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第3話 両親との思い出2

 近付くと、家の扉は外から力任せに押されたように蝶番(ちょうつがい)ごと外れていた。泥の付いた大きな足跡で踏み荒らされた木の床に、容赦なく雨まじりの雪が降り積もる。明らかに部外者が入り込んだあとを目にした父は馬から飛び降り、髪を振り乱し一目散に寝室へ向かって行った。いやな予感がした。 「メリル、メリル! ああ、なんてことだ……!」  慟哭ともいえる父の叫びが聞こえてくる。シリルは父母の寝室へと足を踏み入れた。部屋の中はひどく酸っぱい匂いで満ちていて、そのほとんどが寝台付近にあったことから母が嘔吐したのだと分かった。母の着衣は乱されていて、引っ掻き傷が顔に数本走っていた。きっと悪漢が家に押し入ったときに抵抗したのだろう、シリルの見たことのない痣が付いた脚には一筋の赤い血が伝い、体じゅうに白い粘りけのある液体が撒き散らされていた。吐瀉物(としゃぶつ)だけではなく、白い汁からも海のような匂いが発せられていた。あまりにも生々しくむごたらしい姿だった。 「お母さん……」  首筋には噛まれた形跡があり、まだアルファやオメガの仕組みについてぼんやりとしか知らないシリルも、首筋を噛むという行為だけは知っていたので母が無理やり(つがい)にされそうになったのだと分かった。母が受けた暴力を思い浮かべるだけで、涙が溢れて世界が歪んでしまう。目に見える傷だけではない。罵声を浴び、脅され殴られて、それでも母は抵抗したのだ。  母の首筋の噛み跡を撫でる父が、聞き取れないほどの小さな声でつぶやく。 「この不規則な歯形は獣人のものだ。森にいると噂されている流れ者のアルファだろう。きっと強引にお母さんを(つがい)にしようと……!」 「お父さん」  シリルも母が好きだったが、父とはもっと昔から愛し合っていたのだ。母の亡骸を抱きしめ震える父から嘆きと憤りが伝わってくる。――おそらく今、父は泣いている。 「シリル、明日になったら領主様のところへ行って、お母さんを弔いたいとお願いしてきなさい」 「お父さんは?」 「お父さんは今から、お母さんを殺した奴を追う。……必ず後悔させてやる」  そう言うと、父は寝台にそうっと母を横たえ、部屋の隅に置いてあった猟銃を肩にかけて玄関へと大股で歩いて行った。釣られて追い掛けると「シリルはお母さんに付いていてあげなさい」と、ひどく優しい目で言われた。  玄関の扉をまっすぐに取り付けると、父は寒風吹きすさぶ雪世界へと一歩踏み出した。横殴りの風雪のせいで、あっという間に姿が見えなくなる。母は死に、父は(かたき)を討ちに森の奥深くへ消えてしまった。シリルの日常は壊されてしまった。 「お父さん……」  雪が入ってくるのもそのままに、シリルは玄関の扉を開けたまま呆然と立ちつくした。  その翌日、父は森の奥で喉を喰い千切られた姿で発見された。母に付けられた歯形と一致したことから、犯人は同一の獣人だろう、と葬式のあいだじゅう大人たちが囁いていた。

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