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第9話
「ん……」
緩やかなまどろみの中寝返りを打って、受け止めるベッドの柔らかさに違和感を覚える。
おかしいな。俺のベッドにしては寝心地がいい。
もう一度寝返りを打って、心地よい違和感にさすがに目を開けた。
見覚えのない部屋。……いや、見覚えはある。なによりこの匂いは体中に染み付いているからわかる。
「真城さん……?」
さすがにあの時のように下の名前は呼べなかったけれど、それでも出した声が掠れていて恥ずかしくなった。
正直夢中でよく覚えていないけれど、とても気持ちよくて幸せだったことは覚えている。それと。
「……やっぱり」
うなじに手を当て確認したのは確かな噛み跡。真城さんの噛んだ「番」の印。
これがあるからきっと今がいつものヒート中の朝より辛くないんだろう。
もちろんだるさは残っているし熱っぽさもあるけれど、いつもはもっとひどいし薬を飲んでいないのにこれはやっぱりこの印のおかげだと思う。俺が真城さんのものになったから、過剰なフェロモンの分泌が抑えられたんだ。
そのなんともいえない照れくささを誤魔化すように辺りを見回したけれど、やっぱり真城さんはいない。
そもそも今何時だろう。真城さんはもう仕事をしているのだろうか。いや、人の心配をしている場合じゃない。俺も仕事に行かなくちゃ。
いつもより早いヒートは予定外で、本来ならこのまま連絡を入れて休ませてもらうところだけど、この調子なら働こうと思えば働ける。むしろそうやって離れないと、今みたいにずっと真城さんを探してしまいそうだし。
「あ、うわ……!?」
とにかくまずはシャワーを浴びさせてもらおうとベッドから降りようとして、そのまま落ちた。
大した高さじゃないから痛くはなかったけれど、なんの構えもなかったせいで大きな音がしてしまった。どうやら思ったより体はへばっていたらしい。それはたぶん、ヒート期間だからという理由だけじゃないはず。
その理由に大いに心当たりがあるだけに、一人照れてから周りに散らばっていた服をかき集めて身につけた。
『……百原くん?』
そんなタイミングでドアの向こうから真城さんの声がした。
「あ、真城さん。おは……」
『すまない百原くん!』
そしてドア越しの謝罪。その声は硬く、とてもじゃないが昨日あれだけ熱く体を繋げた相手とは思えない。
『許してくれとは言わない。僕が悪いんだ。この責任は、なんとしてでも取る』
なぜドア越しなのか。なぜそんなことを言うのか。
状況が掴めずにその場に座り込んだままの俺の耳朶を打ったのは、真城さんが続けた信じられない言葉。
『昨日キミを抱いたのは間違いだ』
「……え……?」
ドア越しで多少くぐもっていたとはいえ、聞き間違えられないくらいはっきりと真城さんは告げた。間違いだと。
『僕が間違っていた。流されるべきじゃなかった』
あれだけ熱かった体の温度が一気に下がった気がした。血液の落ちていく音がする。
『こんな風に中てられたのは初めてだったんだ。いくら謝っても足りないとは思うが、本当に申し訳ない』
アルファの真城さんは、ヒート中のオメガのフェロモンに抗えない。俺が予定外のヒートになり、真城さんはそれに煽られ俺を抱いた。
そこに気持ちがあったと感じたのは、俺の間違いだったと。あれだけ幸せに感じた昨日のこと自体が、全部間違いだったと。
『僕は取り返しのつかないことをしてしまった。もちろんそれを番の印だと受け取らなくていいから。なんとかその跡を消してもらえるよう……』
「あの」
こんなにはっきりついた跡を消し去りたいほど、真城さんは俺とのことが嫌だったのだと思ったら、急に夢から覚めたように現実が見えた。
「俺の服取ってもらえますか」
どうやら部屋に入ってくるつもりはないらしい真城さんにお願いして自分の服をドアの隙間から入れてもらうと、今着たばかりのものを脱いでそれに着替えた。真城さんに借りた服は一応畳んでベッドの上に置いておく。
それから大きく深呼吸を気合を入れて部屋を出た。
最初の時のように俺から距離を取った真城さんはおろおろと俺の様子を窺っていたから、その前を横切って荷物を持った。
「俺帰ります。昨日のことは忘れてください。跡のことも気にしないで」
「百原くん……」
「俺が悪かったんです。だから真城さんは少しも悪くないです。オメガのヒートにアルファが理性を失うのはよくあることだし、その場合悪いのは薬をちゃんと飲んでなかったオメガの俺ですから」
そりゃ確かに予定外で防ぐことはできなかったかもしれないけど、そんな時もたまにあるんだし、その兆しを見誤ったのは俺だ。いや、薄々気づいていたのを意図的に無視したのは俺なんだから、真城さんのせいじゃない。
「初めてじゃないから大丈夫です。医者もちゃんと行きますから。真城さんはなにも心配しないで」
たぶんこれだけ言っても真城さんは気にするだろうけど、運が悪かったと諦めてもらおう。別に俺は平気だ。初めてじゃないし、相手がアルファだった時点で、誰が相手でももっと気をつけるべきだったんだから。
「それじゃあ……さよなら」
なにも言えないでいる真城さんに振り返って声をかけて、俺は二度と来ないだろうそのドアを開け、閉めた。
うまく笑えていたらいいんだけど。
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