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第2話

 そして配達を済ませた後は、すぐにエレベーターに戻って上のボタンを押す。  10階でも十分高いのに、さらに上の部屋があるとは庶民の俺からは別世界すぎてよくわからない。  とりあえず窺いつつ降りた24階で2401号室を探そうとして、そんな必要がないことに気づいた。なんせワンフロアに一つしかドアがなかったから。  『真城』という表札がかかっているドアの前に立ち、もう一度他にドアがないことを確かめてインターホンを押す。 「いらっしゃい。早かったね」  すると俺がなにか言うより早くドアが開き、先ほど聞いた声が俺を迎え。 「あ……」  そこで俺は予想外のその姿に思わず硬直してしまった。  俺をほんの少し高い位置から見下ろすその声の紳士は、大きな体の獣人だった。  どうしよう。この人、アルファだ。  アルファ。オメガとはなにもかもが正反対の生まれながらのエリートで、強引で支配的な黒き獣人。それが普通のアルファだ。そのはずなのに。 「わざわざご足労かけてすまなかったね」  エレベーターの時と同じ、気遣いを含んだ優しい声の持ち主は明らかに人とは違う骨格をしているけれど、それを覆う柔らかそうな毛並みは雪のように真っ白で、その瞳は高い宝石のような青。  思わず見とれてしまう綺麗さで、とても俺の知っているアルファには見えない。  「あ、い、いえ」 「どうぞ、入って。リビングにある観葉植物のことなんだけど」  その人――真城さんは俺を迎え入れ、そのままリビングへのドアを開く。  入って大丈夫だろうか。  一瞬そんな風に躊躇ったものの、入ってこない俺を不思議そうに見ている真城さんの様子に気持ちを切り替えた。  大丈夫。真城さんはただ花屋としての俺に用があるだけで、オメガとして見られているわけではない。いくら真城さんがアルファだからといって、それだけで疑うような真似は失礼だ。そもそも俺を本来の意味でオメガとして見る人なんてほとんどいないんだから。 「お邪魔します」 「どうぞ」  胸の内の緊張を隠しつつ靴を脱いでお家に上がれば、そこは想像したリビングとは少々違った。 「なんだか会社みたいですね」 「まあリビングと言っても一応オフィスを兼ねているから」  部屋の外見から勝手に想像した、大きなソファーとスクリーンみたいなテレビがあるリビングとは違い、小ざっぱりとしたそこはまさしくオフィスだった。  大きなテーブルは食卓というよりワークスペースといった感じで、オシャレな棚に詰まっているのも資料らしき本やファイル。それとは別にパソコンが乗った一人用のデスクもあるし、奥にソファーはあるものの、リラックスするというよりかは商談に向いてそうな実用的な形をしている。  そんな家具の間を埋めるように観葉植物が置かれているんだけれど、ストレリチア、ベンジャミンにパキラといった比較的メジャーなものから、普段はあまり見ない種類のものまで種類はまちまちで、特に統一しているようには見えない。  気になって聞いてみれば、全部が貰い物だという。最初はオフィスを飾るのにと一つ二つと貰い、それを見た人が好きなものだと勘違いをし、いつの間にかここまで増えたそうだ。  好きで買ったわけでもないのに、全部枯らさずにいるのはシンプルにすごいと思う。それだけで真面目で優しい人なんだとわかる。 「これなんだけど」 「ああ、ガジュマルですね」  ガジュマルは『幸せの木』なんて呼ばれているから、テーブルの上に置けるくらいの小さいものはプレゼントされることも多いけれど、これはなかなか大きい。 「なんだか葉の元気がないし、土の表面がなかなか乾かないから水をやっていいものかどうか」 「ああ、根詰まりを起こしてるんですね。ほら、見てください。表面にも根がいっぱいでしょ? ガジュマルは成長速度が速いから、こうなったら植え替えをした方がいいですよ」  少し葉のツヤがなくなっているけれど、それでもひどい根腐れを起こしているわけではなさそうだし、鉢を少し大きなものに変えて、水はけのいい土にすればすぐに元気になるだろう。元々生命力の強い子だけど、それでもここまで育っているのならちゃんと世話をしてもらっていたんだということがわかる。それは他の観葉植物たちも同じで、目に見えて元気のないものはないようだ。うん。やっぱりいい人だこの人。 「では植え替えというのはどうやってやったらいいんだろうか。鉢はどれぐらいのサイズが必要だろうか?」 「良ければやりましょうか? これぐらいならすぐできますよ」 「あーそれなら頼めるかい? ちゃんと出張費も払うから」  自分でやりたい人だったら余計なお世話かもと一応切り出してみたら、ぱっと顔が晴れたのを見て言い出して良かったと安堵した。できるか不安な気持ちはわかるから。 「あ、それじゃあこれ俺の名刺です」 「ああ、失礼した。僕も名刺を渡すべきだね」  仕事ならとこんなタイミングで名刺交換をして改めて自己紹介する。  真城衛司(ましろえいじ)さん。名前もなんだか真面目そうだ。 「ももはらさん、でいいのかな。ひなたなんて、お花屋さんにはぴったりの名前だね。明るく照らしてくれそうだ」  ガジュマルが元気になるとわかったからか、機嫌の良さそうな真城さんにまっすぐに褒められて、嬉しさで思わず垂れたままの耳がぴくぴくと跳ねた。うさぎ耳の方はほとんど機能していないとはいえ、一応感覚はあるんだ。だからこういう時は素直に感情が出る。でもその瞬間、真城さんが息を飲んだのが聞こえた。 「……えっと、もしかしてキミ」 「はい?」 「オメガ、なのか?」  突然、今までのにこやかさが嘘のように唖然とした様子の真城さんが、まばたきを繰り返して俺を見る。どうやら俺のぺったり垂れた耳が動くのを見て気づいたらしい。やっぱり今まで本当に気づいていなかったのか。 「あ、はい。あんまり見えませんよね。でも一応そうです」 「すまなかった! 気がつかなくて」  飾り物じゃないです、とふかふかの耳を持ち上げてみたら、真城さんは飛び退る勢いで俺から距離を取った。 「近づかないから安心してくれ。なんなら僕は隣の部屋に」 「大丈夫ですよ。そんなに怯えないでください」  ホールドアップするように両手を掲げている真城さんはまるでとてもつもない犯罪を犯したかのような口調で、大げさですよと笑ってみせた。  俺が怯えるのならまだしも、どうしてアルファである真城さんの方が驚いているんだ。 「いや、申し訳ない。まったく考えていなかった」 「見えませんよね。自分でもそう思います」  耳も違えばこの身長だ。普通のオメガのイメージとは違うから気づかなくてもしょうがない。むしろ気づいていたからといって特別変わった態度を取ることもないのが普通だ。  でも真城さんはよっぽど驚いたのかなんだか呆然としている。その上今度はなにかに思い当たったのか、頭を抱え込んでしまった。 「急に声をかけて部屋に呼ぶなんて悪いことをしてしまった。恐かっただろう? すまない」 「いや、家に行くと言ったのは俺ですから。そんなに心配しないでください。それにほら、見てくださいよ。俺なんて可愛らしいオメガじゃないんですから大丈夫ですって」  確かにアルファとオメガが同じ部屋の中に二人きりでいて、間違いが起こらないとは言い切れない。俺だって、真城さんみたいな人じゃなかったら多少は警戒しただろう。それこそ俺をオメガだとわかって家に呼ぶ高圧的な黒い獣人だったら、理由をつけて帰ったかもしれない。  だとしてもそれはこちらの事情で、アルファである真城さんは気にしないかと思ったのに、どうやらかなり気遣ってくれているみたいだ。  大丈夫だからとなぜか俺が説得をして、なんとか普通の距離まで戻ってきてもらってから話を仕事の方に戻した。 「あの、俺がオメガということが気になるのでしたら……」 「いや、キミが気にしないならいいんだ。それより、今さらだけどキミの方は大丈夫だろうか。その、僕がこんな風で」 「こんな風?」  なぜか憂鬱そうに視線を逸らす真城さんが言っているのは、たぶん自分の容姿のこと。  確かに普通のアルファは真っ黒な毛並みで金色の目をしている。基本的にはカリスマ性があって有能であるがゆえに少々威圧的で近寄りがたい雰囲気を持っているのが、いわゆる普通のアルファ。  だけど真城さんは違う。真っ白な毛並みと青い目はとても優しげで、いい意味でアルファらしく見えない。……それを、オメガらしくない俺が言うのもなんだけど。 「珍しいだろ、この色。外を歩くと目立つんだよ。だからできるだけ外に出ないで家の中で済ますようにしている。それでもずっと引きこもっているわけにもいかないんだけどね」 「それで自宅でお仕事を。大変ですね……なんて、俺が言うのも変ですけど」  自分の垂れた耳を触りながら笑ってみせたら、真城さんも小さく笑い返してくれた。確かに俺だってこのオメガらしくないオメガの容姿をあまりじろじろ見られるのは嫌だものな。  ……もしかして、二回会っても俺が真城さんに対して大きなリアクションを取らなかったから今日声をかけてくれたのだろうか。実はその時は真城さんのことが見えていなかったんだけど、まあ結果オーライだ。 「えっと、それじゃあ用意しておきますので、明日以降ご都合のいい時間を……」 「キミがいいならいつでも構わないよ。ここで仕事をしているから。基本的に一人だから、来る時に声をかけてくれれば」 「わかりました。ではまた明日」  そうやって頭を下げて真城さんの家を出ると、エレベーターを待つ間、なんだかわくわくしている自分に気づいた。  真っ白な毛並みの獣人、優し気なアルファの真城さんと、オメガらしい特徴からずれて育った俺と。  普通の生活をしていたら出会わないだろう二人の縁が、ちょっとしたことで繋がったのが面白い。  なんとも印象的なホワイトデーだなと、俺はまだエレベーターの中に残っていたバラの香りを胸いっぱいに吸い込みながら微笑んだ。

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