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第1話

 記念日は花屋の書き入れ時である。  というと少し聞こえが悪いけれど、やっぱり花は物事の節目を飾るのにちょうどいい。  そんなわけで「ホワイトデー」といういつもより忙しい時間を過ごした俺、百原(ももはら)ひなたの今日の締めくくりは、高層マンションのご夫婦への配達。  ご夫婦の奥様の方から頼まれた白バラ百本と、その真ん中に一本赤いバラを加えた大きな花束。今日一番の大物だ。  実はこれ、バレンタインのお返しで、そのバレンタインの時も俺が配達に行った。その時は旦那さんが赤いバラ百本を頼み、ずっしりとした真っ赤な想いに視界を奪われつつ家を訪ねたんだ。だからやられたらやり返すの精神だとかなんとか。  大輪のバラ百本はなかなかずっしりくる重さで、それももちろんだけどなにより困るのは視界と両手が塞がれるということ。  180センチと人より長身な俺でもこの花束を持てば足元しか見えないから、気を付けて歩きながらエレベーターに乗り込むというミッションは地味に難度が高い。  バレンタインの時はちょうど先に乗っていた紳士に助けてもらって事なきを得た。あまり邪魔にならないように動けなかったから高そうなスーツの裾とピカピカの靴しか見えなかったけど、声はとても美声だったし、なにより優しかった。  階数は聞いて押してくれるわ、手伝おうかと気遣ってくれるわ、ねぎらってくれるわ、着いた時にはドアを押さえていてくれるわ、そのすべてがスマートで、まさしく紳士という感じだった。  その場でお礼は言ったけど足りなくて、ついつい「花や植物のことでご相談がありましたら花屋の『クレッセント』へどうぞ!」なんて宣伝してしまったら、後で帰ってから店長に大層笑われた。俺としては自分の仕事で返せることを探そうとしたつもりだったんだけど、すぐにドアが閉まったからただの宣伝に思われただろう。  ともかく、そんな親切はそうあるものじゃないし、今日はなんとか階数のボタンを押さなくては。 「おや、今日も大変そうだね。また10階かな?」 「え?」  そう意気込んでちょうど来たエレベーターに乗った時、柔らかく渋い声が頭の上から聞こえた。 「あ、いや、すまない。急に」  だけどすぐに声をかけたことを謝られて、反射的に「いえ」と返す。  変わらず姿は見えないけれど、同じシチュエーションとその声にピンときた。 「バレンタインの時にお世話になった方ですよね? その節はありがとうございました。助かりました。……っと!?」  偶然の再会に嬉しくなって、なんとか頭を下げようとしたら花束の重みでバランスを崩してしまった。そのまま危うく転びそうになったのを、花束を押さえる形でその人がそっと支えてくれた。またさり気なく助けられてしまった。 「気を付けて」  そして柔らかな一言。なんだか余裕のある大人の男といった感じ。しかも声の聞こえてくる場所からして、俺より背が高そうだ。 「すみません、あ、10階お願いします」  前回に続いてまた助けられてしまったことに恐縮しながら、もう一度花束を抱え直してエレベーターの隅に寄る。それを見たのか、ため息のような音が聞こえた。 「毎回大変そうだね。そんな立派な花束なら重いだろう」 「いえいえ。すごいですよね、愛情いっぱいで。こっちまでワクワクします」  もちろん大変は大変だけど、楽しい大変さだ。これだけの花束を贈り合える二人の嬉しそうな様子を思うと、俺まで嬉しくなってしまう。それを素直に口にしたら、「それは素敵な考え方だな」となぜか感心された。 「ああそうだ。観葉植物のことで少し聞きたいことがあるんだけど、この後時間があるだろうか」 「え、はい、大丈夫です。それではお家に伺いましょうか?」 「そうしてくれると助かる。急がなくていいから」  この前の宣伝を思い出したのかもしれない。こんな形で依頼されることは初めてだけど、配達はこれで最後だから少しぐらい遅くなってもいいだろう。  そう決めたと同時に10階に着き、できるだけぶつからないようにエレベーターを降りてから、大事なことを聞いていないことに気づいた。 「ああ、僕は2401の真城(ましろ)だ。悪いけどよろしく」 「はい! 後ほどお伺いいたします!」  部屋の番号を、と思ったら扉が閉まる間際に先んじて残されて、最後までスマートな様子に感心してため息をついた。  さて、ともかくまずはちゃんと配達を済ませようと前回もやってきたお宅へなんとかインターホン。  白バラの花束を突き付けられた旦那様の驚きの顔と奥様のドヤ顔を堪能して、俺はすぐに24階へと向かった。  百原ひなた、24歳、職業はお花屋さん。  身長は180センチで、すくすく伸びたわりには体重が追い付かなくて厚みは若干ないけれど、それでも職業上それなりに力はある。  なんせ『お花屋さん』という職業は、名前の響きとしては優雅に思えるかもしれないが、実はとても体力がいる仕事なんだ。基本的に一日中立ちっぱなしで、毎日キーパーから花を出し入れするし水替えもしょっちゅう。  笑顔とポジティブシンキングは生まれた時からのもので、我ながら接客業に向いていると思う特徴だ。  そしてなにより一番の特徴は頭から垂れ下がったうさぎに似た耳。そう、うさぎ耳だ。  うさぎ耳はオメガの印で、つまり俺はオメガである。  繁殖が仕事だなんて言われることもある性で、アルファと番うための存在だなんてことも言われたりする。  一般的なオメガはぴんと立ったうさぎ耳が可愛らしく、小柄で華奢と決まっていて、今まで会ってきたオメガはみんなそのタイプだった。  でもなぜか俺は違う。  どうやら俺はオメガの中でも少し変わり者らしく、健やかに伸びた身長は小柄どころか人より高いし、オメガの印のうさぎ耳は普通のものとは違いぺったりと垂れている。そのせいか変わったファッションだと思われてもオメガだとはなかなか気づかれない。なんせ一般像とは違うからだ。  とはいえ他のオメガと同じくやってくるヒートの期間は薬を飲んでいても何日か休まなきゃいけないこともあるし、アルファの人相手だと色々気を付けなきゃいけないこともあって、今の職場に雇われていなきゃこんな風に毎日楽しく過ごしていなかったと思う。  そんなわけで、駅から病院の間を通る大通りに面したアンティーク風のオシャレな花屋『クレッセント』が俺の職場だ。  オメガに理解のある、というかそれでも気にしない店長のミカさんこと三日月(みかづき)真琴(まこと)さんは、愛息子の(めぐむ)くんと並ぶと兄弟にしか見えないほど小柄で童顔だけど、男やもめということもあって仕事も子育てもバリバリだ。だからかオメガに対して偏見もなく、俺にも愛くんにも平等に厳しく優しい。  オメガという厄介な性にこだわることなく普通にこき使ってくれるミカさんと、懐いてくれている看板息子の愛くんと、お客さんと花と。  そんな毎日を忙しく過ごしている俺には、ああいうバラの花束みたいなロマンチックな出来事も、それこそ『(つがい)』なんて存在とも程遠くて、なにより恋より仕事が楽しいもので。  アルファと番になるために在るといわれるオメガとしては、残念ながら残りものでしかなかったりするんだ、実際。  

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