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第34話 不自然と自然

 ――いいですよ? 全然。いつも成田さんにはお世話になってるし。是非、手伝わせてください。  そう言ったんだ。そのほうが自然だから。  ――は? なんで、文が手伝わなくちゃいけないんだよ。っつうか、そんなの、役員でもないあいつが勝手に受けたことなんだから。暇だからってさ。  郁はその日、学校行って、帰ってきてから着替えて、秀君たちとボーリングにカラオケに、ファミレスで晩御飯。毎年そうしてたんだから、そうしたほうがいい。そっちのほうが自然でしょ?  郁、怒った顔してたなぁ。 「……」  しょうがない。  だって、知られてしまうわけにはいかないんだから。 「社長、伝票にハンコをお願いします」 「あ、はいっ、ごめんなさい」  仕事中に溜め息ついちゃった。 「はい。お願いします」  聞かれてないよね。溜め息。 「もう五時ですね。上がってください。あとはやっておきますから」 「ありがとうございますっ」 「今日、クリスマスプレゼント買いに行くんですっけ?」 「そうなんですよー。バレないようにって、共働きだと時間なくて」  大変そうだ。旦那さんもご自身もフルタイムで働きながら、子どもに見つからないようにプレゼントを買って用意するのって。今日、学童のお迎え前に買ってこなくちゃって言ってた。 「お疲れ様です」 「お疲れ様でーす!」  パートさんの一人は飛び出すように急いで帰っていった。もう一人の方は娘さんが社会人だからのんびりしたものだけれど。 「お先に失礼しまぁす」 「お疲れ様です」  誰もいなくなったことを確認して、大きな大きな溜め息を一つ吐いて、机に突っ伏した。  郁がうちに来たのが十一の頃だったから、もうあんなふうにクリスマスプレゼントを隠しておいたりしなくてよかったっけ。遠慮がちな優しい子だったから、一緒に買いにいくと「いらない」なんて言われてしまってさ。だから、僕が選んで買ってた。玩具って歳でもなくて、ゲームとか。僕はちっともやらなくてよくわからなくてさ。調べながら買ってた。人気のソフトとか、ランキングを見て。  ――いいのに。けど、ありがと。  そう言って、はにかんで笑う郁が可愛くて仕方なかった。 「……今の郁が欲しいもの、かぁ」  去年、高校二年の郁は先にいらないって言われてしまったんだ。ここにいられるだけでいいなんて、ささやかすぎるものを欲しいと言われた。  あれは僕のことを想ってくれていたから、なのかな。 「……」  なら、今の郁は、何が一番欲しい? 僕はね。僕は――。 「……文」  僕は。 「……ふ……」  遠くで郁の声がした。仕事が終わる時間帯になっても家に帰って来ない僕を心配してくれたのかな。 「んだよ。寝てんのか。俺はてっきり……」  やっぱりそうみたいだ。怒ってたし、気まずさで避けてるとか、思った? 「……風邪引くっつうの」  バカだからきっと風邪は引かないと思うよ。大バカ者だから。 「文……」  可愛くて仕方のない大好きな親戚の男の子にあんな不満顔をさせるような恋しかしてあげられない。 「……起きろよ」 「……」 「じゃないと、マジで」 「……」  触れてないけれど、郁の体温を感じた。じんわりと見えない熱が身体に触れた。 「……キス、してぇ」 「……」  目を閉じているけれど、それでも天井の明かりを遮る何かを瞼に感じた。 「…………ったく、毛布、どこにあんのかわかんねぇっつうの」  でも、もう離れていく。毛布を取りに行ってくれた? 「っ、っ」  けど、ごめんね。 「……ぃ、く」  本当に風邪なんて引かないから大丈夫だよ。毛布はいらない。大バカ者だから、風邪は引かないんだ。大事なくせに、その大事な郁に「ダメだよ。今は」って手を突っぱねて距離を取るくせに、今、眠っている僕へと、どんな場所だろうと関係なくキスをしてくれやしないかと、淡い期待を、いや、ちっとも淡くない、強い願いを持って、寝たフリなんかをするんだから。  ね? バチが当たって高熱にでもうなされるべきだと思うんだ。 「いやぁ、なんか、買い出しまで付き合ってもらってすんません」 「いえ、一人じゃ重いでしょう? って、あんまり戦力になってないですけど」  成田さんが大きい買い物袋三つで、僕が中サイズ一つって、あまりに意味のない荷物持ちだけれど、いっこうに譲ってもらえなかった。ポテトチップスやお菓子ばかりだから見た目以上に軽いから大丈夫って。 「俺、普段買い物ってあんましないから、どこに何があるのかわからないんすよ。なので、一緒に行ってもらえてすげぇ助かりました」  普段はコンビニで済ませてしまうんだと笑っている。自営だから、家事についてはお恥ずかしながら、母にまかせっきりでって。  たしか、成田さんのところは自宅と塗料の販売を営む会社が同じ建物だったっけ。一階がお店で、二階、三階がご自宅。それなら家事はしてもらっちゃうかも、だよね。 「嫁さんもらってくれってよく親には言われるんすけどねぇ」 「あー、あははは」  この辺りじゃしょっちゅう、どこかしらで飛び交う会話だ。ここまでには結婚して、ここまでには孫の顔を見せてって、どこにも明記なんてされてないのに、誰でも認識している暗黙の雰囲気。 「けど、俺は、無理かなぁって」 「そんなことないんじゃないですか? 成田さん、カッコいいし。って、前にもこんな会話しましたっけ」 「いいっすよ。いくらでも。こんな会話したいっす」 「え?」 「俺……」  成田さんの声色が変わった。いつもの明るいトーンとは違う、落ち着いた低い声は真っ直ぐに、よどみなく、芯の強さがあった。聞いていて安心感のある声。 「俺はっ、相馬さんと話すのが」 「やべー! 郁、すげぇ! マジか! テスト、ほぼ満点!」  道の向こうから飛び越えて聞こえてきた名前にハッとした。道路の反対側、行き交う車の隙間から見えた郁と秀君と幾人かの男子高校生の声。  あの女の子はいなくて、ホッとしてしまった。 「相馬さん? って、あれ、高校生の」 「……」  結婚して、赤ちゃんが生まれて、家族が――それがここでは当たり前のように期日付きでこびり付いている暗黙ルール、なんだ。

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