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第33話 君は僕の――。

「今日は専門のほうに行ってるんだ。何か見学したいことがあるって」  うんと遅くなるよ。  もう合格した服飾の専門学校にたまにいっては何か見学とかしてた。もうすでにそっちの世界でやっていく気満々みたいで、何かためになりそうなことがあれば、片道二時間関係なく、専門へと足を運ぶ。  その全部がきっと将来のためになるからって。  僕と、郁の、将来のためにって 「片道二時間かかるから、帰ってくるの遅いかもしれない」  うんとうんと遅くなる。きっとまだまだ帰って来ない。だから――。 「もし何か用なら、僕が受けておくよ。プリントなら預かるし。もし言伝があるなら」  だから、帰ったほうがいいよ。  閉じ込めても、閉じ込めても、そんな言葉が、意地悪な自分が、彼女をここから追い出そうと騒ぎ立てる。  けれど、彼女は切なげな瞳を俯かせて、色づいた薔薇色をした唇をきゅっと結んで首を横に振った。  保護者の僕にそれ以上のことなんてできやしない。  ねぇ、何しに来たの? なんてこと、恋人しか訊けない。  僕がそれなのにね。恋人なのに、訊けないなんてさ。 「郁君って」  ごくりと唾を飲み込んだ。彼女が次に何を言うのかと、身構えた。 「ただいま」  なんていうタイミング。  玄関先で郁の暢気な声がして、その声に、彼女が一瞬で頬を真っ赤に染めた。もうそれだけでわかるよ。 「……おかえり、郁」  郁が玄関のところで彼女の履いていたローファーに眉を寄せ、怪訝な顔をして立っていた。  同級生の子が来てると告げると、目を丸くして、そしてすぐにまた眉間に皺を寄せる。 「佐野……」  そこで彼女の苗字を知った。佐野さん、春からずっと郁に好意を寄せていて、ずっとその瞳で語り続けてた。その告げ続けていた言葉をね、今日、郁に伝えようと、わざわざうちまで来てくれたんだよ。 「郁君っ! あのっ」  告白をしようと、来てくれたんだ。 「ゆっくり……していってね……」  だから、それだけを絞り出すように言ってから、急いで二階の自室にこもった。邪魔したい。邪魔したい。とても……けどさ、告白をさ、保護者なんかに聞かれたら、彼女、イヤでしょう? 「……やだなぁ……」  僕だってイヤだよ。好きな人がよその誰かに好きだと告げられる場面を見物するなんて。  思わず、ぽろりと零れた本音を誰にも聞かれないように、自分の膝をぎゅっと抱え込んで俯いた。なんにも見えないくらい自分の腕で顔を隠してさ。それなのに、耳は下の階での会話が気になって、気になって、耳を地面にそば立ててしまいたいほど集中してる。 「……」  もう十二月になると学校に行く日もまばらになってくることがある。就職活動の子はそれこそ面接があったり試験があったりするし、進学の子も色々忙しくて、クラスでの数日合わずに過ごす子もいるって郁がこの前話してたっけ。  それぞれの道に進んでいっている空気がきっと教室に漂っている。寂しさの混じった空気が。  彼女は、今しかないって思ったんだろう。  告白をするのなら、今しかないって。  それか、もうタイミングとか見計らうこともできないほど、気持ちが溢れてしまったのかもしれない。僕は郁を見てたから、郁を見てる彼女のこともずっと見ていた。知っていた。  何がこんなにイヤなんだろう。  郁を好きなことを誰にもいえないのが?  保護者の顔をしなくちゃいけないのが? 「……文」 「!」 「……佐野、帰ったよ」  もう? 帰ってきてからまだ数分しか経ってないよ? あんなに長く郁のこと待ってたのに。  だって、そうでしょう。断るんだから、そんなのダラダラ話すことじゃないよ。数分でばっさりだよ。  ばっさりと断って欲しい。そんなことを思ってしまった。なんて身勝手な大人なんだろう。 「……入ってもいい?」 「……ダメ」  我儘な大人だ。子どもみたいだ。自分の物だと抱っこして離したがらない我儘な子ども。  なんで、こんな急展開なんだろ。気持ちが追いつかないよ。 「……ダメだってば」  今、気持ちが全然無理だから、ダメだった。なのに。 「文」 「……ごめんね。なんでもない」  泣いてるとこなんて、見せたくなかったのに。 「断ったよ」 「うん」  やっぱり告白しに来たんだ。って、それ以外の理由なわけないか。あんな切なげな顔をして、学校を休んだ今日のプリントを届けに来たわけない。  好きですって言いに来たに決ってるじゃん。 「わかってる」 「っ、じゃあ、なんで泣いてんだっ」 「……これは」  わかってた。そうでなくちゃいけないこと。僕は保護者で、郁はここの家で引き取った親戚の子。そう周りには見えてもらえないといけない。隠さなければいけないこと。だから彼女は当たり前に僕を郁の恋愛対象から除外する。  でもね。あまりに自然すぎるから、どれだけ僕らが不自然なのかを突きつけられた気がした。それが苦しかった。それが苦しくてイヤだった。  彼女と並んだ郁はあまりにも自然でさ。  そして、不自然なことを、僕は、僕の大事な人に――。 「文っ、やめろっ!」 「!」  腕をものすごい力で掴まれて、痛い。 「今、考えてること、考えんな……」 「……」  僕の大事な人に、し――。 「すんませーん、相馬さん、いらっしゃいますかー?」  その声に、考えてたことが止まった。成田さんだった。下の玄関先にいるらしい。 「ごめ、郁、ちょっと行ってくる」 「は? なんで? 今、俺らっ」 「急ぎの用かもしれないから」  今日は来客の多い日だ。師走に差し掛かってきて、皆どこか慌しい。 「はい。ごめんなさい。今、上にいたから。どうかしました?」  全部わかってて、知ってて、納得して、それでもと、僕らは手を繋いだ。 「あー、すんません。忙しい時間ですよね」 「いえ」 「あの再来週のクリスマスなんすけど。その週末、空いてたりとか、しないっすか?」 「? あの、何か」 「あああ! けどっ! あの、忙しいようならいいんす! なんでもないっす! その、町内の子ども会でクリスマスパーティーやるんすよ。そんで町内会のママさんたちばっか大変そうなの可哀想だなぁと」  町内の子ども会か。やったことある。夏に花火大会の委員が集まった会館のところでささやかながらのクリスマスパーティーを僕が子どもの頃もやってたっけ。お菓子にジュース、それからレクリエーションなんかをした。 「そんで、手伝いますよーって気軽に言ったら、独身だからっつって、すげぇ量の雑務に。で! もしも! ご迷惑じゃなければ、手伝っていただけたらなぁって」  ――クリスマス? 終業式だよね? でも、その日、保護者とは普通過ごさないよー。いつもどおり、秀君たちとカラオケ行ってきなよ。そんな膨れっ面しないで。ほら。んー……じゃあさ、翌日学校休みなんだし、夜ケーキ食べよう? ね? それならいいでしょ?  毎年、クリスマスが終業式なことが多いから、郁は秀君たちと遊んでた。カラオケとかボーリングとか。それが急に今年は不参加なんて不自然だから行っておいでって話したんだ。 「いいですよ」  不自然だから、行っておいでって。 「え! マジっすか!」 「はい。暇してますから」  不自然。恋人はいないはずなのに、その日、予定が入ってたら、不自然だ。だから、子ども会のクリスマスパーティーの手伝いをすることにした。  ね、僕はさ、君のことがとても大事なのに、君は僕の大事な人なのに、そんな君としたいこと、全部が、とても――。

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