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第11話

「百原くん!」  その声が響いたのは、玄野さんが帰ってしばらくしてからのことだった。  聞こえるはずのない声、しかも大声で名前を呼ばれ、長すぎる茎を切っていた手が危うく滑りかける。 「え、真城さん……?」 「これは、受け取れない!」  店の前には見間違いようのない白い獣人である真城さんが立っていて、俺がさっき玄野さんに託した花を手に息を荒らげている。本当に渡してくれたのか。  というか、なんでこの人がいるんだ。少し暗くなってきたとはいえまだ十分人通りのある時間で、ただでさえ目立つ真城さんがそんなところで大声を上げれば当然人目を引くのに。 「聞いてくれ、百原くん。誤解をさせた。言い方が間違っていた」  普段とは違う大股で勢いよく店の中に入ってきた真城さんは、ライラックを無理やり俺の手に押し付けて返してから言葉を続けた。走ってきたのか、肩が呼吸と一緒に大きく上下している。  お客さんと一緒に花束を作るために花を集めていたミカさんは、手を止めて訝しげに俺と真城さんを見比べている。 「僕が間違ったと言ったのは、ヒート中のキミを抱いたということだ」 「ま、真城さん……?!」  そんな中、真剣な表情をした真城さんがよく通る声で発した言葉に、こちらの声がひっくり返った。 「お客さんの邪魔になるから奥行きな。愛。こっちおいで。ももちゃんとバトンタッチ」  そこでミカさんが間に入ってきて、愛くんを呼んで奥へと俺を押しやった。店舗の奥はミカさんの家と繋がっていて、今はありがたく真城さんを連れて上がらせてもらう。  少しはまずいと思ったのか、真城さんは生真面目に「すまない」なんて謝って俺の後についてきた。 「……なんで来たんですか。気にしなくていいって言ったのに」 「キミにあの花をもらって黙っていられなくなった。僕たちは『友達』じゃあない」  ミカさんの家にお邪魔して、ひとまず仕切り直しを図る。  どうやら真城さんは受け取った後にライラックの花言葉を調べたらしく、なかなか辛辣なことを言ってくれる。 「友達に戻りたかったんですけど、それもダメですか」 「そうじゃない。それで終わりたくないんだ。だからあれは受け取れない」 「……え?」 「百原くんとはちゃんとした関係を作りたかったんだ。段階を踏んで、お互いを知り合いたかった。あんな風に、衝動だけでしていいことじゃなかった。あれじゃあすべてがキミのフェロモンに惑わされただけになってしまうから。だからあの時はするべきじゃなかったんだ」  いつもとは違う早口で一方的に喋る真城さんの言葉に首を傾げる。それはあの日に「間違いだ」と言われた時に思った理由と違う。 「でも僕は卑怯で、衝動に流された。それを言い訳にした。そうじゃないとキミに触れることができなかったから。キミを求めたら恐がられると思っていた。だから言い訳を作ってキミを抱いた。それが、間違っていた」 「え、だって、それじゃあ……」 「ずっと、僕の中にキミに対する綺麗じゃない欲望があったのに、まるでヒートに煽られただけのアルファのように振舞ったのは許されない過ちだ」  俺が喋ることができないでいる間、今まで聞いたことのなかった真城さんの思いが、すごい勢いで降ってきてまったく処理しきれない。  ヒートに煽られたアルファの『ように』振舞った。それじゃあ本当はそうじゃなかったと言うことか? 「待って待って。ちょっと待ってください」  一旦止まってくださいと両手で制して、呼吸を整えるように深呼吸をする。情報が多すぎて頭がついていかない。 「じゃあ真城さんは、最初から俺としたいと思ってた、ってこと? フェロモンに中てられて、無理やり発情したんじゃなくて?」 「……もちろん中てられた部分はある。だけどそれは『百原ひなた』のフェロモンだったからだ」  俺のフェロモンだったから。それはつまり、あそこにいたのが他のオメガではなく俺だったからああなったってこと? 「間違いっていうのは、したこと自体じゃなくて、『あの状況で』したこと?」  こくりと神妙な顔つきで頷かれ、ちょっと待ってと頭を抱える。 「次の日に『間違い』って言ったのは、それを後悔してってこと?」  もう一度頷き。  じゃああのタイミングで俺がヒートになっていなくても、いつかは同じように抱かれていたということ? フェロモンのせいで理性がぶっ飛んでしまう状況じゃなくて、公平な立場だったら普通に朝目覚めた時に真城さんがいてくれたってこと? 「キミが過去に恐い思いをしたのを知っていたのに、僕までキミを傷つける真似をしてしまったと焦って、あんな言い方をしてしまった。ひどい言い方をした。もっと早く、ちゃんと言うべきだった」  苦悩する真城さんを見て、申し訳なくも「真面目だなぁ」というどこか場違いなセリフが浮かぶ。  ヒートのオメガ相手に発情するのはある意味当たり前のことなのに、 「キミが好きだ、百原くん。今まで出会った人の中で、キミは僕にとってとても特別な存在なんだ。百原くんといると、違う景色が見られる。だからずっと一緒にいたい。……こんなことを言ったら、キミは困るだろうけど」 「なんでそこで弱気になるんです」  真城さんらしいオチがついた告白に思わず笑みが漏れて心がほぐれた。  まったく予想していなかった感動的な告白に、実際に胸が熱くなりもしたのに、なんでそんな弱気な言葉を付け足してしまうんだ。俺がただヒートだったからしただけだと、本当に思っているんだろうか。……まったく、本当に愛おしい人だ。 「俺、昔からこうだし、恋愛とかよくわかんなくて。でも真城さんと一緒にいると楽しいんです。楽しくて、ほっとして、傍にいたいって思って、でもそういうの真城さんは迷惑かなって」 「迷惑だったらあれだけ注文を入れてまでキミを家に留めないよ」  普通のオメガとは違う垂れた耳を軽く引っ張り、眉を下げて見上げてみれば、真城さんも同じような顔をしていた。どうやら一緒にいた時間に感じたあの気持ちは勘違いじゃないらしい。  だから窺うように距離を詰め、真城さんの正面から倒れ込んでみればそのまま受け止めてくれた。柔らかく、しっかりした腕で。そしてそのまま抱き締めてくれる。  他と違うことを気にしている真城さんだからこそ、俺は最初から怯えることなく一緒にいられた。  それに人より大きいオメガの俺を、こうやって包み込んでくれる人なんて他にいない。 「真城さん。俺も好きです。お願いだから一緒にいてください」 「こちらこそ、キミが嫌になるまで、よろしく頼む」  真城さんの真似っこでちょっと謙虚さを取り入れてみたけれど本人の方が上手だった。俺が嫌いになるまで、なんてネガティブのふりしても、角度を変えるとそれは『自分の気持ちは変わらない』という宣言だ。そんなの、ときめくに決まってる。 「なんか、すごい遠回りしちゃいましたね」 「すまない」  前の時のようにぐりぐりと頭を擦り付けるように抱きついて、包まれる優しさに浸った。真城さんの腕の中は本当に落ち着く。 「本当に俺でいいんですか? 真城さん、自信持って外に出たら絶対モテるのに。もっとカワイイ子いっぱい寄ってきますよ?」 「僕はキミにモテたい」  さらりと言う真城さんのそれが真面目な本音だとわかるから、俺は恥ずかしさを誤魔化すように頬を厚い胸板に押し付けた。すると背中を辿って上がってきた真城さんの手が、俺の垂れた耳をそっと撫で始めた。真城さんの手で触られると、恥ずかしいのと同時に少しいやらしい気持ちになってしまうのは困りものだ。 「キミはなぜか気づかないでいるが、百原くんはとても可愛いと思う。それに、あまり小さすぎるとこうした時に壊れてしまいそうで恐いからね」 「あはは、確かに俺なら丈夫ですもんね。……何回しましたっけ、あの時」  ぎゅうっと再び大事そうに抱きしめられて、茶化して言った言葉でその体が硬直した。固まりすぎて動いたらヒビが割れそうだ。 「キミは忘れていいと言ったぞ」 「二回?」 「……三回だ」  発情してのセックスの話は本人としてはしたくないらしいけれど、訂正は真面目。最後はほとんど覚えていないけれど、ひたすら気持ちよかったことだけは覚えている。たぶんそれを、真城さんもちゃんと覚えている。  それがわかって、体を起こしたタイミングで真城さんも腕を解いた。そして向かい合うように座り直すと、こほんと咳払い一つ。 「改めて、百原ひなたくん。キミが好きだ。僕の番になってくれ」 「もう跡ついてますけど……そうですね。よろしくお願いします」  うなじを撫でれば消えない跡がそこにある。  それでも真城さんはちゃんと言葉にして聞いてくれて、俺は照れ笑いを浮かべながら頭を下げた。  誓い合い、手を繋ぎ、キスをして、なんてまるで結婚するみたいだと笑って、でも考えたらそういうものなのかと二人で照れて、また抱き合って。  幸せってこういうことかと噛み締めていたら、俺の耳がぱたぱたと嬉しそうに揺れて、わかりやすくて二人でまた笑った。  そんな和やかな雰囲気だから。  今日の夜こそちゃんと恋人同士としてエロいことしましょうね、なんて言うのはまだ早いかな?

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