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第10話
「あー、この場所じゃあいつは来れねぇな」
あれから一週間。
つけられた印のおかげでヒート中でも休む必要のなくなった俺は、いつも通り仕事に勤しんでいた。ミカさんたちも事情を深くを聞かずに俺を受け入れてくれたから、時間が経てばまた今まで通りの穏やかな日々に戻れると思っていた。
だけどそれを真正面から壊しにやってきたのは、あの黒い獣人だった。確か玄野と言っただろうか。俺のトラウマをくすぐる、アルファらしいアルファ。こうやって明るいところで向き合うだけならそれほど恐くはないけれど、だからと言ってもう一度会いたかった人でもない。
「なんであなたが」
「あいつの部屋漁ってこれ見つけたからな」
そう言って悪い顔で笑う玄野さんの手には、俺が最初に真城さんに渡した名刺があった。それを頼りに店を見つけ出したらしい。
駅から少し歩くとはいえ、大通りに面しているしいつもそれなりに人通りがある花屋、それが『クレッセント』だ。だから見つけようと思えばすぐに見つかるし、人目を気にする人には来にくいところだろう。それはわかっていて、来たのがこの人だとさすがに愛想も悪くなる。
……とりあえず今は誰もいなくて良かった。
「で、なにがあった? 初めての夜を失敗したか? それともあいつが奥手すぎて見切りをつけたか?」
「あなたに関係ないです」
「おいおい事態をわかってねぇな。あいつが仕事しねぇと俺が遊べないんだよ。俺とあいつの会社だからな」
「それならあなたが仕事すればいいでしょう」
「遊ぶのも俺の仕事の一部なんだよ。なのに真城のやつ全然連絡返してこないから、家まで行ったらあいつはボサボサで元気ねぇしなんなら植物全部元気ねぇし、お前の話は一切しねーし。なんかあったとしか思えないだろ、お前と」
話を聞く気があるのかないのか、玄野さんは構わず偉そうに俺の鼻先に指を突き付けてくる。
なにかはあった。とても大きなことが。でもそれにこの人は関係ないし、言ったってどうしようもない。終わったことだ。
だからこれは、拗ねた俺の八つ当たり。
「ん」
説明するよりも見せた方が早いとタートルネックで隠していたうなじを見せると、玄野さんがとても間抜けな顔をした。
「……あいつが噛んだのか?」
「他に誰がいるんです」
ナチュラルに失礼な玄野さんからさっきまでのニヤニヤ笑いが消えただけ、見せた甲斐はあるけれど。
「モモハラ。俺はかなり真剣に驚いている」
「でしょうね」
「だがそれで納得した」
なにをどう解釈したのか、果たしてそれは合っているのか。ただ真城さんの性格をわかっているらしいこの人なら、あながちそれは外れている推測ではないのかもしれない。
そしてそれで満足したらしく、どうやら帰る気になってくれたようだ。なんとも自分の欲求に正直な人だ。
「それじゃあ俺はあいつのとこに行くが、なにか伝言は?」
まるで優しい友人みたいに言うものだから、思い切り鼻にしわを寄せてしまったらまた嫌な笑いが復活してしまった。やっぱりこの人苦手だ。
ただ、そんな真城さんの様子を聞いてしまったら、黙って帰すわけにもいかない。でも俺から言えることなんて見つからない。
だから少し悩んでから渡したのは、ライラック。花言葉は『謙虚』『思い出』そして『大切な友達』。
「なんだ見舞いか?」
「……そうですね。気にしないで、って言っといてください」
「ふぅん」
この人のことだから花言葉なんて知らないだろうし、その言い方からして思いつきもしないだろう。もしかしたら真城さんにも伝わらないかもしれない。でもそれでいい。ただの俺の気持ちだ。
「いいだろう。特別に承ってやる」
やってくるのも唐突なら、帰るのも突然。
やっぱり最後まで偉そうな態度で、ライラックを手に黒い獣人は去っていった。
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