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右近衛中将の契り その3

「あの陰陽師さんは、何者でっか?」 「主上の幼馴染らしいわ。近江で修行していたのを、是非にって都に呼び戻しはったらしいでっせ」 「ほぉ。それで、いつも隣にいてはるんか」 「仲睦まじい、おま」 「女の人みたいなキレイな顔してはるし、眼福やわ」 「ホンマにな」 うるさい。 うるさい。 いつまでも続く使用人である女房の噂話に、蓮月はギリギリと歯ぎしりをした。 都は、突然現れた美貌の陰陽師の噂で持ちきり。 老若男女、口を開けば皆、この話題だ。 しかも、微妙に尾ひれがつき、二人は結婚の約束を交わした幼馴染で再会により焼けぼっくいに火がついた……とまで、噂されている。 それ、自分の事なのにっ!! 勝ち誇ったように赤い目を細め、帝にしなだれかかる白朱の幻が目に浮かび、脳の血管がブチキレそうになる。 そう……都の噂話も仕方がないほど、あの日から帝の隣には白朱がピッタリと寄り添っているのだ。 参内すると、早速、帝からお召しがきた。 ずっと二人で話していない。 帝不足で、禁断症状が出そう。 蓮月だけではなく、帝もきっと同じはず。 今日こそ、二人っきりでお話が出来るかも。 期待に満ちた思いで向かうと、そこには憎き姿が当然のように侍っていた。 どうして、こいつがいる? 一言、席をはずすように言えば良いだけなのに。 帝は蓮月の気も知らず、曇りのない笑顔。 「右近衛中将、ご機嫌麗しく。裏の桜が開花し始めたそうだよ。今度、一緒に花見はどう?」 「主上にあらせられても、ご機嫌麗しく」 堅苦しい挨拶のまま、姿勢を崩さず平伏し続ける。 どうせ、邪魔者も一緒なんでしょ? だったら、二人で行けばいい。 帝が人払いの合図を送ったのか、一斉に人の気配がなくなる。 「蓮月? まだ、騙したことを怒っているの? 機嫌を治して」 「そんなことで、怒ってなどいません」 蓮月のピシリとした拒絶に帝は眉を下げた。 顔を上げて、これ見よがしにプイとあさっての方向に顔を背ける。 あのときのことは怒ってはいないけど、今のこの状況を怒っているのをわかっているのだろうか? 「はーづきちゃん?」 帝は猫なで声をだすと、腰を浮かせて蓮月の顔を覗き込んだ。 端正な顔が視界いっぱいに飛び込んできて、思わず表情を緩めてしまう。 こんなことくらいで、機嫌をなおしたくはないのに。 ああ、やっぱり、この人が大好き。 誰にも渡したくない。 男らしい大きな口に目が吸い寄せられる。 このままこの唇に触れるだけで、既成事実になる…… 目の前の唇に顔を寄せたときだった。 「主上、戯れが過ぎます。ほら、右近衛中将が戸惑っています。そんなことをして遊んでる暇はありません。あなたは、一刻も早く世継ぎを得なくてはならぬ身の上ですよ」 「白朱は、そればかり。世継ぎは、兄上の藤野宮の子でよいではないか」 藤野宮というのは帝の兄にあたる人で、都から外れた里に居を構えている。 母親の身分が低い上に、昔いろいろとあったらしく今は後ろ楯もなく寂しい身の上。 世間からは忘れられた存在となっている。 数ヵ月前、お子が生まれたらしいが、都ではスルーされてなかったことにされている。 「主上は戯れが過ぎますね。藤野宮様は、謀反をおかした犯罪者。謂わば政敵です。そのような者の子が将来、帝に即位するなど、あってはならない。ましてや、不在となっている東宮に今すぐなんて、もってのほかです」 帝の前では、余裕の笑みを浮かべている白朱が、珍しくキツい口調になる。 「謀反は、あの方のせいではない。幼き頃に勝手にまつりあげられただけのこと。お子が東宮になれば、あのような辺境の地から都に呼び寄せる理由にもなる」 「お子の母親は、行方知れずと聞いています。大方、端女で卑しい身分なのでしょう。後ろ楯のない者が後宮にあがるなど、それこそ不幸です」 「後ろ楯なら、私がなろう」 「主上、そのようなお考えを口にしてはなりません。一網打尽にしたあなたの反対勢力が力を取り戻すかもしれません。それとは別に現況に不満を持つ者が反旗を翻すことも考えられます。いずれにせよ勢力争いで都が乱れることになります」 「わかっている。ここだけの話だ。信用できる白朱と蓮月の二人だけにしか、本心は明かしてはいない」 帝は苛立ちをあらわにピシリと扇を閉じた。 静寂が辺りを包む。 「もうよい、皆、下がれ」 口を挟む間を与えられないまま、この日の会合はお開きとなった。 帝がそんなことを考えていたなんて知らなかった。 白朱の言うとおり、藤野宮の子を東宮にたてるのは得策とは思えない。 そんなことをすれば、都は荒れる。 帝に世継ぎが生まれるのが1番良いのだけど…… 胸がズキンと痛む。 嫌だ。そんなのは耐えられない。 でも、それが最良の方法だ。 自分の恋心さえ、押さえ込めば全てが上手く行く。 あの人を諦めさえすれば。 気づけば、裏山に出ていた。 綺麗なピンク色でおおわれている。 花見の約束、ちゃんとすれば良かった。 だって、最後の思い出かもしれないし。 涙がポロポロと零れる。 大好きだった。 あの人しか目に入らなかった。 初恋で、唯一の愛しい人。 この先、きっと誰も好きになれない。 しゃがみこんで泣いているうちに、いつしかウトウトしていたらしい。 すっかり、暗くなっている。 帰らなきゃ。 足を踏み出した時だった。 「主上は決めたら引かぬ人。早急に藤野宮の子を始末するのです」 「わかりました」 男と女の声。 「何者ですっ!」 慌てて、声の方向に走る。 だが、賊の姿はすでに無し。 あの声は、白朱? 藤野宮のお子の命が危ない。 このことは、当然、帝に報告するべきだろう。 だけど、報告をしたら帝はすぐに子を東宮にするに違いない。 根回しも何も無しに強引に。 政権争いが勃発して都は乱れ、下手をすると帝が暗殺されるという事態になるかもしれない。 とにかく、お子の命は自分が守る。 愛しいあの人のために、自分が出来ることをするのみ。 蓮月は、顔をキッとあげ咲き誇る桜を睨んだ。

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