む。よく見りゃかわいい顔なのにだいたいいつもキレてるリズカは、今日も嫌そうに眉を寄せた。 『うるっせー本名で呼ぶな引きこもり野郎。あたしの本来の仕事は片付いてんだからキーボードカチャカチャッターン! する必要なんざこれっぽっちもないんだーっつの。明日からのあたしの予定もっかい見てみ? よく見てみ? なに? トルコモナコインドネシアそんで上海? ばかじゃない? こちとら世界の端の島国の民なんですけど? っつかあたしSEであって営業じゃ!ないんですけど!』 「イーサンが入院してんなら仕方ないよなー。フランシスも動けないんだろ?嫁が流産の危機じゃしゃーないだろ」 『だっからさぁ! 窓口っつか営業増やそうっつってんのにフランシスもさぁ! 忙しいから今はちょっととか言って逃げやがんのあのギーグまじ仕事楽しいです~プログラミング楽しいです~で経営上手くいくと思ってんのかクソ! クソ野郎! つかチャックあんたまだ引きこもりしてんの!? もうあたしの為に早くそっから飛び立て雛鳥!!』 「やたらかわいい比喩してくれてサンキューだけど俺は向こう三年くらい引きこもり雛鳥なんじゃねーのと思う」 『どいつもこいつもー! クソ野郎ー! ワーカホリックなレディを助ける王子様いねーのか!』  そんなものもちろん居ない。  我がヘクセンハウスはパソコンオタクの集まりなわけで、女に向かってお姫様だとかなんだとか歯の浮くようなセリフぶちかますジェントルは皆無だし、なんならレディファースト精神も死んでいる。悪い意味でも良い意味でも男女平等。大変先進的かつブラックな職場だ。  なんて事実リズカは聞き飽きてるだろうし余計なこと言うとまた怒鳴るだろうから、軽く笑って言葉を流した。  喚いてるときのリズカはだいたい叫びたいだけだ。こいつは本気でキレると黙るタイプだから。  ちなみに現在こっちは朝の十時。八時間時差がある日本は単純計算十八時なわけだが、俺と同じく見事昼夜逆転しているリズカはいま起きたとこだろう。  俺が引きこもりながらもそれなりに健康で文化的な生活が出来ているのは、金があるからだ。そしてその金を提供してくれる素晴らしい職場は、朝起きて出勤して同僚の顔色伺って挨拶しなくても良い。俺の職場は自室とインターネット世界で、コミュニケーションは通話かチャットかSNSで事足りる。  ヘクセンハウスはアメリカのシアトルに本部があるSE会社、というかSE集団のグループ名だ。  なんでもアメリカの大学サークルのノリというか延長線でできた会社らしいけど、初期メンバーじゃない俺はよく知らない。なんでアメリカの会社なのに名前がドイツのケーキなんだとか、そんな細かいことにつっこむのは面倒だったし、とりあえず家ん中で仕事できてそれなりにコミュニケーション面倒じゃない会社ならなんでもよかった。  今はそれなりにヘクセンハウスって集団が気に入っている。誇り、とまではいかないけど、メンバーである事実は悪くない。  いつでもなんでも、どんな難題も解決する怪物SE集団。そんな笑えるキャッチコピーも、俺がヘクセンハウスを気に入っている理由の一つだ。  ヘクセンハウスはプログラミング好きなコンピュータオタクの集まりが元だった。だから要するにみんなオタクで、内輪のコミュニケーションはまだしも外との対話がクソみたいに苦手だ。  基本はイーサン(リズカ曰く顔の良い性格ブスオーストラリア野郎)がひとりで請け負っているんだけど、なんと麗しいひょろ長野郎は先週の日曜に車に轢かれて全治三ヶ月の重症らしい。笑えない。笑えないが正直この一報を聞いたときは腹がよじれるほど笑った。あのすました顔のイーサンが、どんな顔して車に跳ねられ宙を舞ったのか想像したらギャグだった。もちろん、本人が割合元気だったら笑えるわけだ。  イーサンの手があかない場合はそれぞれ近場の人間が営業に駆り出される事もある。けどまぁ、前途の通りだいたいオタクだ。ナードかギーグだ。要するにコミュニケーションに難がある。頭がいいやつはだいたい変人だから仕方ない。  そんなわけでイーサンが笑える事故で入院中、リーダーであるフランシスも動けないとあって全ての対人業務が割合猫を被る事が出来るリズカに一任されちまった、という具合だった。  苛々ときたねースラング吐き出しまくるこのどう見てもロックかパンクかぶれの女は、ひとたびスーツかドレスを身に纏えば、それなりに淑女ぶることができるらしい。  その場に居たことがない俺は知らないけど、写真で見たパーティー会場のリズカはどう見てもリズカの顔をした別人だった。生き別れの双子が実は貴族の娘でした、と言われた方がまだ納得できる。とても本人とは思えない。  できるんだからやりゃいーじゃん、なんてのは外野の勝手なワガママだ。俺だってクライアントに『これもできるでしょ?』みたいにわけわかんない上乗せ要求されたらキレる。普通にキレる。仕事以外のサービスなんてまっぴらだし、リズカだって本人が言うようなカチャカチャッターン!ってやる仕事以外はまっぴらだろう。  わかるけどじゃあ俺が代わりに、なんて言えるわけがないから仕方なく黙るしかない。  まぁ一応悪いとは思ってるし。俺がリズカやイーサンを手伝えないのは、完全に俺個人のワガママな理由が元だし。  なんて久々にしおらしく謝ってみれば、リズカは左の眉だけ器用に跳ね上げて不信感を示す。 『……素直なチャックきもちわるぅ。てーか、こんな時間に起きてるのがもうそもそもきもちわるー』 「朝っぱらからくっそ失礼な奴だなほんと。つか要件は愚痴だけ?」 『たまには同僚コミュニケーションも悪かないっしょ。こんな時間にチャックがログインしてたらそら声かけるでしょ。近状報告たまには楽しいじゃん。つか愚痴じゃなくて働き方提案だよまじで求人した方がいいよヘクセンハウス。誰か暇そうな奴居ないのイギリス。暇そうでモリモリ外国語覚えてくれて笑顔で我がプログラマーとクソみたいな要求しやがるクライアントとの仲を取り持ってくれそうなそこそこ器用な奴』 「いねーよそんなハイスペックなイーサンみたいな奴……」  立腹中の日本の同僚は破茶滅茶な事を言いやがる。  語学に堪能、というワードでちらりとノルの顔が頭をよぎったが、どう考えてもあいつは暇じゃない。なんならリトル・ヒューストンで一番忙しい筈だ。  ついでにイーハの顔を思い出したがやっぱり即却下した。あいつも普通に仕事してるし、イーハがラティーフの秘書以外の仕事に転職するとは思えない。二人並んだ姿はあまりにもしっくり来すぎている。  いやあいつと同僚になるとか嫌だけど。絶対嫌だけど。……嫌だけど絶対仕事が楽になるんだろうな、という確信もある。  イーハは段取りが腹立つほどうまい。次になにをするべきか、常に先を読んで行動している筈だ。無駄がない上に効率的。食事も丁度いい時間に当たり前のように準備されていて、サービスの良いホテルかよって笑ってしまった。  料理もできるくせに仕事もできる。なんでも出来てほんとうに嫌な男だ。俺があいつに勝てるのはチェスとかゲーム関係くらいじゃないの? とまじで思う。  他にもなんか弱点あればいいのにな、腹立つから。と、考えて、若干嫌な事を思い出してしまった。  チリにも、グレッグにも、ノルにもあんまり言いたくない話題だ。オフェリアならギリギリ感情抜いてレスポンスしてくれそうだけど、わざわざトルコに電話するほどでもない。  もちろん遠い国の同僚に漏らすような話でも無いから、いかにヘクセンハウスには営業職が必要か滔々と語るリズカの言葉を半分くらい聞き流しつつ、今日の晩飯何かなーなんて、あえて適当な事を考えた。 『……あ。そういやフランシスからネバダの仕事回ってきた?』 「なにそれ。はつみみ……いや待てそんなメッセ来てたかもしんない。あー……フランシスの案件のサポート?」 『そ。手が離せないからチャックに振るってさ。あんたが一番手早いから。言っとくけど正確さならあたしの方が上だかんな。納期まだ先だしあんたならフランシスよりマシなもん作るとは思うけど、さらっと見て問題あったら若干なら手伝うよ。明日は移動日でたぶん暇だから』 「まじで。優しいじゃん。なんか変なもんでも食っ……うそ。うそだってなんでもないって。あーでも、明日は落雷の予報出てるからPC落としてるかもしんねーわ。納期と中身確認して必要なら折り返す」 『おっけ。……なに、そっち天気悪いの?』 「霧の街は大概天気わりーよジャパニーズ」  明日の天気予報は最悪で、なんなら今日からすでに太陽は隠れている。午後からは雨の予定で、そのうち最悪な雷を連れてくる。  自然災害で一番勘弁して欲しい奴が雷だ。あいつらは笑えるくらい容易に俺たちの商売道具をぶち壊す。  リズカにおざなりに別れの挨拶をして、さらっと連絡事項を確認してタブレットの方に必要なものぶっこんでから、パソコン落としてモデムの電源も切る。ついでにコンセントからプラグも抜いた。嵐は明日だが、今日雷が落ちない保証はない。  どっからショートするかわからない。  納期前の修羅場なら気にせずぶっ続け作業してるところだが、暇な時期に無駄にパソコンぶっ壊したく無い。  全てのプラグを抜いて二回チェックし終え、リビングに出ると玄関先で上着を着込んだイーハとチリに鉢合わせした。 「……え、なに。雨降るんじゃねーの? どっか出かけんの?」 「いい加減同じ服を着ていることに嫌気がさしてきましたので、本格的な嵐になる前に適当に見繕って参ります」 「あー……あんたのそのシャツ三日目か……そりゃ確かに着替えが必要だわな。チリも一緒に紳士服の買い出しデート?」 「あたしはードラッグストア行きたいのー。頭痛くてさぁ……鎮痛剤欲しいんだけど、イーハに頼むわけにはいかないじゃん。イギリスの店なんかわかんないだろうし。だから仲良くデートしてくるから、チャックお留守番よろしくねー」  だらっとした声を出すチリは、確かに若干覇気がない。  昨日は部屋から一歩も出てこなかったし、まだ二日酔いが残ってるのか、それとも帰郷の疲れが取れていないのか。よくツキイチでぐったりしてるから女のアレなのかもしれない。勿論言わねーけど。デリカシーなくてもそのくらいの配慮は一応するよ俺だって。  チリが具合悪そうなのは割合いつものことだ。チリがドラッグストアに通うのもいつものことだしなんなら今日は荷物持ち兼お守りの秘書も同行するんだから俺が心配する事なんて何一つない。  へーへーどうぞごゆっくり行ってらっしゃいませ、とおざなりに手を振り、二人を曇り空の中に送り出した。  外は昼間にしちゃ暗いが、思っていたほど風はない。優秀な天気予報が予測している通り、雨が降るのは午後からなのだろう。  開けっ放した玄関のドアをそのままに、俺はなんとも言い難い気持ちで壁にもたれた。  ……チリ、あのスカートおろしたてのやつじゃない? つか近くなかった? いやチリのパーソナルスペースはデリカシーの無さに比例して狭いし、あの男もなんかやたら近いけど。それにしても連れ立って歩き出す二人はまるで、付き合いたての恋人のようだ。 「……俺のこと好きなんじゃないのか……?」  自然と眉間にシワが寄り、腹のなかが重くなる。  ぐっと息がつまるような感覚には覚えがある。最悪だ。これ嫉妬じゃん知ってるぞ。俺だって学生時代は普通に外に出て生活してたし、それなりに青春謳歌してたんだからさ。  私は貴方に傅きたい。  そう言ったのはあいつだ。存分に酔っていたし、何処までが冗談で何処までがマジなのか俺には判断つかないけど、いやあれ冗談言うタイミングじゃなかったよな、と何度も思い返してはため息を吐く二日間だった。  やだ嬉しい! とか、え、うそ……どきどきする……とか、そんなことはない。あるわけがない。俺は今のところゲイじゃないし、何なら俺よりデカイ男は基本的に怖いし嫌いだ。あいつ目つき悪いし。無表情でこえーし。イーハ・オコナーには存分に苦手な要素が詰まっている。  イーハの告白紛いの言葉は、まぁどう考えても恋愛あるいはそれに近い友愛の感情故に飛び出た酔っ払いの爆弾発言に違いない。  それなのにチリと仲良く買い物っすか。まぁね、俺はね、外でれないしね。付いていく事もできないしね。  あいつ何なの俺のこと好きなんじゃないの? 気のせい? つかもしかしてチリと俺を間違えて告った? 本当は面倒くさいひきこもりの王様じゃなくて、デリカシーは無いけど愛嬌のある日本の女王様に傅きたかったのかもしれない。  なんてとこまで考えて馬鹿馬鹿しくて乾いた笑いが出た。  嫉妬じゃん。嫉妬だわ。確実に俺は今、物凄く腹立たしい。  たぶん、あいつと楽しく会話してあいつと楽しくゲームとかしちゃうのは俺の特権だと思っていたからだ。  自己分析は嫌いだ。だいたい死にたくなるから。久しぶりに死にたくなってふと外を見て、街中を歩く女と手を引かれる子供を見た。  あたしの為に早くそっから飛び立て雛鳥。……やけくそに叫ぶリズカの声が蘇る。  飛び立てるもんなら飛び立ちたいとは思っている。別に、趣味で引きこもってるわけじゃない。一歩でも、外に出れたら。せめてすぐそこの交差点までいけたら、たぶんあとはどうにでもなる。最初の一歩を踏み出すべき足はいつも床に縫い付けられたように動かない。雛鳥どころかこれじゃただの石像だ。飛ぶことも、走ることも、歩くことさえできない木偶の坊。  走れれば。歩ければ。動ければ。  目を瞑って息を吸って吐く。何も考えないように努めながら、足を上げようとする。でもやっぱり、俺の足は動かない。外に向かって踏み出せない。  久しぶりに死にたくなるし、久しぶりに忘れていたブラックライトの色を思い出しそうになってマジで吐きそうになって蹲る。  なにこれあはは、なんて笑い飛ばしたいのに全然ダメだ。息ができなくてしにそう。いやたぶんしなない。しなないけどしにそうで笑いも出ない。  とりあえず扉を閉めて五分もしたら立ち上がれるし二時間もしたらもう俺なんて一生引きこもってればいいじゃん、なんて開き直ることは知っている。知っているから早く扉を、と顔を上げようとしたら、急に視界が暗くなった。 「チャールズ?」  頭の上から降ってきたのは少し上ずった感じの男の声だ。  落ち着いた深い声じゃない。気持ちのいい高い声じゃない。なんかちょっと耳障りだけど、でも正直この声は嫌いじゃない。好きだなんて死んでも言いたくないけど嫌いじゃない。 「チャールズ、大丈夫ですか。……具合が芳しくありませんか?」 「……買い物行ったんじゃねーの……」 「自分の迂闊さに驚きますが実は財布を忘れまして。チリをドラッグストアに置いてひとまず私は忘れ物を回収しに参りました。貧血ですかね。唇が随分青い。ただでさえ芳しくない顔色が土色ですよ。歩けないのならば、ちょっと失礼します」  失礼しますとか言いながらわりと問答無用で抱え上げられた。普段なら腹をかかえて笑ってやるような絵面だと思う。でもこの時の俺は久しぶりに死にたくなってたからおとなしくされるがまま運ばれた。  自室まで容赦なく運ばれて、自分のベッドにゆっくりと寝かされる。お姫様じゃん、って笑ってやりたいいつもの俺はどっかに行ったままだ。 「薬が必要ならばチリに頼みますが、なにか必要なものはありますか?」 「…………いい。寝たらたぶん回復する」 「それならば私はお暇しますが。……何か食べたいものなどは?」 「………………ミートパイ」 「了解いたしました。消化にいいのかは疑問ですが、フィッシュ&チップスよりはマシだと思うことにいたします。何かあれば携帯にご連絡ください。なるべく早く帰宅するようにいたします」  いいからさっさと行けよと手を振る。どうにかうるせー気にすんなと口にした。声が届いているのかはわからない。喉が渇いて張り付いているようで、うまく声が出なかった。  まるで主人に対するような一礼を残して、本業秘書の居候は音もなく部屋を出て行った。  随分とあっさりした対応だった。まぁ、でも、根掘り葉掘り聞かれてもうざいしひっついて看病されてもうざい。どう考えても俺が動けなくなったのは体ではなく精神の不調が原因だから。  外に出たい、とは思わない。  外に出れる、とも思わない。  けれど外に出れたらもうちょい死にたくなること少なくなるんじゃねーかなぁとは思う。別に明日死んでも特に問題ないとは思うけどさ。  少なくともあいつの隣を歩くチリに嫉妬なんてすることはなくなるだろう。  私は貴方に傅きたい、と、たぶんあの男は大真面目に言った。  でも俺は誰かに傅かれる様な立派な王様じゃない。  料理もできるし仕事もできるのに。わりとなんでもできるくせに。なんであいつが選んだのは俺なんだろうと思うとホント、訳がわからくて頭まで痛くなりそうだった。

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