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「…………。」
視線を感じる。何も言わずに、ただじっと…真っ直ぐ瞳を向けられる。
……彼なら、言っても大丈夫だろうか…
さっき知り合ったばかりのただの他人。
それでも何故だか、彼なら聞いてくれると思った。
「俺ん家、自営業なんだけどさ…。親が後 継げ継げってうるさいんだよ。しかも うちの両親、美術なんて…って言うような人たちだし、更に俺、絶賛スランプ中だし…。」
「…………」
「家のことはやりたくない訳ではないんだけど…、今はそれよりも、他にもっとやりたいことがあるって言うか…、それなのに描きたいものが描けなくなってきて…その内描きたいもの自体、分からなくなってきちゃって。まぁ画家になれたとしても、それで生活できるかはまた別の話なんだけどね…。もうホントどうしよー…みたいな。」
はは、初対面の人に俺何言ってんだろうね。ごめん、重いでしょ。せめて暗くなり過ぎないように、俺は敢えて少しおちゃらけて言った。
「……………。」
数秒の沈黙。数十分にも、逆に一瞬にも感じられた。
独り言のように彼が言う。
「……俺…は、やりたいこととか無いから、それが出来ないことへの不安とか、憤りとかって…、俺には多分、
よくは分からないんだけど…。スランプって、成長する一歩手前なんじゃないかな…と、俺は思う。」
「…………。」
「…目の前の壁に最初は気付かないけど、進んだから、壁があるってわかるんだよ。
スランプはその壁を登ってる途中だから、辛いし、止めてしまいたくもなるけど…、けど、進まなかったら、壁があること自体気付けないし、気付けなかったら…登ることは出来ないよ…。だから、その、何て言うか…、スランプは えっと…」
「……………。」
彼はそう言うと最後の方はあー、うー…と意味のない言葉を発していた。身体もそわそわと落ち着かない様子だ。
それでも彼の言葉はゆっくりと、じんわりと俺の中に染みていく。
壁があることが悪いんじゃない。そのことに気付けない事の方が問題。
…そうか。そうだよな。
…家のことはもちろん大切だし、疎かにしたくはないけど。まだ壁が見えているうちは、頑張りたいな…
挑戦、したいな……
まだ時間はあるんだから。焦ることなんてなかったんだ。
未だおろおろとする彼を見つめる。
端から見たら大分ヤバイ人だ。
……こんな必死に励ましてくれるなんて思わなかったよ。
いい人だなぁ…かわいいなぁ…なんて思って見ていたら、何だかその様子が面白くなってきてしまった。
「フッ…、あはっ、あははッ!!!あははは!!!」
「…へ?」
突然笑い出した俺に彼はキョトン。
俺はまたその表情にも笑ってしまって。
「ご、ごめッ…、ック、…フフッ…」
「お、俺 変なこと言った?」
「…ッ……はぁ。ううん、違うんだ。すごい必死だったから、可愛くてつい。ごめんね。」
「ッ!?かわッ!?!?」
たちまち彼の顔が赤く染まる。
「…あー、うん。そっか…、そうだね。一歩手前か。そっかそっか。ははっ…、うん……。」
手で顔を扇ぐ彼に、俺は真っ直ぐに向き直った。
彼は益々赤くなって、頭にはてなマークを浮かべている。
…ほんと、可愛い。
「……ありがとう。」
フワリ。自然と笑顔が溢れた。
驚いたように彼の元々大きい目が見開かれて、更に大きくなる。
…君のお陰で前が向けた。
君のお陰でもう一度やりたいと思えた。
君の言葉が勇気をくれた。
(君にとっては本の些細な言葉かもしれないけれど。)
ありがとう…、ありがとう。
「俺、もうちょっと頑張ってみるよ。」
俺はそう言ってひょいッと石垣に飛び乗り、早速絵を描きに行こうと思った。
もっとたくさん絵を描こう。
もっともっと力をつけて、そしてもっともっと色々なものを表現したい。
今は上手くなくてもいい。早く、早く描きたい。
「…ッあの「あっ!そうだ!!」…え…?」
「忘れてた。」
ブワッ…
「“さくら”って言うんだ。」
ヒラリ、ヒラリ…風が、俺に付いていたらしいひとつの花弁と、俺の声を運んで行った。
「…俺の名前。綺麗でしょ。」
この言葉を口にして、俺は今日、初めて楽しい気分になった。
初めて、自分のことを知って欲しいと思った。
「…君は?君はなんて言うの?」
君も教えて。俺に、君のことを教えて。
「…お、れは…ッ…、」
「…うん?」
早く、早く教えて。早く君のことが知りたい。
─『何を描きたいの?』──
その時ふとこの言葉が頭に浮かんだ。
「…俺は ……」
俺は…
「『俺は、……─ ─ ― ―
ーーー「あれ……?」
バイトからの帰り道。
いつものようにブラブラと歩いていたら、公園のベンチに見知った人影を見つけた。
背凭れ越しに彼の顔を覗き込むと、また花見でもしていたのだろう。まだ風は少し冷たいと言うのに、彼はベンチの上で座った体制のままぐっすり寝こけている。
相変わらず可愛い顔してるなぁ~
彼はその歳にしては随分と幼い顔立ちをしている。本人も自覚はあるようで可愛いと言うと怒られる。
(最初の頃は照れて嬉しそうにしてたのになぁ)
眠る彼の頭に手を置くと、さらさらとした黒髪が手の上を滑っていった。
…すやすやと とても気持ち良さそうだ。
だがそろそろ陽がくれる。流石に春でも冷え込んでくるだろう。
それに今日は、彼に伝えたいことがあるのだ。
彼に一番に聞いて欲しいことが。
今日は良いことがあったんだ。
…それは、彼が桜の木を眺めてる様子を描いた、自分でもお気に入りの絵だった。
その絵が一人の審査員の目に留まり、賞を貰うことができたのだ。
俺…俺ね、夢に少し近づいたんだよ。
君のお陰で、君が居てくれたから。
だから早く起きてよ。俺の話を聞いてよ。
「こんなとこで寝てたら風邪引いちゃうよ、─暖陽( ハルヒ )──」
桜は、一体何のために咲くのだろうか。
それはきっと、雪を溶かしてくれた…暖かな太陽のために…。
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