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9.褪せることなき、とこしえの
男子、三日会わざれば刮目して見よ――遠い国の昔の偉い人はそんなことを言ったらしいが、これはちょっとやりすぎだろう。
「シグ、大きくなったな……。」
感動ではなく、その口ぶりは呆れに等しい。
育てた子がでかくなって嬉しくないはずはない。が、ほんの二ヶ月前までは確かに目線は同じくらいだったというのに、今や頭一つ分もの身長差が生じてしまっているのだ。
いったいどこまで伸びるのだろう。既に腹一杯に驚かされている薬師には、伴侶の頭頂の行き着く先はとても予想できない。
「ボクとしては、まだ伸びる気がする。」
「えええ。」
フンスと鼻を鳴らして宣言する黒豹の獣人。著しい変化の全ては育て親であった薬師と番になってから起きたことなので、それが原因なのかもしれない。
二人が訪れたのは港町。当初は北の山を目指していたが、ハトリが拐われたあの夜に全ての事情が変わってしまった。
他に術がなかったとはいえ、結果として死人が出たのだ。高貴な令嬢が獣の爪で裂かれたと表立てば、間違いなくシグへと疑いの目が向けられてしまう。
事情を説明したところで理解が得られるとは思えない。ハトリが貴重なオメガであるなどと人に言うわけにもいかない。速やかにその土地から離れて寄り付かないようにする他、手立てなんて何もない。
そうして目的を失ったまま街道を遡る道中、二人が新たな目的を見出すまでにはそう時間はかからなかった。
シグの故郷であるはずの砂漠へ、彼の肉親を探しに訪ねてみようと。
最初に言い出したのはハトリの方。
全てを知ったシグからすれば、そのハトリから故郷を奪ったのは自分だ。それに今更故郷なんて言われてもやはりピンとこない。
「ハトリが思うほど気にしてないよ」とシグは笑ったけれど、ハトリは贖罪のつもりだけで申し出たわけではないのだ。
「僕だって、お前の生まれ故郷を見てみたいんだよ。」
そんなわけで、今ではシグの片耳には細い金の輪の耳飾りが二つ揺れている。
港に着いたは良いものの、船賃を支払ってしまうと旅銀が心許ない。
少し滞在する間、ハトリはまた商人に掛け合い宿に籠って薬を作っていたが、好奇心の強いシグの方はやはり船が気になったらしく、臨時の荷運びとして雇ってもらった。
苦労が実ってようやく船出の日を迎えた二人。砂漠でも過ごしやすいようにと旅装も新調したのだが、異国風の服に袖を通したシグの姿を見て、ハトリの感想は冒頭の通り。改めて、でかい。
「それもボクが持とうか?」
でかくなった分だけ持ち運べる荷の量も増えたので、ハトリが肩に掛けていた雑嚢もシグ担当となった。だが薬箱だけは譲り難い。
「僕の立つ瀬がなくなるじゃないか。」
今のシグは下手をすれば、薬箱どころか荷物ごと自分を担いできそうだ。一応はハトリとて大人の男なので、そこまで情けない姿を晒すのは避けておきたかった。
「えー。もっと頼ってよ。」
へら、と笑った豹顔は相変わらず子供っぽいが、守ってやらねばと意固地に育て親役を続ける気はハトリにももうない。
人は見た目ではないものの、これだけ伸びたら良い親でいたいなんて気持ちも吹っ飛ぶだろう。相変わらず可愛いとは思うものの。
親馬鹿なら周囲に同意を求めたくもなったが、今では「可愛いと思うのは自分だけでいい」と、また妙な独占欲を拗らせ始めている。
海風を浴びながら港へ向かい、渡し板を軋ませながら二人は船上の人となる。
早ければ一週間で砂漠に着けるだろう。そこから特定のキャラバンを探すのは、骨が折れるだろうが。
キャラバンは人や品を安全に運ぶのが生業だ。山や森と違い隠れる場所のない険しい土地を進むので、賊との遭遇を減らすためにかなりの秘密主義らしい。
長く砂漠を行き来すれば同じキャラバンに出くわすことも稀にあるが、基本的には一期一会。行ったところですぐに手がかりが得られるかはわからない。
シグの肉親や同族に会うなんて、以前ならばハトリにとって死刑宣告にも等しい話だったろう。
けれど今はそれも変わった。
「本当の家族に会えたら、シグは何を話すんだい。」
「ハトリと結婚しますって言う。」
船舷 から輝きの海を望んで即答するシグは満足げだ。
一緒に生きていこうと決めたのだから、不安なんて何もない。
「船乗りに聞いたんだ。砂漠の結婚式では、お嫁さんは金貨をたくさん繋げて、真珠みたいな白い服をそれで飾るんだって。」
「へえ。」
ハトリが薬作りで引き籠っていた間に、そんな話を仕入れていたとは。
「ハトリも似合うと思うな。」
「……お前は僕をそういう目で見てたのか。」
いずれ家庭を築くならば自分が子供を産む側なのであながち間違ってはいないのだろうが、これでも男として生きてきたのだ。急に女のように振る舞うのは難しい。
「僕はハトリを父親と思ったことはないよ。」
「なっ!?」
「せいぜいお母さん。」
「あー……。」
早いうちに腕力で負けてしまったので、致し方ないといえばそうなのか。
「仲間に砂漠で暮らそうって誘われたら?」
「ハトリも一緒なら考えるかなー。」
「でも僕はラクダに乗れる自信がないよ。」
「ラクダ? 砂漠はラクダに乗るものなの?」
「お前、知らなかったのか……。」
他愛ない会話のはずなのに、どこか新しい。
この気持ちだけは薬の匂いと共に褪せていくこともないのだろう。ハトリはそんな気がしていた。
やがて水夫たちが帆に繋がれた縄を引き、錨を上げながらシーシャンティを歌い出す。
二人が陸を離れるのは初めてのこと。特にハトリは帆船に乗ることすら初めてで、しかしシグは数日慣れ親しんだ甲板の空気に動じた気配はない。
(逞しくなっちゃったなぁ。)
誰も見てないのを良いことにそっとシグの身体に寄りかかれば、恐れがふわりと消えてしまった。
大樹に寄り添うよりも遥かに確固とした、完璧な形の安らぎが、ここにある。
だからこれから何が起ころうとも、二人でならきっと、何も怖くないのだ。
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